『学校に入り込むニセ科学』 左巻健夫
まったくマスコミってのが質が悪い。
とにかく彼らは声がでかい。ものすごく遠くまで声が届く。多くの人の耳に届く。何度も何度も届く。これが特にNHKあたりになると、頭の良さそうな、かつ品の・・・表面的には良さそうな人たちが、繰り返し繰り返し言う。
この本の著者、左巻さんも言う。《日本の教育の歴史を見たとき、近年特に目立つのは、社会科学・歴史認識の分野での事実の軽視ないしは歪曲である》
嘘を信じ込ませることにも、嘘を信じ込まされることにも、日本人は慣れている。みんなと同じように考えていればとても楽だ。だから私は口をつぐまされ、学校をやめることになる。やめさせられたわけじゃない。窮屈になった。窮屈なのが、とてもいやなだけだ。
それはともかく、あからさまな事実の軽視や歪曲を見抜けない方もどうかしている。教育現場にもそういうのがいた。一般的傾向としては、若い人ほどそうだった。
『学校に入り込むニセ科学』という題名に、私はてっきり二酸化炭素排出による地球温暖化の話を書いている本かと思って読んでしまった。それは取り上げられてなかった。ちょっと残念だった。
理科教育の世界にも、そんなイカサマ科学が入り込んでいるという。理科の先生も見抜けない人が少なくないんだそうだ。著者の左巻さんは、「教員も一般の大人に過ぎない。一般の大人にもある割合でニセ科学を信じてしまう人たちがいるのと一緒だ」と言っている。だけど、教える立場だろう。それなりの責任はある。
嘘を教え、それによって大きな損害を被らせ、または世間に迷惑をかけるようは羽目に陥らせておいて、「私もだまされました」じゃ無責任というもんだ。「鬼畜米英」と教えていた教員が、そのまま教員で居続けたのと同じか。


学校の先生だって生徒だったときがあるわけで、その頃は大半が優等生で、教科書の内容をよく覚え、テストで言い点数を取って親を喜ばせてきた人たちだ。育ちがいいと言うことだ。
彼らは善意というものを疑わないで育ってきた。ニセ科学は、そういう先生の素直さにつけ込んでいくんだそうだ。ニセ科学は、教育こそが自分たちの主張拡大の最良の手段になることをよく知っている。そして、そういう素直な先生を通して、多くの子どもたちへの浸透を図るんだそうだ。
私のことを「育ちがいいと思ったら・・・」と言った校長がいた。「思ったらなんだ」とは言い返していない。教員になってしばらくして、地元秩父のお祭りに帰ったとき、いろいろと迷惑をかけた女の先生に挨拶に行った。先生は依然として母校に勤務しておられた。「あなたのような元気な子がいなくなった」と、目を細めて頂いた。
高校時代、今の高校生にはあまりいないくらい“元気”だった私も、基本的には素直な方に分類されて間違いない。だけど、扱いを間違えると抑えが効かなくなるから、人は私に近づくのを躊躇する。とっつきづらいのだ。かつ、人から教わることが嫌いなので、こそこそ隠れて、とにかくよく本を読んだ。人から言われたくらいじゃ動かない。
学校の先生でも、若い人は読書量が少なすぎる。教科書に書かれていれば、教えちゃう。私は教科書に書かれていても、自分のものになっていなければ教えない。
それにしてもニセ科学。なんだこれ?どうしてこんなことを教室で取り上げちゃうの?
《水からの伝言》なんて、学教の先生が本当に信じちゃうの?水に感情があって、それによって結晶が変化する?・・・馬鹿じゃないの。《EM》ってのも、もう最初っから詐欺まがいって分かりきってる。相手にする方がおかしい。
日本人は本質から遠いところで物事を判断することがあるからね。そういうことにならされちゃうと、馬鹿げた結末に続く道に足を踏み入れちゃうことがあるんだよね。
とにかく彼らは声がでかい。ものすごく遠くまで声が届く。多くの人の耳に届く。何度も何度も届く。これが特にNHKあたりになると、頭の良さそうな、かつ品の・・・表面的には良さそうな人たちが、繰り返し繰り返し言う。
この本の著者、左巻さんも言う。《日本の教育の歴史を見たとき、近年特に目立つのは、社会科学・歴史認識の分野での事実の軽視ないしは歪曲である》
嘘を信じ込ませることにも、嘘を信じ込まされることにも、日本人は慣れている。みんなと同じように考えていればとても楽だ。だから私は口をつぐまされ、学校をやめることになる。やめさせられたわけじゃない。窮屈になった。窮屈なのが、とてもいやなだけだ。
それはともかく、あからさまな事実の軽視や歪曲を見抜けない方もどうかしている。教育現場にもそういうのがいた。一般的傾向としては、若い人ほどそうだった。
『学校に入り込むニセ科学』という題名に、私はてっきり二酸化炭素排出による地球温暖化の話を書いている本かと思って読んでしまった。それは取り上げられてなかった。ちょっと残念だった。
理科教育の世界にも、そんなイカサマ科学が入り込んでいるという。理科の先生も見抜けない人が少なくないんだそうだ。著者の左巻さんは、「教員も一般の大人に過ぎない。一般の大人にもある割合でニセ科学を信じてしまう人たちがいるのと一緒だ」と言っている。だけど、教える立場だろう。それなりの責任はある。
嘘を教え、それによって大きな損害を被らせ、または世間に迷惑をかけるようは羽目に陥らせておいて、「私もだまされました」じゃ無責任というもんだ。「鬼畜米英」と教えていた教員が、そのまま教員で居続けたのと同じか。
『学校に入り込むニセ科学』 左巻健夫 平凡社 ¥ 924 科学的な根拠はなく教員や生徒の「善意」を利用して勢力を広げるニセ科学 |
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学校の先生だって生徒だったときがあるわけで、その頃は大半が優等生で、教科書の内容をよく覚え、テストで言い点数を取って親を喜ばせてきた人たちだ。育ちがいいと言うことだ。
彼らは善意というものを疑わないで育ってきた。ニセ科学は、そういう先生の素直さにつけ込んでいくんだそうだ。ニセ科学は、教育こそが自分たちの主張拡大の最良の手段になることをよく知っている。そして、そういう素直な先生を通して、多くの子どもたちへの浸透を図るんだそうだ。
私のことを「育ちがいいと思ったら・・・」と言った校長がいた。「思ったらなんだ」とは言い返していない。教員になってしばらくして、地元秩父のお祭りに帰ったとき、いろいろと迷惑をかけた女の先生に挨拶に行った。先生は依然として母校に勤務しておられた。「あなたのような元気な子がいなくなった」と、目を細めて頂いた。
高校時代、今の高校生にはあまりいないくらい“元気”だった私も、基本的には素直な方に分類されて間違いない。だけど、扱いを間違えると抑えが効かなくなるから、人は私に近づくのを躊躇する。とっつきづらいのだ。かつ、人から教わることが嫌いなので、こそこそ隠れて、とにかくよく本を読んだ。人から言われたくらいじゃ動かない。
学校の先生でも、若い人は読書量が少なすぎる。教科書に書かれていれば、教えちゃう。私は教科書に書かれていても、自分のものになっていなければ教えない。
それにしてもニセ科学。なんだこれ?どうしてこんなことを教室で取り上げちゃうの?
《水からの伝言》なんて、学教の先生が本当に信じちゃうの?水に感情があって、それによって結晶が変化する?・・・馬鹿じゃないの。《EM》ってのも、もう最初っから詐欺まがいって分かりきってる。相手にする方がおかしい。
日本人は本質から遠いところで物事を判断することがあるからね。そういうことにならされちゃうと、馬鹿げた結末に続く道に足を踏み入れちゃうことがあるんだよね。

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