『未踏の野を過ぎて』 渡辺京二
『男はつらいよ お帰り 寅さん』を見てきた。腰が抜けた。立ち上がれない。寅さんは、ここまで凄かったか。
満男は泉ちゃんじゃない人と結婚して、奥さんは6年前になくなっていた。一人娘はもうすぐ高校受験って感じかな。そうそう、靴の卸の会社に就職したんだよね。その会社を辞めて、小説家になっていた。物書きとして食っていけるかどうか、これからが正念場って感じかな。
泉ちゃんは、結局、母親から逃げるために海外にいる親戚を頼り、そちらに生活の基盤を移した。結婚して家族も持ったようだ。今は国連の仕事をしていて、その仕事の一環で日本に戻り、偶然、満男に巡り会う。
生きるっていうのは、基本的に苦しいものだ。思いのままにならない人生だ。何でも思いのままに生きているつもりの人がいたら、それは、なんか勘違いをしているのだろう。あるいはガキか。
『男はつらいよ』っていう映画は、それを大前提としている。生きていくっていうのはつらいもんだ。だけど、祖運な人生だからこそ、・・・。すべてはそこから始まる。
渡辺京二さんは言う。「忘れたのか」と。
満州にいた日本人民間人に、ソ連軍は襲いかかった。多くの日本人老若男女が、絶望の果てに死んだ。引揚げることが出来た者たちも、着の身着のままだった。原発事故どころではない。広島と長崎には、人口密集地を狙って原爆を投下された。爆心地にいた人々は、溶けた。屋内にいた者たちは、圧死した。火に焼かれた者は、やけどに苦しんだあげくに死んだ。それを逃れた者も、放射能からは逃げ切れなかった。日本中の都市が、空襲された。アメリカは銃後の人々をあえて狙った。インディアンを殲滅したときと同じだった。
アメリカとは前向きな関係を築くんだと言う人がいる。腹には一物を持ってのことと思っていたが、もしかしたら本当に忘れたのかもしれない。


三陸は明治にも大津波が来て、何万という人が死んだという。関東大震災だって10万人死んでいる。その時は首都中枢が壊滅している。
そんな経験をした日本が、慌てふためいた。「日本は立ち直れるのか」と。東北の人々が、・・・ではない。東北三県の人々はよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。慌てふためいているのはメディアであり、災害を受けなかった人々だ。「放射能がうつる」とほざいた馬鹿もいた。
地震でも、津波でも、火山の噴火でも、台風でも、たやすく人が死ぬ。日本人は、それに耐えられなくなったようだ。そればかりではない。スイッチを押せば、快適な生活が向こうからやってくる。そんな日常でないと、“人間らしい”とは言えないかのようだ。
渡辺さんが、そんな世界に安住してきたからこの世の終わりのように騒ぎ立てることになると言った“人工的世界”がそれに当たる。
欧米ではペストが人の生き方を変えたという。子孫のために何かを残すのは無意味となった。将来のために今を我慢しても、その前に死んでしまっては元も子のない。今が大事。今楽しまなければ意味がない。
私たちの祖先は、生き残るために、慌てふためかず、今起きていることを受け入れて、助け合うことを選んだ。選んだと言うよりも、それ以外の選択肢はなかった。あまりにも自然災害の多い島だったからだ。
渡辺さんの言葉は重い。
《今回の災害ごときで動転して、ご先祖様に顔も受けできると思うか》
人工的な世界に安住してきたことが日本人の意識を貧弱にした。たしかにそうだろう。そりゃ結局、電気に担保された世界。石油に担保された世界。原子力に担保された世界。
寒い朝に人より早く起きて、かじかむ手に息を吹きかけながら火をおこし、家族のために部屋を暖めた人のことを思わずに、スイッチ一つで部屋が暖まることに意味を持たせることは出来ないだろう。
満男は泉ちゃんじゃない人と結婚して、奥さんは6年前になくなっていた。一人娘はもうすぐ高校受験って感じかな。そうそう、靴の卸の会社に就職したんだよね。その会社を辞めて、小説家になっていた。物書きとして食っていけるかどうか、これからが正念場って感じかな。
泉ちゃんは、結局、母親から逃げるために海外にいる親戚を頼り、そちらに生活の基盤を移した。結婚して家族も持ったようだ。今は国連の仕事をしていて、その仕事の一環で日本に戻り、偶然、満男に巡り会う。
生きるっていうのは、基本的に苦しいものだ。思いのままにならない人生だ。何でも思いのままに生きているつもりの人がいたら、それは、なんか勘違いをしているのだろう。あるいはガキか。
『男はつらいよ』っていう映画は、それを大前提としている。生きていくっていうのはつらいもんだ。だけど、祖運な人生だからこそ、・・・。すべてはそこから始まる。
渡辺京二さんは言う。「忘れたのか」と。
満州にいた日本人民間人に、ソ連軍は襲いかかった。多くの日本人老若男女が、絶望の果てに死んだ。引揚げることが出来た者たちも、着の身着のままだった。原発事故どころではない。広島と長崎には、人口密集地を狙って原爆を投下された。爆心地にいた人々は、溶けた。屋内にいた者たちは、圧死した。火に焼かれた者は、やけどに苦しんだあげくに死んだ。それを逃れた者も、放射能からは逃げ切れなかった。日本中の都市が、空襲された。アメリカは銃後の人々をあえて狙った。インディアンを殲滅したときと同じだった。
アメリカとは前向きな関係を築くんだと言う人がいる。腹には一物を持ってのことと思っていたが、もしかしたら本当に忘れたのかもしれない。
『未踏の野を過ぎて』 渡辺京二 弦書房 ¥ 2,200 ことば、生と死、仕事、身分、秩序、教育、環境など現代がかかえる歪みを鋭く分析 |
三陸は明治にも大津波が来て、何万という人が死んだという。関東大震災だって10万人死んでいる。その時は首都中枢が壊滅している。
そんな経験をした日本が、慌てふためいた。「日本は立ち直れるのか」と。東北の人々が、・・・ではない。東北三県の人々はよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。慌てふためいているのはメディアであり、災害を受けなかった人々だ。「放射能がうつる」とほざいた馬鹿もいた。
地震でも、津波でも、火山の噴火でも、台風でも、たやすく人が死ぬ。日本人は、それに耐えられなくなったようだ。そればかりではない。スイッチを押せば、快適な生活が向こうからやってくる。そんな日常でないと、“人間らしい”とは言えないかのようだ。
渡辺さんが、そんな世界に安住してきたからこの世の終わりのように騒ぎ立てることになると言った“人工的世界”がそれに当たる。
欧米ではペストが人の生き方を変えたという。子孫のために何かを残すのは無意味となった。将来のために今を我慢しても、その前に死んでしまっては元も子のない。今が大事。今楽しまなければ意味がない。
私たちの祖先は、生き残るために、慌てふためかず、今起きていることを受け入れて、助け合うことを選んだ。選んだと言うよりも、それ以外の選択肢はなかった。あまりにも自然災害の多い島だったからだ。
渡辺さんの言葉は重い。
《今回の災害ごときで動転して、ご先祖様に顔も受けできると思うか》
人工的な世界に安住してきたことが日本人の意識を貧弱にした。たしかにそうだろう。そりゃ結局、電気に担保された世界。石油に担保された世界。原子力に担保された世界。
寒い朝に人より早く起きて、かじかむ手に息を吹きかけながら火をおこし、家族のために部屋を暖めた人のことを思わずに、スイッチ一つで部屋が暖まることに意味を持たせることは出来ないだろう。

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