関八州から日和田山縦走
27日と28日が天気良さそうだったので、どちらか山に行きたい。27日は寅さんの封切りを優先して28日が今年の歩き納め。場所は、地元の奥武蔵の山にした。それも身近な越生、毛呂山、日高の山。完全にホームグラウンド。交通の便の関係で、高麗駅近くに車を止めて西吾野駅から山に入る。
歩き納めなんて、意識したことはなかった。だけど今年は、3月いっぱいで仕事を辞めた。人生に何度もない大きな転機。自治会長になっちゃったんで、なんだか半分仕事しているようなところもあるんだけど、大きな転機には違いない。
私が四六時中家にいると、連れ合いには迷惑な話だろう。おそらく、山をほっつき歩くのは、そういう点から言っても悪くないはず。なんて勝手に決めつけて、今年、山をほっつき歩いたのは60日を超えた。
多いのか少ないのか。でも、あんまり頑張ると体が疲れる。適当にテントで泊まって、ゆとりで歩く方がいいと思うんだけど、自治会長を終えたらそうしようかな。テントで泊まり歩くようになったら、連れ合いはどう思うだろう。・・・まあ、様子を見よう。
6時半過ぎ、まだ暗い西吾野駅から歩き出す。寒い。準備したが、ヘッ電の必要はない。まずは高山不動を目指す。北川を遡るように歩き、川を渡ったあたりが登山口。パノラマコースと名がつくが、それほど景色が広がるわけでもない。ただ二度ほど、高麗川の向こう側の山に日が当たるのを眺められるところがあった。上の山には冠雪が見える。雪があるとなると長沢背稜か。
(山間の小さな駅 この季節、この時間帯は寒い)
(パノラマコースを登り初めてしばらくすると、高麗川の向こう側の山が赤く染まる)
(だいぶ体も温まる。ヤッケの下のフリースを脱ぐ)
お地蔵さまの分岐あたりで日が当たり始める。日差しが温かいが、風がある。風当たりがいいたか場所に出ると、凍える。ここまで上れば高山不動までは平行移動。
(古くからの信仰の道なんだな)
西吾野から1時間半ほどで高山不動に到着。ようやく凍えた手も温まった。階段上の不動堂がでかい。覆い被さってくるようだ。ここからも景色が広がっている。今日初めての富士山を見る。
(由緒は秩父平氏にさかのぼる)
(今日初めての富士山)
ここから関八州見晴まではひたすらの登り。見晴台には高山不動奥の院があり、登りがきついくらいの方がありがたみが増す。関八州見晴って言う名前も伊達ではない。東京方面を見ると地平が光っている。おそらく東京湾。その向こうは房総半島。安房、上総、下総、右に目を転じれば大山から丹沢の山々で相模、富士山ドカーンで甲斐、場所を変えれば筑波山で常陸、向こうに見える日光、赤城で下野、上野、ここは武蔵で関八州。
(関東平野 来年、いい年だといいな)
(奥の院の祠と、向こうは武甲山)
(御前山越しの富士山)
(武甲山と両神山)
(なんか年賀状みたい)
おむすびを一つ食べて先へ。
傘杉峠から黒山への道は入山お断り。大平山方面も入山お断り。もちろん台風19号の影響。そうそう、台風19号も忘れちゃいけない。台風の二日後に伊豆が岳周辺を、三日目に越生周辺を歩いたんだ。傘杉峠から黒山に下山して、ひどい崩落を越生町に連絡をした。今はどうなってるんだろう。そのうち歩いてみたい。
顔振峠からの富士山もきれいだった。結局この日、最後の日和田山まで、ずっと富士山と一緒だった。この間歩いた奥多摩の石尾根の富士山はでかかったけど、ここからの富士山も、またいい。最初は大岳よりも、御前山の背景にあった富士山が、次第に大岳よりになり、はては大岳を通り越して、大岳の左手に出る。移動する富士山。
(ここでは、富士山が御前山の左手に)
(大岳山に近づく)
顔振峠上の雨乞い塚でおむすびを一つ食べる。
(関東平野の向こうに筑波山)
阿寺諏訪神社を経て越上山に登る。景色がないので、いつもは通過していたんだけど、今日は登ってみた。越上山は久しぶりだ。これは「おがみやま」と読む。
(阿寺諏訪神社)
(「ここから東京スカイツリーが見えます」ご親切にどうも)
(お昼前後でこのクリアーさ)
(岩山なんだけど、景色がないのは残念)
越上山を過ぎると毛呂山町の山に移る。向こうに下れば鎌北湖だ。この先は、つい最近歩いたばかり。少し行けば、大好きな見晴台がある。鉄塔の台だけが残る場所だ。今日の天気もいい。風は相変わらず強い。ラーメンを食べる。
(さっき登ってきた越上山)
(富士山が大岳山に近づく)
(荷物を広げてお昼の準備)
(見晴らしラーメン)
山並みに沿って奥武蔵グリーンラインという舗装された林道が走っている。道は時々グリーンラインに下りながら南下する。スカリ山、観音ヶ岳は狭い山頂ながら、それなりに展望が楽しめる。
(愛宕山からの富士山 ついに大岳山の左側に)
山並みは物見山、最後に日和田山で尽きる。しかし、最後の日和田山は、305mの低山ながら、今日の行程の中でも一番山頂らしい山頂と言うべきか、それなりの品格がある。さらに10分ほど下には金刀比羅神社があって、ここが絶好の見晴台。
(そこが日和田山山頂)
(午後2時近くでこのクリアーさは初めて)
(この日最後の富士山 一日どうもありがとう)
(金刀比羅神社まえの見晴らし 日高の町がいい)
(鳥居の向こうに巾着田)
この日は人が少なかったが、ここだけは別。2時過ぎ、私が下山する時間になっても、これから山頂を目指す人と何度もすれ違った。
さて、明日は家中の窓を拭く。
この日歩いたのは、以下のようなコース
歩き納めなんて、意識したことはなかった。だけど今年は、3月いっぱいで仕事を辞めた。人生に何度もない大きな転機。自治会長になっちゃったんで、なんだか半分仕事しているようなところもあるんだけど、大きな転機には違いない。
私が四六時中家にいると、連れ合いには迷惑な話だろう。おそらく、山をほっつき歩くのは、そういう点から言っても悪くないはず。なんて勝手に決めつけて、今年、山をほっつき歩いたのは60日を超えた。
多いのか少ないのか。でも、あんまり頑張ると体が疲れる。適当にテントで泊まって、ゆとりで歩く方がいいと思うんだけど、自治会長を終えたらそうしようかな。テントで泊まり歩くようになったら、連れ合いはどう思うだろう。・・・まあ、様子を見よう。
6時半過ぎ、まだ暗い西吾野駅から歩き出す。寒い。準備したが、ヘッ電の必要はない。まずは高山不動を目指す。北川を遡るように歩き、川を渡ったあたりが登山口。パノラマコースと名がつくが、それほど景色が広がるわけでもない。ただ二度ほど、高麗川の向こう側の山に日が当たるのを眺められるところがあった。上の山には冠雪が見える。雪があるとなると長沢背稜か。



お地蔵さまの分岐あたりで日が当たり始める。日差しが温かいが、風がある。風当たりがいいたか場所に出ると、凍える。ここまで上れば高山不動までは平行移動。

西吾野から1時間半ほどで高山不動に到着。ようやく凍えた手も温まった。階段上の不動堂がでかい。覆い被さってくるようだ。ここからも景色が広がっている。今日初めての富士山を見る。


ここから関八州見晴まではひたすらの登り。見晴台には高山不動奥の院があり、登りがきついくらいの方がありがたみが増す。関八州見晴って言う名前も伊達ではない。東京方面を見ると地平が光っている。おそらく東京湾。その向こうは房総半島。安房、上総、下総、右に目を転じれば大山から丹沢の山々で相模、富士山ドカーンで甲斐、場所を変えれば筑波山で常陸、向こうに見える日光、赤城で下野、上野、ここは武蔵で関八州。





おむすびを一つ食べて先へ。
傘杉峠から黒山への道は入山お断り。大平山方面も入山お断り。もちろん台風19号の影響。そうそう、台風19号も忘れちゃいけない。台風の二日後に伊豆が岳周辺を、三日目に越生周辺を歩いたんだ。傘杉峠から黒山に下山して、ひどい崩落を越生町に連絡をした。今はどうなってるんだろう。そのうち歩いてみたい。
顔振峠からの富士山もきれいだった。結局この日、最後の日和田山まで、ずっと富士山と一緒だった。この間歩いた奥多摩の石尾根の富士山はでかかったけど、ここからの富士山も、またいい。最初は大岳よりも、御前山の背景にあった富士山が、次第に大岳よりになり、はては大岳を通り越して、大岳の左手に出る。移動する富士山。


顔振峠上の雨乞い塚でおむすびを一つ食べる。

阿寺諏訪神社を経て越上山に登る。景色がないので、いつもは通過していたんだけど、今日は登ってみた。越上山は久しぶりだ。これは「おがみやま」と読む。




越上山を過ぎると毛呂山町の山に移る。向こうに下れば鎌北湖だ。この先は、つい最近歩いたばかり。少し行けば、大好きな見晴台がある。鉄塔の台だけが残る場所だ。今日の天気もいい。風は相変わらず強い。ラーメンを食べる。




山並みに沿って奥武蔵グリーンラインという舗装された林道が走っている。道は時々グリーンラインに下りながら南下する。スカリ山、観音ヶ岳は狭い山頂ながら、それなりに展望が楽しめる。

山並みは物見山、最後に日和田山で尽きる。しかし、最後の日和田山は、305mの低山ながら、今日の行程の中でも一番山頂らしい山頂と言うべきか、それなりの品格がある。さらに10分ほど下には金刀比羅神社があって、ここが絶好の見晴台。





この日は人が少なかったが、ここだけは別。2時過ぎ、私が下山する時間になっても、これから山頂を目指す人と何度もすれ違った。
さて、明日は家中の窓を拭く。
この日歩いたのは、以下のようなコース


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