『スゴい!埼玉うどん王国宣言』 永谷晶久
子どもの頃は、夕ご飯には必ずうどんがついた。
生まれ育った秩父は土地柄稲作には不向きな土地だったので、そういう習慣が根付いたのだろう。夕方、ご飯の準備が始まると、母親に言われてうどんをこねた。買い物を言いつけられるのは嫌いだったが、家での仕事をするのは嫌じゃなかった。母は大きな鍋におつゆを作って、たくさんの野菜をいれておく。そして、私がこねたうどんを切って、次々に鍋に放り込む。そのまま食べるので、おつゆはとろみがついて熱々だ。《おっきりこみ》という。冬場は大体これだった。
まず、残らない。たまに残ったら、翌日これを温めて、ご飯にかけて食べると、とてもうまい。おっきりこみ丼だな。
子どもの頃はよく風邪を引いたんだけど、少しくらいの風邪っ気なら、おっきりこみを食べてそのまま布団に潜り込めば直った。高校くらいからはほとんど風邪も引かなくなったが、一人暮らしをするようになって、久しぶりに風邪を引いたとき、寒気をこらえてうどんを打って、おっきりこみにして食べた。案の定、翌朝には直っていた。
こねた生地を寝かせるなんて上品なことはしなかった。母は忙しく麺を伸ばし、たたんで切った。それでも手間がかかったらしく、そのうち生地のままセットして、取っ手を回せば麺になって出てくる製麺機を買った。これを買ったことで、私の仕事はうどんの麺を打つ全行程に拡大した。
さて、『スゴい!埼玉うどん王国宣言』 という本だ。
埼玉県が《うどん王国》であることに疑いはない。徳島がどうのという話ではない。互いに持っている文化の奥深さは尊重し合わなければならない。
ただし、問題がある。埼玉と限定するとうどん文化の本質を見誤ることになりかねない。なにしろ群馬県だってそうなのだ。群馬県だって《うどん王国》と言ったってちっともおかしくない県なのだ。このことは、重大だ。
本質は、北関東小麦粉文化だ。
埼玉県北部と群馬、実は食文化において、そこに境目はない。埼玉県北部は荒川を遡って秩父につながり、秩父は信州にもつながっている。共通するのは山を背後にしていることで、食料生産には何かと苦労してきたと言うことだ。端的に言えば水田を広く構えることが難しく、畑で麦を育てた場所だったと言うことだ。山間部ではそれすら難しく、麦がそばになる。
長野のお焼き、群馬の焼きまんじゅうなんかも、そんな小麦粉文化圏の工夫された食生活だな。


秩父では《たらし焼き》というのを食べた。粉を水で溶いて、フライパンで焼く。それだけだ。具は・・・、記憶にない。祖母に焼いてもらって味噌を挟んで食べた。行田の方に行くと《フライ》というのがある。これはネギが入っていた。ソース味だった。おそらく、それが利根川沿いに伝わって、江戸川に入り、もんじゃ焼きになったんだろう。
群馬から北関東というと、明治の日本経済を支えた大養蚕・生糸産業地帯でもある。富岡製糸場ほかで生産された生糸は八高線で運ばれていく。秩父もそうだった。私の母が若い頃は、蚕の雄雌を見分ける免許を持てば、女でも食いっぱぐれることはないと言われたそうだ。高崎はじめ、鉄道沿いから集められた生糸は八王子を経て横浜へ運ばれ、そこから海外に運ばれていった。
非常に共通性の高い文化圏を、何も埼玉、群馬とわけて考える必要はない。是非ここは、北関東小麦粉文化圏として捉えてもらいたい。
埼玉のうどんの食い方は25種類ほどあるようだ。ただ、最近のものが多い。麺に何かを練り込んだものなんかは、新しいものだろう。秩父では、冬場、《おっきりこみ》をよく食べたことは上に書いた。秩父のうどんとしてもう一つ紹介されているのが《ずりあげうどん》。
《ずりあげ》と呼んでいたが、これを出している店があるのに驚いた。店で出すようなものではない。家族や、ごく親しい者だけの時、一つの鍋でうどんをゆでて、そこからうどんを引揚げて、生醤油につけて食べる。
「めんどくせぇから、今日は《ずりあげ》すべーや」と言って食べるものなのだ。これを店で出すとは、さらに食う客がいるとは驚きだ。
うどんの名店といわれる店が紹介されている。いくつかは入ったことのある店だった。これをもとに、連れ合いとうどん巡りもいいかもしれない。
最後に埼玉を代表する優良企業《山田うどん》。時々、「山田とどん」と言う奴がいる。・・・わざとね。
近くにある山田うどんが台風19号で被災して以来、ずっと店を閉めている。再開を待ちわびるのは、私だけではないはずだ。
頑張れ、山田とどん!
生まれ育った秩父は土地柄稲作には不向きな土地だったので、そういう習慣が根付いたのだろう。夕方、ご飯の準備が始まると、母親に言われてうどんをこねた。買い物を言いつけられるのは嫌いだったが、家での仕事をするのは嫌じゃなかった。母は大きな鍋におつゆを作って、たくさんの野菜をいれておく。そして、私がこねたうどんを切って、次々に鍋に放り込む。そのまま食べるので、おつゆはとろみがついて熱々だ。《おっきりこみ》という。冬場は大体これだった。
まず、残らない。たまに残ったら、翌日これを温めて、ご飯にかけて食べると、とてもうまい。おっきりこみ丼だな。
子どもの頃はよく風邪を引いたんだけど、少しくらいの風邪っ気なら、おっきりこみを食べてそのまま布団に潜り込めば直った。高校くらいからはほとんど風邪も引かなくなったが、一人暮らしをするようになって、久しぶりに風邪を引いたとき、寒気をこらえてうどんを打って、おっきりこみにして食べた。案の定、翌朝には直っていた。
こねた生地を寝かせるなんて上品なことはしなかった。母は忙しく麺を伸ばし、たたんで切った。それでも手間がかかったらしく、そのうち生地のままセットして、取っ手を回せば麺になって出てくる製麺機を買った。これを買ったことで、私の仕事はうどんの麺を打つ全行程に拡大した。
さて、『スゴい!埼玉うどん王国宣言』 という本だ。
埼玉県が《うどん王国》であることに疑いはない。徳島がどうのという話ではない。互いに持っている文化の奥深さは尊重し合わなければならない。
ただし、問題がある。埼玉と限定するとうどん文化の本質を見誤ることになりかねない。なにしろ群馬県だってそうなのだ。群馬県だって《うどん王国》と言ったってちっともおかしくない県なのだ。このことは、重大だ。
本質は、北関東小麦粉文化だ。
埼玉県北部と群馬、実は食文化において、そこに境目はない。埼玉県北部は荒川を遡って秩父につながり、秩父は信州にもつながっている。共通するのは山を背後にしていることで、食料生産には何かと苦労してきたと言うことだ。端的に言えば水田を広く構えることが難しく、畑で麦を育てた場所だったと言うことだ。山間部ではそれすら難しく、麦がそばになる。
長野のお焼き、群馬の焼きまんじゅうなんかも、そんな小麦粉文化圏の工夫された食生活だな。
『スゴい!埼玉うどん王国宣言』 永谷晶久 大空出版 ¥ 1,100 「うどん県」香川県への挑戦状!? 埼玉県は知られざる「うどん王国」だった! |
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秩父では《たらし焼き》というのを食べた。粉を水で溶いて、フライパンで焼く。それだけだ。具は・・・、記憶にない。祖母に焼いてもらって味噌を挟んで食べた。行田の方に行くと《フライ》というのがある。これはネギが入っていた。ソース味だった。おそらく、それが利根川沿いに伝わって、江戸川に入り、もんじゃ焼きになったんだろう。
群馬から北関東というと、明治の日本経済を支えた大養蚕・生糸産業地帯でもある。富岡製糸場ほかで生産された生糸は八高線で運ばれていく。秩父もそうだった。私の母が若い頃は、蚕の雄雌を見分ける免許を持てば、女でも食いっぱぐれることはないと言われたそうだ。高崎はじめ、鉄道沿いから集められた生糸は八王子を経て横浜へ運ばれ、そこから海外に運ばれていった。
非常に共通性の高い文化圏を、何も埼玉、群馬とわけて考える必要はない。是非ここは、北関東小麦粉文化圏として捉えてもらいたい。
埼玉のうどんの食い方は25種類ほどあるようだ。ただ、最近のものが多い。麺に何かを練り込んだものなんかは、新しいものだろう。秩父では、冬場、《おっきりこみ》をよく食べたことは上に書いた。秩父のうどんとしてもう一つ紹介されているのが《ずりあげうどん》。
《ずりあげ》と呼んでいたが、これを出している店があるのに驚いた。店で出すようなものではない。家族や、ごく親しい者だけの時、一つの鍋でうどんをゆでて、そこからうどんを引揚げて、生醤油につけて食べる。
「めんどくせぇから、今日は《ずりあげ》すべーや」と言って食べるものなのだ。これを店で出すとは、さらに食う客がいるとは驚きだ。
うどんの名店といわれる店が紹介されている。いくつかは入ったことのある店だった。これをもとに、連れ合いとうどん巡りもいいかもしれない。
最後に埼玉を代表する優良企業《山田うどん》。時々、「山田とどん」と言う奴がいる。・・・わざとね。
近くにある山田うどんが台風19号で被災して以来、ずっと店を閉めている。再開を待ちわびるのは、私だけではないはずだ。
頑張れ、山田とどん!

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