『日本史で読み解く日本人』 井沢元彦
1月13日、成人の日に書いている。
今は1月の第二月曜日になっているが、ちょっと前までは1月15日だった。自分の時は東京にいた。地元秩父で行われた成人式には出ていない。家族も特に気にしていなかった。・・・いや、おそらく気にしていたんだろう。成人式にも帰ろうとしない息子にあきれていたかもしれない。きっとそうだ。
だけど、そのたった4年後に、そのあきれた息子は結婚をする。結婚したのが1月15日だった。
私は無意識に、大事なことと大事ではないことを分けてしまっているらしい。大事なことはとても真剣に取り組むことが出来るんだけど、大事でないことは・・・忘れてしまう。無意識に分けてしまう大事なことと大事ではないことの基準が、周りの人と一致していればいいんだけど、ちょっと違う。連れ合いとも違う。忘れてしまったことのなかに、時々彼女がとても大事にしていることがあったりする。そうすると、とても怒る。
結婚式を1月15日にしておいたことは、後の私をとても助けてくれた。成人の日だからね。忘れないでいられた。
成人式には出ておけば良かったと思う。テレビなんかで見たことはあるけど、あれは式のごく一部、全体は知らない。始まる前も、終わったあとも知らない。出ておけば良かったなぁ。
だけど、今の成人式は出ても出なくても、実際にはなんの変化もない。これが少し前だと違ってくる。何しろ徴兵検査だからね。大人になったら戦争に行く。戦争に行って国を守る。分かりやすい。もっとさかのぼれば元服。大人になったら戦に行く。戦に行って家と家族を守る。さらに分かりやすい。
物事は、分かりやすいのがいい。
分かりやすいのがいいという点で言えば、この本はとてもいい。とても分かりやすい。『逆説の日本史』は第一巻から読んでいる。ほぼ、1年に1巻のペースで出版されて現在24巻、副題は『明治躍進編 帝国憲法と日清開戦の謎』とようやく明治中頃までやってきた。平成初期に始まったシリーズは、平成をはみ出て続けられている。
そのエッセンスを一冊にまとめたのがこの本と言えばいいか。普通、そこまで濃縮しちゃうと、なんだか苦くなったり、辛くなったりして、とても口に出来なくなっちゃったりするんだけど、この本は違う。おそらく今までで、一番分かりやすい。


何が書かれているかと言えば、上記の目次を見たとおり。
章を越えて強調されるのは、日本人はなによりも“和”を尊ぶ者たちであると言うこと。日本はかつて、“中国”大陸の王朝から“倭”と呼ばれたいた。音は“和”と同じ「わ」である。この本の中で井沢さんが、そのことに触れている。大陸は朝貢に来た国の名前に漢字を当てる。その際、相手をさげすんだ漢字を当てる。“倭”は、取るに足りないとか、小さなとか、背の曲がったとか言う意味があるらしい。
自分たちの名前に漢字を当ててもらった「わ」の人々は喜んで、“倭”を大事にした。「やまと」を名乗るようになってからも、“倭”の字を「やまと」と呼んで使っていた。“倭”に悪い意味があることを知ったときは悲しかっただろう。「やまと」には、改めていい漢字を当てることにしたんだろう。もちろん、本来持っていた意味を取り戻せる漢字として選ばれたのが“和”。これを強調して“大和”と言うことではなかったか。
井沢さんは、日本人が自らを「わ」と呼ぶようになったのは、吉野ヶ里遺跡など弥生時代の遺跡に見られる環濠集落が始まりだろうと言っている。輪のような深い堀に取り囲まれた集落を「わ」と呼んでいたのではないかと書いている。そして環濠集落の内部の結束を保つ共同原理として“和”を重んじたのではと書いている。
とすると、“和”の原理が強く意識されたのは弥生時代と言うことになる。だけど、その起源はもっと前じゃないかな。
日本固有の“和”の精神と言うことで考えれば、そこに影響を与えているのは、この日本列島の特殊性に由来するものだろう。古代史を考えるときにつきものの天災・疫病・飢饉だけど、なかでも天災に関して言えば、世界でもとびきり多いのが日本列島の特徴だろう。
恵みとともに天災の脅威を与えるこの列島の自然は、人々にとって自分たちの生殺与奪を左右する崇敬の対象であったろう。繰り返される天災に、人々は助け合って生きることを学び、その“和”を乱す者、乱す行為を忌み嫌うようになったってことは納得がいく。起源は古く縄文に、日本人の“和”を尊ぶ由来がありそうだ。
弥生時代は環状集落を作らざるを得ないような、言わば荒れた時代だった。そんなときだからこそ、“和”という意識が、逆に強く意識されるようになったのかもしれない。
ちょっと思っていたことと違う方向に、話を進めてしまった。
井沢さんは、依頼されて、何度も講演会を行なってきたそうだ。そこで、自説を語ってきた。その講演録を元にして書いたのがこの本だそうだ。文字に残すときよりも、講演会で話す内容ってのは、しっかり吟味するんだそうだ。書いたものなら読み返しも効くけど、講演の話を聞き直すわけにはいかないからね。
だから、一度聞いただけで分かるだろうかと言うことに気を遣いながら、講演内容を練り直すんだそうだ。この本は、その内容を元にして書かれたものだから、ここまで分かりやすいんだろう。
駅で成人式に向かう若者を見た。私は今年、三度目の成人式だな。
今は1月の第二月曜日になっているが、ちょっと前までは1月15日だった。自分の時は東京にいた。地元秩父で行われた成人式には出ていない。家族も特に気にしていなかった。・・・いや、おそらく気にしていたんだろう。成人式にも帰ろうとしない息子にあきれていたかもしれない。きっとそうだ。
だけど、そのたった4年後に、そのあきれた息子は結婚をする。結婚したのが1月15日だった。
私は無意識に、大事なことと大事ではないことを分けてしまっているらしい。大事なことはとても真剣に取り組むことが出来るんだけど、大事でないことは・・・忘れてしまう。無意識に分けてしまう大事なことと大事ではないことの基準が、周りの人と一致していればいいんだけど、ちょっと違う。連れ合いとも違う。忘れてしまったことのなかに、時々彼女がとても大事にしていることがあったりする。そうすると、とても怒る。
結婚式を1月15日にしておいたことは、後の私をとても助けてくれた。成人の日だからね。忘れないでいられた。
成人式には出ておけば良かったと思う。テレビなんかで見たことはあるけど、あれは式のごく一部、全体は知らない。始まる前も、終わったあとも知らない。出ておけば良かったなぁ。
だけど、今の成人式は出ても出なくても、実際にはなんの変化もない。これが少し前だと違ってくる。何しろ徴兵検査だからね。大人になったら戦争に行く。戦争に行って国を守る。分かりやすい。もっとさかのぼれば元服。大人になったら戦に行く。戦に行って家と家族を守る。さらに分かりやすい。
物事は、分かりやすいのがいい。
分かりやすいのがいいという点で言えば、この本はとてもいい。とても分かりやすい。『逆説の日本史』は第一巻から読んでいる。ほぼ、1年に1巻のペースで出版されて現在24巻、副題は『明治躍進編 帝国憲法と日清開戦の謎』とようやく明治中頃までやってきた。平成初期に始まったシリーズは、平成をはみ出て続けられている。
そのエッセンスを一冊にまとめたのがこの本と言えばいいか。普通、そこまで濃縮しちゃうと、なんだか苦くなったり、辛くなったりして、とても口に出来なくなっちゃったりするんだけど、この本は違う。おそらく今までで、一番分かりやすい。
『日本史で読み解く日本人』 井沢元彦 PHP研究所 ¥ 1,540 日本人は無宗教ではない。世界には見られない独自の宗教観を持っている |
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何が書かれているかと言えば、上記の目次を見たとおり。
章を越えて強調されるのは、日本人はなによりも“和”を尊ぶ者たちであると言うこと。日本はかつて、“中国”大陸の王朝から“倭”と呼ばれたいた。音は“和”と同じ「わ」である。この本の中で井沢さんが、そのことに触れている。大陸は朝貢に来た国の名前に漢字を当てる。その際、相手をさげすんだ漢字を当てる。“倭”は、取るに足りないとか、小さなとか、背の曲がったとか言う意味があるらしい。
自分たちの名前に漢字を当ててもらった「わ」の人々は喜んで、“倭”を大事にした。「やまと」を名乗るようになってからも、“倭”の字を「やまと」と呼んで使っていた。“倭”に悪い意味があることを知ったときは悲しかっただろう。「やまと」には、改めていい漢字を当てることにしたんだろう。もちろん、本来持っていた意味を取り戻せる漢字として選ばれたのが“和”。これを強調して“大和”と言うことではなかったか。
井沢さんは、日本人が自らを「わ」と呼ぶようになったのは、吉野ヶ里遺跡など弥生時代の遺跡に見られる環濠集落が始まりだろうと言っている。輪のような深い堀に取り囲まれた集落を「わ」と呼んでいたのではないかと書いている。そして環濠集落の内部の結束を保つ共同原理として“和”を重んじたのではと書いている。
とすると、“和”の原理が強く意識されたのは弥生時代と言うことになる。だけど、その起源はもっと前じゃないかな。
日本固有の“和”の精神と言うことで考えれば、そこに影響を与えているのは、この日本列島の特殊性に由来するものだろう。古代史を考えるときにつきものの天災・疫病・飢饉だけど、なかでも天災に関して言えば、世界でもとびきり多いのが日本列島の特徴だろう。
恵みとともに天災の脅威を与えるこの列島の自然は、人々にとって自分たちの生殺与奪を左右する崇敬の対象であったろう。繰り返される天災に、人々は助け合って生きることを学び、その“和”を乱す者、乱す行為を忌み嫌うようになったってことは納得がいく。起源は古く縄文に、日本人の“和”を尊ぶ由来がありそうだ。
弥生時代は環状集落を作らざるを得ないような、言わば荒れた時代だった。そんなときだからこそ、“和”という意識が、逆に強く意識されるようになったのかもしれない。
ちょっと思っていたことと違う方向に、話を進めてしまった。
井沢さんは、依頼されて、何度も講演会を行なってきたそうだ。そこで、自説を語ってきた。その講演録を元にして書いたのがこの本だそうだ。文字に残すときよりも、講演会で話す内容ってのは、しっかり吟味するんだそうだ。書いたものなら読み返しも効くけど、講演の話を聞き直すわけにはいかないからね。
だから、一度聞いただけで分かるだろうかと言うことに気を遣いながら、講演内容を練り直すんだそうだ。この本は、その内容を元にして書かれたものだから、ここまで分かりやすいんだろう。
駅で成人式に向かう若者を見た。私は今年、三度目の成人式だな。

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