『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会
この本、実は三年前に一度紹介している。
東名遺跡二関しては、とにかく出土品がすごいんだ。前にも紹介したけど、象徴的なのが編みかご。最古のものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。この東名遺跡は8000年前の遺跡なんだけど、それがかけらではなく原形をとどめ、模様まで確認できる。それがいくつも出てきた。もちろん同じものじゃない。用途に合わせて何種類も、さまざまな模様のものが出土している。
東名遺跡は佐賀県の有明海に面した丘の上にあったものらしいんだけど、そこで発見された貝塚は8000年前くらいから形成されたそうだ。そして、7400年前頃、急な海面の上昇で、貝塚は丘の上にあった居住区もろとも有明海に沈んだんだそうだ。彼らの生活の痕跡は有明海の粘土層の下に埋没し、貝塚の上部には5mの粘土層が堆積したそうだ。これが良かった。分厚い粘土で覆われたことで、構成の改変を受けず、極めて良好な状態で保存されていた。
貝塚はじめ、彼らの生活圏から出土する遺物、土器、石器、貝器、骨角器、木器、いずれも質量ともにすごい。前にこの本を紹介したとき、私はその遺物のすごさに圧倒されてしまった。特に編みかごだな。
結局、そこにスポットを当てて紹介してしまって、東名遺跡の価値に言及していませんでしたので、改めて取り上げてみました。
縄文時代っていうのは、非常に長く続いている。1万6000年前頃に始まり紀元前1000年頃までと、大雑把に数えて1万5000年間だからね。当初は前期・中期・後期に分けられていたようだけど、発掘や研究が進むにつれて、区分は細分化されていく。ちょっとウィキペディアを頼ると、《草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300 - 2,800年前)》という区分になってるようだ。
新たしい遺跡の方が多く見つかるし、保存状態もいいのは当たり前。そこでこの東名遺跡はどこに入るかということなんだけど、8000年前から7400年前まで継続した生活のあとということなので、早期(1万2000年前から7000年前)に該当するわけだ。
この間の、600年に及ぶ生活のあとが、人骨を含め、上記のような遺物とともに発見されたわけだ。文字通り、質量ともにすごいんだ。
東名遺跡の価値は、そこにある。


この貝塚は7400年前で途絶える。だけど、ここだけじゃないんだそうだ。九州から東北北部にいたる各地で縄文早期から前期初等に貝塚の断絶がある。全日本列島的にそれが起こったことを考えると、有明海で起こった海面上昇はそこだけの特殊なものではなく、地球的規模の温暖化による海面上昇が原因と考えられるという。
これがいわゆる縄文海進というものらしい。
何しろ遺物はかなり良好な状態で出てきますので、それを作るのにどんな材料が使われたか、どんな方法で作ったかが再現できるんだそうだ。そういう意味でも東名遺跡はすごいんだな。
さらには骨角・牙・貝で作った装身具が大量に発見されていて、・・・縄文時代だよ。8000年前の人が装身具で身を飾ることに、そこまで工夫を凝らしていたかと思うとうれしくなるじゃないか。
嘉納地区を流れる城原川の、海水と真水の混ざり合う地点で、榊に汐を取ってお面に振りかけるんだそうだ。そうすることで豊作祈願・災害除けなどの祈願を行うんだという。
鹿児島から出土した東名よりもさらに古い遺跡は、集落が環状に配置され、その中心に墓が築かれてるんだそうだ。祖先を中心に毎日の生活が送られていたらしい。祖先崇拝だな。
汐取り祭りの汐をかけるという行為が何を意味するか分からないが、人々が平安を祈念する対象は、ご先祖様だったんだろうな。
縄文時代、すでに人々は犬とともに暮らしていた。犬骨の発掘状況から、さまざまな関わり方があったらしい。解体痕を持つ出土例からして犬を肉、骨髄、腱、毛皮の供給源ともしていたらしい。同時にいわゆるペットとして、また猟犬としても使われていたようだ。骨の見つかり方から、どのような関わり方が成されたかが分かるんだそうだ。
昨年6月に、14年飼って死んだ猫のミィミィの遺体を、家の敷地の隅に埋めた。もう、骨になっちゃったかな。いつかあれが出土したら、どう思われるんだろう。そういや、その時、同じ場所からウサギの骨も見つかるはずだ。なんて仲のいい猫とウサギだろうということになるだろうか。
東名遺跡二関しては、とにかく出土品がすごいんだ。前にも紹介したけど、象徴的なのが編みかご。最古のものは滋賀県粟津湖底遺跡から出た破片で1万200年前のものなんだそうだ。この東名遺跡は8000年前の遺跡なんだけど、それがかけらではなく原形をとどめ、模様まで確認できる。それがいくつも出てきた。もちろん同じものじゃない。用途に合わせて何種類も、さまざまな模様のものが出土している。
東名遺跡は佐賀県の有明海に面した丘の上にあったものらしいんだけど、そこで発見された貝塚は8000年前くらいから形成されたそうだ。そして、7400年前頃、急な海面の上昇で、貝塚は丘の上にあった居住区もろとも有明海に沈んだんだそうだ。彼らの生活の痕跡は有明海の粘土層の下に埋没し、貝塚の上部には5mの粘土層が堆積したそうだ。これが良かった。分厚い粘土で覆われたことで、構成の改変を受けず、極めて良好な状態で保存されていた。
貝塚はじめ、彼らの生活圏から出土する遺物、土器、石器、貝器、骨角器、木器、いずれも質量ともにすごい。前にこの本を紹介したとき、私はその遺物のすごさに圧倒されてしまった。特に編みかごだな。
結局、そこにスポットを当てて紹介してしまって、東名遺跡の価値に言及していませんでしたので、改めて取り上げてみました。
縄文時代っていうのは、非常に長く続いている。1万6000年前頃に始まり紀元前1000年頃までと、大雑把に数えて1万5000年間だからね。当初は前期・中期・後期に分けられていたようだけど、発掘や研究が進むにつれて、区分は細分化されていく。ちょっとウィキペディアを頼ると、《草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)、早期(約1万2,000 - 7,000年前)、前期(約7,000 - 5,500年前)、中期(約5,500 - 4,500年前)、後期(約4,500 - 3,300年前)、晩期(約3,300 - 2,800年前)》という区分になってるようだ。
新たしい遺跡の方が多く見つかるし、保存状態もいいのは当たり前。そこでこの東名遺跡はどこに入るかということなんだけど、8000年前から7400年前まで継続した生活のあとということなので、早期(1万2000年前から7000年前)に該当するわけだ。
この間の、600年に及ぶ生活のあとが、人骨を含め、上記のような遺物とともに発見されたわけだ。文字通り、質量ともにすごいんだ。
東名遺跡の価値は、そこにある。
『縄文の奇跡 東名遺跡』 佐賀市教育委員会 雄山閣 ¥ 2,860 8000年前の日本には、すでに豊かな物質文化と精神文化が存在していた |
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この貝塚は7400年前で途絶える。だけど、ここだけじゃないんだそうだ。九州から東北北部にいたる各地で縄文早期から前期初等に貝塚の断絶がある。全日本列島的にそれが起こったことを考えると、有明海で起こった海面上昇はそこだけの特殊なものではなく、地球的規模の温暖化による海面上昇が原因と考えられるという。
これがいわゆる縄文海進というものらしい。
何しろ遺物はかなり良好な状態で出てきますので、それを作るのにどんな材料が使われたか、どんな方法で作ったかが再現できるんだそうだ。そういう意味でも東名遺跡はすごいんだな。
さらには骨角・牙・貝で作った装身具が大量に発見されていて、・・・縄文時代だよ。8000年前の人が装身具で身を飾ることに、そこまで工夫を凝らしていたかと思うとうれしくなるじゃないか。
それらと一緒に、お面が出土している。右の写真のようにお面には穴が開いていて、何かにくくりつけられてたしい。裏には縦にくぼみが走っているので棒にくく りつけられたのではないかということだ。 | ![]() |
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お面を棒にくくりつけてかざす。三年前にも書いたことなんだけど、実は、そういうお祭りが佐賀県にあるんだそうだ。そう、東名遺跡が発見された佐賀県に。この本にはシェーとり祭りなんて書いてあるから、三年前は「イヤミのお祭りか」なんて書いちゃったけど、ちゃんと調べた。《汐取り祭り》だった。 | ![]() |
鹿児島から出土した東名よりもさらに古い遺跡は、集落が環状に配置され、その中心に墓が築かれてるんだそうだ。祖先を中心に毎日の生活が送られていたらしい。祖先崇拝だな。
汐取り祭りの汐をかけるという行為が何を意味するか分からないが、人々が平安を祈念する対象は、ご先祖様だったんだろうな。
縄文時代、すでに人々は犬とともに暮らしていた。犬骨の発掘状況から、さまざまな関わり方があったらしい。解体痕を持つ出土例からして犬を肉、骨髄、腱、毛皮の供給源ともしていたらしい。同時にいわゆるペットとして、また猟犬としても使われていたようだ。骨の見つかり方から、どのような関わり方が成されたかが分かるんだそうだ。
昨年6月に、14年飼って死んだ猫のミィミィの遺体を、家の敷地の隅に埋めた。もう、骨になっちゃったかな。いつかあれが出土したら、どう思われるんだろう。そういや、その時、同じ場所からウサギの骨も見つかるはずだ。なんて仲のいい猫とウサギだろうということになるだろうか。

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