めんどくせぇことばかり 『60歳からの新・幸福論』
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『60歳からの新・幸福論』

国会の場で“意味のない質問”をすることは、恥ずかしいこと。“意味のない質問”しかできない人を国会議員にするのはやめた方がいい。

実は息子が結婚をする。

いや、もう籍は入れて、一緒に暮らしている。今風なやり方のようだ。娘はすでに8年前に嫁ぎ、一緒に住んでいた義父も亡くなり、息子はすでに3年前に就職して家を出ている。息子たちが暮らしているのは滋賀県。滋賀県の会社に就職した。・・・わざわざ埼玉から。

「なんでだよ、もう」って思ったけど、今にしてみればそうでもない。

娘のところには、二人の孫もいる。息子のところも近いうちにそんなことになって、ここから10年、20年と、孫の成長をいていくのだろう。だが、娘のところの二人の孫で、すでに悟った。孫は、来てもいいし、来なくてもいい。たまーに来て、すぐに帰るのがいい。で、忘れた頃にまた来るのがいい。

今は連れ合いと二人の暮らしだから、基本的に毎日の生活で相手の都合を考えなければいけない対象は一人だけ。ずいぶん楽になった。お互いに相手を尊重するという意味において、相手の都合は考えなくていいということにしていけば、もっと楽になる。

だから、息子が滋賀県に出て行ったのは、今考えれば悪いことではない。

ただ、来月、結婚式を大阪で挙げる。これがめんどくさいし、お金がかかる。娘家族も、私の兄弟たちも大阪に行く。京新幹線の切符を買ってきたんだけど、それだけで一ヶ月分の生活費では足りなかった。あー、嫌だ、嫌だ。

でもまあ、これが終われば、私たち二人の人生でやるべきことは、まず一通りは終わり。さて、これからだ。

『60歳からの新・幸福論』・・・60年ぶりの庚子を迎えた今年、私たち夫婦は還暦となりますので、まさに今読むべき本だ。そのとおり、今日、新幹線の切符を買いに行く電車の中で読んでいた。荻原博子の語る「銀行の資産形成セミナーや投資信託説明会などに行くことは、カモがネギしょって、鍋の中へ飛び込みに行くようなものです」とあるページを読んでいると、隣の連れ合いが笑いながらその部分を指さして、「・・・これ、わたし」って。

私たちの老後、大丈夫なんだろうか。



宝島社  ¥ 1,518

曽野綾子+田原総一朗+弘兼憲史+志茂田景樹+菊池和子+荻原博子ほか
曽野綾子 無理な努力はやめて、いい加減に生きる
田原総一朗 僕にとっての「死」とは
弘兼憲史 「自分ファースト」で生きてみる
志茂田景樹 自分自身と向き合い、自分自身と戦うのが仕事
荻原博子 老後資金を投資でつくる人はバカです!
近藤 誠 「がん」は見つけない、手術しない
池田清彦 最終的に残るのは「人に褒められる」こと
勢古浩爾 「~しなさい」という圧力にうろたえてはいけない
鈴木秀子 「老いる」とは“生きる知恵"を深める大切な時期
中村仁一 「老い」と「死」に医療は無力
中島義道 「死を納得すること」が最後の課題
菊池和子 最期まできちんと生きたいから
内海桂子 年齢はもう100歳に近いけど


ありがたいことに、日本には年金制度と皆保険制度がある。まあ、どちらもきびしい面もあるみたいだけど、これがあるとないとでは大違い。私のように、《働かない》って選択は、これがあるからこそ出来ること。ありがたや、ありがたや。

さてその上で、子どもの頃には、自分もそのくらいの歳で死ぬんだろうと思っていた歳に、自分がなってしまった。ただこの間に、日本人の寿命がぐんと伸びた。母は66歳で死んだ。四半世紀前のことだが、その頃で、「まだ若いのに」と言われた。たしかに、その頃でも母は、平均寿命よりもだいぶ若く死んだ。

ただ、平均寿命はそれこそ平均だから、目安にはなるがあてにはならない。

《ついに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりしを》と在原業平は詠んだが、この歳になれば、それが近づいていることは、理屈としては意識する。だけど、そんなことばかり考えても楽しくないから、やはり昨日今日のことになってから、つまりはお迎えが来てから考えればいいとしよう。

さて、仕事に喜びを感じられる人はいいとして、たとえやりがいは感じても、勤め人であれば、仕事は喜びばかりではあり得ない。とりあえず60歳定年制がまだ生きている間に、59歳で退職した。仕事を辞めて10ヶ月経つが、まだまだ仕事に行かない毎日になじんだとは言えない。

ただ、やりたくもない事をやらずに済むようになったことは、無上の喜びではある。今年はたまたま地元の自治会長を引き受けて、新たにもっとやりたくもないことをやることになってしまったが、やりたくないことはやらないという選択が出来ることが、退職後の一番のいいところだろう。

せっかくそういう境遇になれたのだから、これからは《~しなければならない》という枷を自分に課さないことだ。運動しなければならない。社会とつながりを持たなければならない。家に閉じこもらず外に出なければならない。長生きしなければならない。

運動しようがしまいが、社会とつながりを持とうが持つまいが、外に出ようが閉じこもろうが、長生きしようが死のうが、そんなことは知ったこっちゃないってのが60歳からの幸福論。

これからどれくらい生きるのか分からないのは前と同じ。ただ、前より近づいただけ。近くに見えてもお山は遠い。ただ、一歩一歩近づいているのは間違いないだけ。退職してこの1年。自治会長なんかやっちゃったから、まだやりたくないことをやっている。やりたくないことはやらないで済む状況にならないと、本当の退職後は始まらない。

自分に枷を課さない毎日を送ってみたい。この本の中では勢古浩爾さんの言ってることに一番近い気がする。





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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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