国民の命『新聞という病』 門田隆将
先日、・・・建国記念の日だったかな。朝、いつも聞いているFM放送の番組内容が変わっていて、やむを得ずテレビをつけたら、NHKで学校の校則のことを話題にしていた。現役の高校生たちも、スタジオでハキハキと意見を表明していた。
本質的なことを言えば、校則などと言うものは必要ない。学校は校則を守らせるところではなく、学業を身につけるための場所だ。学業に専心しているならば、どのような格好をしていようが関係はない。学業に専心しようという気持ちがあれば、教師に対してむやみな言行に及ぶこともないだろう。もし、そんな言行に及ぶ者があれば、「帰れ」と言えば片がつく。
私は36年間ほど高校の教員をしていたが、そんな姿勢を貫けたのは定時制にいたときだけだ。
最初に赴任した学校では、問題は校則以前だった。トイレは常時たばこ臭い。生徒の中には泥棒もいれば、ヤクザの息子もいた。教員の泣き所を親から教え込まれ、子どもながらにモンスター遺伝子を受け継いでいる者もいた。けんかなんて日常茶飯事。今のように陰湿ではないが、当然のようにいじめもあった。
問題児と呼んでいた。多いとは言わないが、少なからずいた。そういう連中を除いても、低学力はいかんともしがたかった。その中にも問題児予備軍のようなのもいた。
教員は、力量を上げるしかなかった。権威で抑えようとする人。力で抑えようとする人。部活から生徒を抑えようとする人。生徒も聞かざるをえなくなるような良い授業をしようとする人。みんな試行錯誤していた。
違う努力もある。高校というところは、良い生徒が入ってくれば、良い学校になる。中学生と、その親たちへの働きかけだ。選んでもらえるように、悪い連中を隠す。制服をちゃんと着させて、髪も毛をこざっぱりさせて、化粧をさせないで、ピアスを外させる。そういう指導が嫌いな私のような教員は、そのうち嫌がられるようになる。人によって指導に差があるのは問題だと、やがてマニュアル化された指導が行なわれるようになる。
実は、こちらの努力の方が、はるかに効率的。問題児と心を通わせ、勉強不得意なやつに勉強教えるって言うのは、本当に大変なんだ。だけど、それが教員の仕事だと思ってた。私の思い描いた教師像は、学校にはいらなくなった。
だけど変な話だよな。自分のところに良い生徒が集まったら、成績の悪いやつは違うところに行くわけだ。素行のよろしくない奴らと一緒に。
NHKでは、大学全共闘時代の余波で、高校でも運動があり、校則を廃止した学校のことが取り上げられたが、あれはまったく違う話。
番組では、利発そうな高校生が、ハキハキとものを語っていた。
本質的なことが棚の上に上げられ、本来、その本質と関連しつつもそのものではなく、本質に関連することで誰かしらの利得につながっている事柄が重視されることがある。それは、青少年の育成と校則の関係に似ている。
国民の命と憲法の話もそうだ。


2017年7月、日本はようやく《国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約》を締結した。国連総会が同条約を2000年に採択してから、17年目にしてようやくのことだ。
先進国の中で《国際組織犯罪防止条約》を締結していないのは、日本だけだったそうだ。悪質な組織的国際犯罪から、どう国民を守るか。平穏に暮らす人々が無慈悲に殺される無差別テロを、どう防ぐか。世界中のほとんどの国々が、この問題に真剣に取り組み、国民の生命財産を守るという使命を果たすため、この条約を締結し、情報を提供し合い、あらゆる策を講じようとしている。
その条約を、日本は締結していなかった。他に締結していない国は、イラン、南スーダン、ソマリア、コンゴ共和国、ツバル、フィジー、ソロモン諸島、パラオ、パプアニューギニア、ブータン。日本を入れてたった11カ国しかなかった。
なぜ日本は、この条約を締結しなかったのか。そうするためには、重大犯罪を行なうことを「共謀する罪」か、もしくは組織的犯罪集団に「参加する罪」のいずれかを国内法で制定しなければならない。
日本では、過去三度、そのための法案が廃案になり、2017年までその法律がなかった。だから、締結できなかった。主な反対勢力は、共産党や社民党などの政党、日弁連、朝日新聞や毎日新聞みたいな新聞、“市民”運動家の皆さん。
東京オリンピックを開く側の責任として、締結できて良かった。そうしないと、国際テロに関わる情報や、捜査共助も日本は受けることができなくなるところだった。
門田隆将さんの『日本、遙かなり』は、ずいぶん前に読んだ。
1985年のイラン・イラク戦争の時も、1994年のイエメン内戦の時も、2011年のリビア動乱の時も、日本政府は現地の日本人を見捨てざるをえなかった。現地にいた日本人は、外国人のお情けにすがって生き延びた。
1994年の自衛隊法改正で、輸送の安全が確保されていることを条件に邦人の輸送が認められた。安全が確保されるようなら、逃げ出す必要もない。2015年の改正で保護・救出も認められるようになった。だけど、領域国の治安が維持されていて、かつ領域国の同意があるときって条件なんだよね。
かつてペルーの日本大使館で100日を超える人質生活を経験した方が言ってるそうだ。「大きな犠牲が必要なんでしょう」
憲法が国民の命を守らないなら、そんな憲法いらないけどな。
本質的なことを言えば、校則などと言うものは必要ない。学校は校則を守らせるところではなく、学業を身につけるための場所だ。学業に専心しているならば、どのような格好をしていようが関係はない。学業に専心しようという気持ちがあれば、教師に対してむやみな言行に及ぶこともないだろう。もし、そんな言行に及ぶ者があれば、「帰れ」と言えば片がつく。
私は36年間ほど高校の教員をしていたが、そんな姿勢を貫けたのは定時制にいたときだけだ。
最初に赴任した学校では、問題は校則以前だった。トイレは常時たばこ臭い。生徒の中には泥棒もいれば、ヤクザの息子もいた。教員の泣き所を親から教え込まれ、子どもながらにモンスター遺伝子を受け継いでいる者もいた。けんかなんて日常茶飯事。今のように陰湿ではないが、当然のようにいじめもあった。
問題児と呼んでいた。多いとは言わないが、少なからずいた。そういう連中を除いても、低学力はいかんともしがたかった。その中にも問題児予備軍のようなのもいた。
教員は、力量を上げるしかなかった。権威で抑えようとする人。力で抑えようとする人。部活から生徒を抑えようとする人。生徒も聞かざるをえなくなるような良い授業をしようとする人。みんな試行錯誤していた。
違う努力もある。高校というところは、良い生徒が入ってくれば、良い学校になる。中学生と、その親たちへの働きかけだ。選んでもらえるように、悪い連中を隠す。制服をちゃんと着させて、髪も毛をこざっぱりさせて、化粧をさせないで、ピアスを外させる。そういう指導が嫌いな私のような教員は、そのうち嫌がられるようになる。人によって指導に差があるのは問題だと、やがてマニュアル化された指導が行なわれるようになる。
実は、こちらの努力の方が、はるかに効率的。問題児と心を通わせ、勉強不得意なやつに勉強教えるって言うのは、本当に大変なんだ。だけど、それが教員の仕事だと思ってた。私の思い描いた教師像は、学校にはいらなくなった。
だけど変な話だよな。自分のところに良い生徒が集まったら、成績の悪いやつは違うところに行くわけだ。素行のよろしくない奴らと一緒に。
NHKでは、大学全共闘時代の余波で、高校でも運動があり、校則を廃止した学校のことが取り上げられたが、あれはまったく違う話。
番組では、利発そうな高校生が、ハキハキとものを語っていた。
本質的なことが棚の上に上げられ、本来、その本質と関連しつつもそのものではなく、本質に関連することで誰かしらの利得につながっている事柄が重視されることがある。それは、青少年の育成と校則の関係に似ている。
国民の命と憲法の話もそうだ。
『新聞という病』 門田隆将 産経セレクト ¥ 968 日本の新聞は、なぜ今、「国民の敵」となってしまったのだろうか。 |
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2017年7月、日本はようやく《国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約》を締結した。国連総会が同条約を2000年に採択してから、17年目にしてようやくのことだ。
先進国の中で《国際組織犯罪防止条約》を締結していないのは、日本だけだったそうだ。悪質な組織的国際犯罪から、どう国民を守るか。平穏に暮らす人々が無慈悲に殺される無差別テロを、どう防ぐか。世界中のほとんどの国々が、この問題に真剣に取り組み、国民の生命財産を守るという使命を果たすため、この条約を締結し、情報を提供し合い、あらゆる策を講じようとしている。
その条約を、日本は締結していなかった。他に締結していない国は、イラン、南スーダン、ソマリア、コンゴ共和国、ツバル、フィジー、ソロモン諸島、パラオ、パプアニューギニア、ブータン。日本を入れてたった11カ国しかなかった。
なぜ日本は、この条約を締結しなかったのか。そうするためには、重大犯罪を行なうことを「共謀する罪」か、もしくは組織的犯罪集団に「参加する罪」のいずれかを国内法で制定しなければならない。
日本では、過去三度、そのための法案が廃案になり、2017年までその法律がなかった。だから、締結できなかった。主な反対勢力は、共産党や社民党などの政党、日弁連、朝日新聞や毎日新聞みたいな新聞、“市民”運動家の皆さん。
東京オリンピックを開く側の責任として、締結できて良かった。そうしないと、国際テロに関わる情報や、捜査共助も日本は受けることができなくなるところだった。
門田隆将さんの『日本、遙かなり』は、ずいぶん前に読んだ。
1985年のイラン・イラク戦争の時も、1994年のイエメン内戦の時も、2011年のリビア動乱の時も、日本政府は現地の日本人を見捨てざるをえなかった。現地にいた日本人は、外国人のお情けにすがって生き延びた。
1994年の自衛隊法改正で、輸送の安全が確保されていることを条件に邦人の輸送が認められた。安全が確保されるようなら、逃げ出す必要もない。2015年の改正で保護・救出も認められるようになった。だけど、領域国の治安が維持されていて、かつ領域国の同意があるときって条件なんだよね。
かつてペルーの日本大使館で100日を超える人質生活を経験した方が言ってるそうだ。「大きな犠牲が必要なんでしょう」
憲法が国民の命を守らないなら、そんな憲法いらないけどな。

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