『奥多摩・奥秩父』『関東の名山』『地図読みドリル』
22日に行なわれた息子の結婚式に向けて、先週は山に行くのを自重した。
結婚式の披露宴っていうもの、ずいぶん変わった。自分たちの結婚から、もう36年経ってるんだから当然なのかもしれないけどね。披露をするのは親だよね。親が子どもの結婚を披露するのであって、自らひけらかすものではない。でも、今は、そんなことはお構いなしなんだね。
招待するのは双方の親族と友人たち。仕事の関係の方は呼ばないんだって。仕事関係の方でも、それが当たり前になってるんだそうだ。変わったのは結婚式や披露宴だけじゃなくて、世の中そのものが変わってるんだな。
それでも披露宴をするってだけでも、親としては安心できる。息子は7人のいとこの中の一番下で、一番最後の結婚式。軽重の違いこそあれ、それぞれしっかり披露宴を行なって、その連れ合いを親族に紹介してきた。
親から、何があっても兄弟は助け合えって育てられた私たちにとって見れば、これはとても大事なこと。実際に困ったときに、親族に泣きつくかどうかは別として、助けてくれる可能性のある人がいると言うことは大きい。“家”が壊されて、すでに久しいが、今、雨に降られても、屋根のないところで濡れっぱなしの人も少なくない。“家”に代わる何かは、まだ私たちの前に現れない。国に全てを求めるのは虫が良すぎるだろう。だったら、つながりは、たとえ細くなっても保っておいた方がいい。
何度も何度も式場に足を運んで、打ち合わせをしたようだ。なにしろ埼玉の家を出て、滋賀県の会社に勤めたもので、お嫁さんも大阪の人ということで、大阪での結婚式。私たち夫婦も一度は顔を出したし助言もしたが、細かいところは任せるしかしょうがない。ああでもない、こうでもないと、時には新郎新婦が角突き合わせることもあったらしい。
ようやく本番を迎えようって時に、親父が山で死んじゃわないまでも、骨折でもして、結婚式に水を差すようなことになったら悪い。だから先週は天気が良くても山に行くのを自重した。

息子の結婚式が終わったというのは、私たち夫婦にとって、とても意味が大きい。
と言うのも、私は早期退職で、仕事を辞めている。教員という仕事が、私の思うものから大きく外れてしまったこともあるが、山登りはじめ、好きなことをやって、この先は生きていきたいと思ったからだ。もちろん、分にあわせてのことではあるが。
この1年は、身の回りの整理に加え、地元の自治会長をやっていたこともあり、週に一度プラスアルファくらいしか登っていない。しかも、泊登山は一度もなかった。
私は30代半ばで、体の故障で一度山をやめた。そこまでは、ほぼ日帰り登山というのをしたことがなかった。56歳で手術を受けて、そこから再開することになるが、萎えてしまった脚を引きずって、近所を散歩するところからの始まりとなった。
あれから3年、ずいぶん登れるようになってきた。日帰りとか泊登山とか、こだわるわけじゃないが、暖かくなったら、今まで以上のことをやってみたい。やっぱり“奥”に入るためには、歩けるだけじゃなくて、担げるところまで持って行かないとね。

ホームグラウンドは奥武蔵。
埼玉県中西部、関東平野の西の縁に住んでいます。生まれは秩父、地元の山岳部で山をはじめて、当時のホームグラウンドは、もちろん秩父。カブで大滝まで入って、雲取ヒュッテ、甲武信小屋、雁坂小屋に歩荷、山小屋の手伝いをして小遣いを稼ぎ、いける範囲の山に登ってた。
秩父からだと、目は北に向いたね。南の方面の山は、地味に見えた。寄居から高崎線で高崎に出て、そこからって感じ。あとは新宿に行って、そこから南アルプス、八ヶ岳、北アルプスだな。
だけど、土曜日半ドンの当時、土曜の午後から奥秩父に歩荷ってわけにいかない。連休じゃなきゃ行けない。連休に、コツコツ歩荷と山小屋の手伝いで稼ごうと思っても、せいぜい二日で6000円。雲取ヒュッテの親父が特別な荷物を準備しておいてくれて、それを下ろして5000円もらったことがあって、8500円が最高。
特別な荷物って、やばいものじゃないよ。・・・いや、ある意味でやばいかもしれないので、一応、内緒。
この本を読んでると、そんな思いをしながら登っていた当時が懐かしい。

高校1年の時、まだ、夏の合宿にも行ってないってのに、ちょっと難しい山に登ったことがある。
奥秩父の主脈からは外れているんだけど、変に存在感の大きな和名倉山って山。山岳部に入って知り合った4人の新人だけで、学校のテント借りてどっか行こうということになって、先生にどこがいいか聞きに行ったんだ。そして山岳部の顧問の先生が教えてくれたのがこの山。和名倉山。
歩荷ほど重い荷物担ぐわけじゃないから、土曜日の授業が終わったらすぐに出発。まだ、バイクの免許持ってなかったから、この時は、メンバーの一人のお父さんに二瀬ダムの登り口まで車で送っていってもらったんだ。
イヤだけど、先生のおすすめだけど、この山は難しかった。夕方近くなったところで、どうやら今で言うリングワンデルング。同じところを何度も回っちゃうやつ。「ここ、さっきも歩いたよなあ」って最初に言ったのはMくん。山の北東側斜面を歩いているので、暗くなるのが早い。結局、平らなところを見つけてテントを張っちゃった。
これが大正解。東の方角に秩父の明かりが見える。そちらに向かって、好きな女の子の名前を叫びました。月曜日にまた、逢えますようにって。
さて翌朝、とっとと朝ごはんを食べて、地図と磁石に首っ引きで、必死で道を探しました。あの必死さが良かった。必死で頭を働かせて、方位、方角、地形、送電線、対象物の位置、植生と、必死で確認しながらリングワンデルングから脱出。原因は、倒木の手前に道がついていたので、そちらに進んだことでした。本当の道は、倒木の向こうに続いてました。
あの時の気持ち、今でも良ーく覚えています。山頂は薮の中でした。同じ道を通って、二瀬ダムにおり、今度はバスで帰りました。好きなこの名前は、お互いに秘密にすることを誓い合いました。
結婚式の披露宴っていうもの、ずいぶん変わった。自分たちの結婚から、もう36年経ってるんだから当然なのかもしれないけどね。披露をするのは親だよね。親が子どもの結婚を披露するのであって、自らひけらかすものではない。でも、今は、そんなことはお構いなしなんだね。
招待するのは双方の親族と友人たち。仕事の関係の方は呼ばないんだって。仕事関係の方でも、それが当たり前になってるんだそうだ。変わったのは結婚式や披露宴だけじゃなくて、世の中そのものが変わってるんだな。
それでも披露宴をするってだけでも、親としては安心できる。息子は7人のいとこの中の一番下で、一番最後の結婚式。軽重の違いこそあれ、それぞれしっかり披露宴を行なって、その連れ合いを親族に紹介してきた。
親から、何があっても兄弟は助け合えって育てられた私たちにとって見れば、これはとても大事なこと。実際に困ったときに、親族に泣きつくかどうかは別として、助けてくれる可能性のある人がいると言うことは大きい。“家”が壊されて、すでに久しいが、今、雨に降られても、屋根のないところで濡れっぱなしの人も少なくない。“家”に代わる何かは、まだ私たちの前に現れない。国に全てを求めるのは虫が良すぎるだろう。だったら、つながりは、たとえ細くなっても保っておいた方がいい。
何度も何度も式場に足を運んで、打ち合わせをしたようだ。なにしろ埼玉の家を出て、滋賀県の会社に勤めたもので、お嫁さんも大阪の人ということで、大阪での結婚式。私たち夫婦も一度は顔を出したし助言もしたが、細かいところは任せるしかしょうがない。ああでもない、こうでもないと、時には新郎新婦が角突き合わせることもあったらしい。
ようやく本番を迎えようって時に、親父が山で死んじゃわないまでも、骨折でもして、結婚式に水を差すようなことになったら悪い。だから先週は天気が良くても山に行くのを自重した。
山と渓谷社 ¥ 2,750 奥多摩・奥秩父の一般登山コースを対象とした登山ガイドブックです |
息子の結婚式が終わったというのは、私たち夫婦にとって、とても意味が大きい。
と言うのも、私は早期退職で、仕事を辞めている。教員という仕事が、私の思うものから大きく外れてしまったこともあるが、山登りはじめ、好きなことをやって、この先は生きていきたいと思ったからだ。もちろん、分にあわせてのことではあるが。
この1年は、身の回りの整理に加え、地元の自治会長をやっていたこともあり、週に一度プラスアルファくらいしか登っていない。しかも、泊登山は一度もなかった。
私は30代半ばで、体の故障で一度山をやめた。そこまでは、ほぼ日帰り登山というのをしたことがなかった。56歳で手術を受けて、そこから再開することになるが、萎えてしまった脚を引きずって、近所を散歩するところからの始まりとなった。
あれから3年、ずいぶん登れるようになってきた。日帰りとか泊登山とか、こだわるわけじゃないが、暖かくなったら、今まで以上のことをやってみたい。やっぱり“奥”に入るためには、歩けるだけじゃなくて、担げるところまで持って行かないとね。
JTBパブリッシング ¥ 1,980 日帰り、前夜泊、小屋泊まりなど、登山経験がある中・上級者向けの内容 |
ホームグラウンドは奥武蔵。
埼玉県中西部、関東平野の西の縁に住んでいます。生まれは秩父、地元の山岳部で山をはじめて、当時のホームグラウンドは、もちろん秩父。カブで大滝まで入って、雲取ヒュッテ、甲武信小屋、雁坂小屋に歩荷、山小屋の手伝いをして小遣いを稼ぎ、いける範囲の山に登ってた。
秩父からだと、目は北に向いたね。南の方面の山は、地味に見えた。寄居から高崎線で高崎に出て、そこからって感じ。あとは新宿に行って、そこから南アルプス、八ヶ岳、北アルプスだな。
だけど、土曜日半ドンの当時、土曜の午後から奥秩父に歩荷ってわけにいかない。連休じゃなきゃ行けない。連休に、コツコツ歩荷と山小屋の手伝いで稼ごうと思っても、せいぜい二日で6000円。雲取ヒュッテの親父が特別な荷物を準備しておいてくれて、それを下ろして5000円もらったことがあって、8500円が最高。
特別な荷物って、やばいものじゃないよ。・・・いや、ある意味でやばいかもしれないので、一応、内緒。
この本を読んでると、そんな思いをしながら登っていた当時が懐かしい。
山と渓谷社 ¥ 990 地形図を使用した実践的な問題で、実際に登山を行なっているように技術を学べます |
高校1年の時、まだ、夏の合宿にも行ってないってのに、ちょっと難しい山に登ったことがある。
奥秩父の主脈からは外れているんだけど、変に存在感の大きな和名倉山って山。山岳部に入って知り合った4人の新人だけで、学校のテント借りてどっか行こうということになって、先生にどこがいいか聞きに行ったんだ。そして山岳部の顧問の先生が教えてくれたのがこの山。和名倉山。
歩荷ほど重い荷物担ぐわけじゃないから、土曜日の授業が終わったらすぐに出発。まだ、バイクの免許持ってなかったから、この時は、メンバーの一人のお父さんに二瀬ダムの登り口まで車で送っていってもらったんだ。
イヤだけど、先生のおすすめだけど、この山は難しかった。夕方近くなったところで、どうやら今で言うリングワンデルング。同じところを何度も回っちゃうやつ。「ここ、さっきも歩いたよなあ」って最初に言ったのはMくん。山の北東側斜面を歩いているので、暗くなるのが早い。結局、平らなところを見つけてテントを張っちゃった。
これが大正解。東の方角に秩父の明かりが見える。そちらに向かって、好きな女の子の名前を叫びました。月曜日にまた、逢えますようにって。
さて翌朝、とっとと朝ごはんを食べて、地図と磁石に首っ引きで、必死で道を探しました。あの必死さが良かった。必死で頭を働かせて、方位、方角、地形、送電線、対象物の位置、植生と、必死で確認しながらリングワンデルングから脱出。原因は、倒木の手前に道がついていたので、そちらに進んだことでした。本当の道は、倒木の向こうに続いてました。
あの時の気持ち、今でも良ーく覚えています。山頂は薮の中でした。同じ道を通って、二瀬ダムにおり、今度はバスで帰りました。好きなこの名前は、お互いに秘密にすることを誓い合いました。
- 関連記事
-
- 『白き高峰の殺意』 森村誠一 (2020/03/11)
- 『山岳遭難の傷痕』 羽根田治 (2020/02/26)
- 『奥多摩・奥秩父』『関東の名山』『地図読みドリル』 (2020/02/24)
- 『山の安全管理術』 木元康晴 (2020/02/07)
- 『登山ボディ』 芳須勲 (2020/01/20)