めんどくせぇことばかり 『山岳遭難の傷痕』 羽根田治
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『山岳遭難の傷痕』 羽根田治

昨日、地域の人がうちに来て、Sさんのお宅におかしな人たちがやって来ていたと教えてくれた。

Sさんは一人暮らしの高齢女性で、認知症がだいぶ進んでおられる。東北に嫁いだ娘さんがめんどうを見に帰ってくるわけにも行かず、すでに施設へ入所する話が進められているはずなんだけど、その進行がはかばかしくないのでやきもきしていたところだ。地域の人が、そのお宅の前に見かけない車が止まっていたので覗いたところ、二人の女性が上がり込んでSさんにまんじゅうを食べさせていたという。

どうやら宗教の人らしく、Sさんとは旧知であると言い張ったという。しかし、Sさんの家族構成を知らず、ご主人が最近亡くなられたことも知らなかったという。認知症らしいと気がついて、それにつけ込んで旧知などとウソを言う。あんまり質が悪いので、区長を呼んでくるとうちへ向かったら、車で逃げたという。

最近、埼玉県でもなにかと悪い噂の立っているあの宗教か?

著者の羽根田治さんは、山岳遭難に関わる本を、いくつも出している方ですよね。

今までにも、『道迷い遭難』、『気象遭難』、『滑落遭難』っていう羽根田さんの本を読んでいる。こういう本って、本当に貴重ですよね。なにしろ、それを読むことで、“遭難”を疑似体験することが出来るんだから。

誰だって、山での失敗はある。私も今までに、山でいろいろな失敗をしている。上記の本を読むと、そのいろいろな失敗が、時には本格的な“遭難”の入り口になり得るんだなってことが分かる。そして、一つの失敗が、遭難となるかならないか、その違いはさほど大きなことではないということが分かる。

「ああ、あの失敗をしたときに、・・・」こういう心理で行動していたら、遭難につながった可能性がある。このようにリカバリーしようとしたら、もっと悪い事態に陥ったかもしれない。

この疑似体験は、かなり有用だ。

最近、いい歳をしてようやく、山の中でも自分の行動を冷静に、第三者の目で見つめることができるようになってきた。羽根田治さんの本のおかげも大きいと感謝している。体力はじめ、体の機能が落ちてきているんだから、精神的な面で少しは成長できないとね。

ちなみに私、脚の病気で一度登山をやめる直前に、富山県の岩山から下山中、小屋までもう少しというところで脚の痛みが始まった。自力で下山できなくなり、通りかかった人に、山小屋に救助の要請をお願いした。あれは、遭難だな。


『山岳遭難の傷痕』    羽根田治


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遠い過去のものとなりつつある山岳遭難事故も丹念に再検証する必要がある
1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故
2章 1930年の東京帝大の剱澤小屋雪崩事故
3章 1954年の富士山吉田大沢の大量雪崩事故
4章 1955年の前穂高東壁で起きたナイロンザイル切断事故
5章 1960年の谷川岳一ノ倉沢宙吊り事故
6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故
7章 1967年の西穂独標で起きた高校生落雷遭難事故
8章 1989年の立山で起きた中高年初心者の大量遭難事故
9章 1994年の吾妻連峰スキー遭難事故
10章 2009年のトムラウシ山ツアー登山事故


さて、今回の『山岳遭難の傷痕』は、過去に実際にあった山岳遭難、それも大きな話題となった山岳遭難をもう一度掘り起こし、事故当時では詰め切れなかった原因の究明、その後の措置の検証を振り返り、遭難事故回避の教訓としようとするものである。

最新で2009年のトムラウシ山ツアー登山事故が取り上げられている。これに関しての原因究明や検証は、不十分とされるところでもないだろうが、あえて取り上げられたのは、やはり“十大事故”から外せなかったからだろう。2017年の那須高校生雪崩遭難は、あまりにも生々しすぎるから取り上げられなかったんだろうか。

その前の1994年の吾妻連邦スキー遭難事故、1989年立山中高年初心者大量遭難事故は記憶にあるものの、それ以前の七つの遭難事故は、物語や記念碑で知るだけのものだった。

そういった遠い過去の遭難事故をあらためて原因を追及し、その後の措置の検証をすることは、遭難事故回避の教訓とする上で大変に意義深いものと感じられた。

いつ頃読んだか記憶にないんだが、《1章 1913年の「聖職の碑」木曽駒ヶ岳集団登山事故》をもとにした、新田次郎の『聖職の碑』には、強く感銘を受けた。おそらく、高校の教員になりたいと考えていた、かつ山岳部の顧問になりたいと考え始めていた高校生の頃だと思う。嵐の中を必死で登り下りし、次々倒れていく子どもたちに天を仰いでいるのは、私だった。

本のヒットか、映画のヒットのあとか、それに似た物語で、『雪の湯浴み』という物語を読んだ記憶がある。同様の学校登山の遭難を題材とした物語で、最後に死を意識した女生徒が、雪で湯浴みをして身を清めるというラストシーンなんだ。まだ汚れを知らぬ膨らみきらぬ胸を、女生徒は雪で清めて、その上で衣服を整える。全てを終えて、ようやく彼女は意識の薄れゆくのに身を任せるんだ。『聖職の碑』を意識した、同人誌かなんかに載ってた話かもしれない。決して私が書いたものではない。

《6章 1963年の薬師岳愛知大学大量遭難事故》にも思い出がある。高校1年時の夏山合宿初日、夜行で富山に向かった私たちは、折立から太郎小屋に入り、1年部員は幕営や食事の準備を命じられ、それが終わってから薬師岳ピストンに向かった。薬師岳からの帰り、まだ時間に余裕があったので、太郎平でしばらく昼寝をした。みんな、初めての夜行列車体験で、しかも厳しい初日を終え、疲れていたので、・・・小一時間、・・・すやすや寝た。

先に起きたMが、何かをみんなに伝えたいらしく、「おいおい」とみんなを揺すり起こした。私たち全員が足を向けて寝ていたケルンは、愛知大学遭難碑だった。私たちは無言で身なりを整え、それぞれ手を合わせて、太郎小屋まで無言で帰った。その夜、Mは何度もうなされた。

Mもその後、高校山岳部の顧問となり、一度も遭難を出すことなく務めを果たした。



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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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