日本語で学ぶ『自然に学ぶ』 白川英樹
お隣から、ボールをついている音が、ずっと続いている。
どうやら、お孫さんが来ているらしい。そう、新型コロナウイルス対策で、ここ埼玉県の小中学校・高校は休みになってるからね。こんな時こそ、じじ・ばばが大活躍か。
うちの1号・2号は保育園児だから、保育園でめんどう見てもらっているようだ。保育園まで休みにならなくて、本当に良かった。だってそうだよ。「孫は、来てうれしい、帰ってうれしい」って言う。一日二日ならいいけど、これが三日四日と続いた日には、新型コロナにかからなくても、倒れてしまう。
白川英樹さんがノーベル賞を受賞した2000年、メディア各社の記者が繰り返し同じようなことを訪ねる中で、一人、意外なことを聞いてきた外国特派員がいたんだそうだ。
「ノーベル賞自然科学三賞の受賞者数を比べると、アジア諸国に限ると日本人受賞者が際立って多いのはなぜか」という問いであった。
日本人受賞者が際立って多いのは、自国での研究成果が評価されての受賞を見ると分かる。自国での研究成果が評価されてノーベル賞を受賞した日本人以外のアジア人が2人であるのに対して、日本人は24人と圧倒的に多い。
その時、白川さんは、「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えたそうだ。
インドの高校生たちに聞くと、こう答えたという。「私たちの国では、数学や自然科学を英語で習っています」「学校外で友達と話すときや、家庭で家族と話すときはヒンズー語です。
アジアでは、生活に立脚した言語では、学問を学ぶことが出来ないという現実がある。学術や芸術を学び、創造し、実践するということは、生活と一体化した行為だと白川さんは言います。“自然に学ぶ”のも、生活の中からのものだからね。
満州から引揚げてきた渡辺京二さんには、ふるさとがない。だけど、本の中でいっていた。「日本語こそ、我がふるさと」と。素晴らしい発想や考え、表現は、慣れ親しんだ言葉だからこそ。
しかし、近代科学はヨーロッパで発展した。中世、学術の中心はイスラム社会にあった。しかし、中世の終わり、イスラム社会と接触を持ったヨーロッパは、イスラムに学術を求め、それを自分たちの言葉に翻訳していった。この翻訳が、ヨーロッパの思考を無限に広げることになった。


自分の慣れ親しんだ言葉に、その学術に関わる用語・概念・知識・思考法がなければ、その言葉でそれを習得することは、当然出来ない。
だから、インドの高校生は、英語でその学術に接触するしかない。しかし、日本には、日本語にはそれがある。だから、日本人は日本語で最先端の学術に触れることが出来る。そして、その学術に関し、日本語で発想し、考え、表現することが出来る。
なぜか。翻訳したからだ。
『ターヘル・アナトミア』を翻訳して、『解体新書』を公刊した杉田玄白、前野良沢、中川淳庵。『蘭学事始』でその様子を読めば、どれだけの苦労であったかが忍ばれる。神経、盲腸、十二指腸、鼓膜、軟骨、動脈、骨膜、咽頭・・・、日本には、こういう言葉が生み出されていた。
長崎のオランダ通詞本木良永による蘭書の翻訳は、『ターヘル・アナトミア』の翻訳以前だそうだ。彼は西洋の自然科学を日本に紹介した。惑星は彼の作った言葉だそうだ。コペルニクスの地動説を説明する中に出てくるという。
翻訳というと、明治期の西洋学問導入に伴うものが最初に浮かぶが、それは、江戸時代の素地があってことだと考えて良さそうだ。
引力・遠心力・重力・加速・物質・・・
花粉・雄花・雌花・花柱・気孔・澱粉・・・
元素・水素・炭素・酸素・酸・中和・・・
これらはこの本に書かれていた。・・・参りますね。
高校で教えている時分、「大学で英語に習熟して、活躍できる世界を広めたい」なんて言っている女子生徒がいたけど、それを人のために使って欲しいな。「英語が出来るんなら、まだ日本語になってない英語を日本語に翻訳して。そうすれば、みんな助かるから」って言ったら、キョトンとされちゃった。
いつ頃からか、私たちの周りには、わけの分からないカタカナ言葉が多くなってるよね。それを使いこなすのが、なんだか格好良さそうな感じでさ。いずれ、使いこなせる階層と使いこなせない階層が分離していきそう。グローバル化は結構だけどさ。
どうやら、お孫さんが来ているらしい。そう、新型コロナウイルス対策で、ここ埼玉県の小中学校・高校は休みになってるからね。こんな時こそ、じじ・ばばが大活躍か。
うちの1号・2号は保育園児だから、保育園でめんどう見てもらっているようだ。保育園まで休みにならなくて、本当に良かった。だってそうだよ。「孫は、来てうれしい、帰ってうれしい」って言う。一日二日ならいいけど、これが三日四日と続いた日には、新型コロナにかからなくても、倒れてしまう。
白川英樹さんがノーベル賞を受賞した2000年、メディア各社の記者が繰り返し同じようなことを訪ねる中で、一人、意外なことを聞いてきた外国特派員がいたんだそうだ。
「ノーベル賞自然科学三賞の受賞者数を比べると、アジア諸国に限ると日本人受賞者が際立って多いのはなぜか」という問いであった。
日本人受賞者が際立って多いのは、自国での研究成果が評価されての受賞を見ると分かる。自国での研究成果が評価されてノーベル賞を受賞した日本人以外のアジア人が2人であるのに対して、日本人は24人と圧倒的に多い。
その時、白川さんは、「他のアジア諸国と違って、日本では理科や自然科学は母国語である日本語で書かれている教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか」と答えたそうだ。
インドの高校生たちに聞くと、こう答えたという。「私たちの国では、数学や自然科学を英語で習っています」「学校外で友達と話すときや、家庭で家族と話すときはヒンズー語です。
アジアでは、生活に立脚した言語では、学問を学ぶことが出来ないという現実がある。学術や芸術を学び、創造し、実践するということは、生活と一体化した行為だと白川さんは言います。“自然に学ぶ”のも、生活の中からのものだからね。
満州から引揚げてきた渡辺京二さんには、ふるさとがない。だけど、本の中でいっていた。「日本語こそ、我がふるさと」と。素晴らしい発想や考え、表現は、慣れ親しんだ言葉だからこそ。
しかし、近代科学はヨーロッパで発展した。中世、学術の中心はイスラム社会にあった。しかし、中世の終わり、イスラム社会と接触を持ったヨーロッパは、イスラムに学術を求め、それを自分たちの言葉に翻訳していった。この翻訳が、ヨーロッパの思考を無限に広げることになった。
『自然に学ぶ』 白川英樹 法蔵館 ¥ 1,320 2000年ノーベル化学賞受賞者の白川英樹先生が折々の想いをまとめたエッセイ |
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自分の慣れ親しんだ言葉に、その学術に関わる用語・概念・知識・思考法がなければ、その言葉でそれを習得することは、当然出来ない。
だから、インドの高校生は、英語でその学術に接触するしかない。しかし、日本には、日本語にはそれがある。だから、日本人は日本語で最先端の学術に触れることが出来る。そして、その学術に関し、日本語で発想し、考え、表現することが出来る。
なぜか。翻訳したからだ。
『ターヘル・アナトミア』を翻訳して、『解体新書』を公刊した杉田玄白、前野良沢、中川淳庵。『蘭学事始』でその様子を読めば、どれだけの苦労であったかが忍ばれる。神経、盲腸、十二指腸、鼓膜、軟骨、動脈、骨膜、咽頭・・・、日本には、こういう言葉が生み出されていた。
長崎のオランダ通詞本木良永による蘭書の翻訳は、『ターヘル・アナトミア』の翻訳以前だそうだ。彼は西洋の自然科学を日本に紹介した。惑星は彼の作った言葉だそうだ。コペルニクスの地動説を説明する中に出てくるという。
翻訳というと、明治期の西洋学問導入に伴うものが最初に浮かぶが、それは、江戸時代の素地があってことだと考えて良さそうだ。
引力・遠心力・重力・加速・物質・・・
花粉・雄花・雌花・花柱・気孔・澱粉・・・
元素・水素・炭素・酸素・酸・中和・・・
これらはこの本に書かれていた。・・・参りますね。
高校で教えている時分、「大学で英語に習熟して、活躍できる世界を広めたい」なんて言っている女子生徒がいたけど、それを人のために使って欲しいな。「英語が出来るんなら、まだ日本語になってない英語を日本語に翻訳して。そうすれば、みんな助かるから」って言ったら、キョトンとされちゃった。
いつ頃からか、私たちの周りには、わけの分からないカタカナ言葉が多くなってるよね。それを使いこなすのが、なんだか格好良さそうな感じでさ。いずれ、使いこなせる階層と使いこなせない階層が分離していきそう。グローバル化は結構だけどさ。
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