めんどくせぇことばかり 『白き高峰の殺意』 森村誠一
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『白き高峰の殺意』 森村誠一

2006年にワンツーマガジン社から出された本だけど、もとは1991年に天山出版から刊行されたものだそうだ。

私が31歳の時だ。まだ、山をやめてない頃だな。

まだ、最初に赴任した高校に勤務していた。その学校の新設2年目に新任で赴任して、翌年、十歳ほど年上の先輩に声をかけられて、一緒に山岳部を作った。若かったこともあって、どんどん鍛えて、山に連れて行った。自分がそうされたような新人いびりは、絶対させない山岳部にしたかった。それなりに、いい山岳部だったと思う。だけど、最後は管理職ともめてしまって、山岳部の顧問を降りる羽目になってしまった。

潮目だったんだな。ちょうど股関節の痛みが強くなってきた時期でもあって、そういう形で山から離れるきっかけを作ったと言えなくもない。

それから二十数年、56歳で股関節を手術して、57歳からその時勤めていた学校で、山岳部の顧問を再開した。この間に生徒の質もだいぶ変わってきていて、山岳部員といってもそんなに山に登りたがらない。???不思議な人たちを相手に、山岳部の顧問をすることになった。

あまり遠くに行きたがらない。日帰りがいい。泊があるなら、山小屋がいい。電波の届かないところには泊まりたくない。

日光湯元は電波が届く。夜通しゲームをしていた奴がいて、翌日、たたき起こして日光白根に向かったが、外山の登りで寝そうになり、ガレ場で転倒。全員登山を中止して、引き返した。

尾瀬ヶ原は電波が届かない。テントを張ったあと、電波を求めて尾瀬ヶ原を右往左往する部員たち。良く歩いたと見えて、この日はよく寝たようだ。翌日全員で至仏山に登頂できた。

そいつらも、この3月で卒業する。私は1年先に学校を去ってしまったが、卒業式にはお祝いに駆けつけるつもりでいた。先日、学校から便りをもらった。新型コロナウイルスの影響で、今年の卒業式は、卒業生と教員だけで行なうそうだ。
《山岳ミステリー傑作選》と銘打った六つの話。場所は、いずれも北アルプス。“K岳”、“H岳”、S岳”、M岳と表されるが、唐松、穂高、白馬、三俣蓮華と想像がつく。多くは垂直に切り立った岸壁や、冬山の視界もままならない吹雪の中で、事件が起こる。

そしてその時、どう振る舞うかが問われる。生きるために、変節するのか。生きるために、奪い取るのか。生きるために、置き去りにするのか。生きるために、命をかけるのか。

〈いやいや、山も“下界”も、人間の欲望に変わりはない。たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない。されると思うのは、ことさらに山を美化して眺めようとする人間のロマンティシズムにすぎない〉

六つの山岳ミステリーの中の、『裂けた風雪』の中で、山で起きた殺人事件に関して、山小屋の主人二宮の犯行ではと疑う緒方が、心の中でそうささやく。

六編の話に、共通して流れる、作者森村誠一の“山と人”に関わる思いのようだ。


『白き高峰の殺意』    森村誠一


ワンツーマガジン社  ¥ 時価 582より

岸壁の登攀や、悪天候の冬山登山が、リアリティ豊かに描かれた山岳ミステリー傑作選
夢の虐殺
高燥の墳墓
挑戦の切符
裂けた風雪
垂直の陥穽
北ア山荘失踪事件


『垂直の陥穽』で、父親から大学山岳部に入ることを反対された息子が、父親も若い頃山に登ってたじゃないかと反論する。「奥秩父や奥多摩くらいのところだったとしても」と言っているのが引っかかった。危険を顧みず、先鋭的に難しいルートや季節に挑戦するのが登山家のあり方と、彼は思っていたようだ。

物語は、そのことに一切立ち寄ることなく通り過ぎるが、この問題、実はこの本のテーマに深く関連している。「たかだか標高を二、三千メートル上げたからといって、人間の欲望は浄化されない」ことはその通りだと思う。

だけど、登山シーズンの奥秩父や奥多摩を歩いてみるといい。傑作選の中で、なんとなく批判を向けられているように思える“山の世俗化”がそこかしこに見られる。だけど、そこに見る多くの顔は輝いている。絶景に心打たれ、ここまで歩いてきた自分の脚を賛美し、心が打ち震えていることを隠そうともしない。

・・・“二、三千メートル”じゃない。あの人たちは、たった標高305mの日和田山で浄化されてる。

たしかに、かつての登山ブームにおいて、本当にあったひどい話のいくつかを聞いたことがある。道標を動かしちゃうとか、ベースにしているテントに勝手に入ってものを盗むとか。女の子のパーティーに嫌がらせするとか。夏山で翌朝3時起きだってのに遅くまで騒いでるテントに頭にきて、全部ペグを抜いてテントをつぶしてやったこともある。二十数年ぶりに山歩きを再開したけど、今の方が圧倒的にマナーがいい。女の子が一人で歩いているのも、よく見かけるもの。

浄化されないのは、浄化される能力に乏しいやつが山を歩いているからに他ならない。

殺人事件を取扱ったドラマの中で、犯人はよく、秩父の山に死体を捨てに行く。私の故郷だ。東京の人であれば、“秩父の山”というだけで、すでに「絶対見つからない」という意味を持たせることができるのかもしれないが、“秩父の山”はもともとは、上州、信州、甲州への街道の通っていた場所。山を歩く人は少なくないし、車が入れるところであれば、釣り人や沢登りが入る。

本当に絶対に見つからないのは、和名倉山の西側だ。あそこは、ほとんど人が入らない。今でも狼が居るとすれば、あそこしかないだろうという場所だ。そこまで行くのが大変だけど。

だったら、やがて死体になる人に、そこまで歩いてもらって、そこで死んでもらうのが楽でいい。ガレ場で先を行き、上から岩を落とすのが一番いいだろう。確実に殺したら、あとは和名倉山の西側の谷間に落としておけばいい。

高校の頃、山岳部の部室でそんな話をしていた。浄化される必要すらない、汚れを知らぬ時代だった。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































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