めんどくせぇことばかり “徳”のつく天皇『天皇の日本史Ⅱ』 井沢元彦
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“徳”のつく天皇『天皇の日本史Ⅱ』 井沢元彦

自治会からの退会が二件あった。

いずれも私が自治会長を務めている今年度のことだ。理由は分かる。自治会長になりたくないからだ。それが一・二年の間に求められてもおかしくないお宅だった。

この自治会は50数年前に売り出された団地で、その第1世代は70代~80代になっている。子どもと同居しているところもあるが、老夫婦二人、あるいは連れ合いを失った一人住まいも何軒かある。

退会したのはどちらも夫婦二人のところ。初期の入居で50年間ここで暮らしてきた70代だ。これまで自治会長を任される機会は何度もあったはずだ。なにしろ30年前に入居し、まもなく還暦を迎える私が二度目の会長を引き受けているんだから。何らかの理由で、これまでは会長を引き受けなかった。そのつけを払う前に、自治会から抜けた。


聖徳太子以降の、諡号に“徳”憑く天皇は、ことごとく異常な死に方をしているそうだ。憤死であったり、暗殺の疑いのある突然死であったりする。そんな非業に倒れた天皇に“徳”のつく良い名を贈ることによって祟りを防ごうとしたからだという。

孝徳天皇は中大兄皇子の権力欲の犠牲になる。妻の間人皇女を中大兄皇子に奪われたうえ、難波宮に置き去りにされてしまう。家臣の大半は中大兄皇子に従い飛鳥に戻ってしまったため、難波宮で憤死する。

称徳天皇は藤原一族を排斥するため、志貴皇子の血を引く弓削一族の道鏡を天皇位を譲ろうとするが、宇佐八幡宮神託事件で頓挫し、このあと称徳天皇自身が急死して果たせなかった。暗殺説もある。

文徳天皇は最愛の第一皇子、愛する紀静子の産んだ惟喬親王を皇太子にしたかった。しかし、藤原良房から、無理に押しつけられた明子の産んだ惟仁親王を皇太子にする子を強制された。しかも、臣下である良房からの嫌がらせで、内裏に住むのを許されなかった。文徳天皇は32歳の若さで急死する。良房による暗殺と考えられている。

崇徳天皇は父親の鳥羽から叔父子なんて呼ばれてね。あんまり可哀想。近衛への譲位を迫られ、しかも院政を開く機会も奪われて、保元の乱を起こすことになる。戦いに敗れて讃岐に流された崇徳は、軟禁生活の中で仏教に帰依し、五部大乗教の写本を作り、戦没者の供養にと京都へ贈った。しかし、保元の乱で崇徳と争って勝った後白河は、この受け取りを拒み、崇徳に送り返した。これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と血で書き込み、天皇家を恨んで憤死した。

安徳天皇は平清盛の孫。源義経の軍に追われて、壇ノ浦の戦いに敗れて滅亡した平家一門と運命をともにする。最後は二位の天に抱かれたまま海中に消える。

順徳天皇は後鳥羽上皇とともに、武士政権の打倒を掲げて承久の乱を起こす。しかし、鎌倉方に敗れて佐渡へ流される。佐渡島では21年過ごした。その間、都への帰還を切望しながら、果たされず、憤死。

方や、後鳥羽上皇は隠岐に流された。流されて18年後に60歳で、やはり憤死。顕徳という名を贈られるが、結局、祟って出る。三浦義村や北条時房の死を顕徳院の怨霊が原因と書いた公家の日記がある。“徳”の時を贈っても効果はないと言うことになったのか、後鳥羽という名を贈り直し、佐渡に流された順徳を最後に、“徳”の名を贈られた天皇はいない。



『天皇の日本史Ⅱ』    井沢元彦


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「令和」に必読の歴史講義。本当の日本史は、「天皇」なくして語れない!
天皇とは何か  欠史八代(第二代~第九代)
垂仁天皇(第一一代)  景行天皇(第一二代)
仁徳天皇(第一六代)  雄略天皇(第二一代)
継体天皇(第二六代)  欽明天皇(第二九代)
敏達天皇(第三〇代)と用明天皇(第三一代)  推古天皇(第三三代)
元明天皇(第四三代)と元正天皇(第四四代)  平城天皇(第五一代)
嵯峨天皇(第五二代)  文徳天皇(第五五代)と清和天皇(第五六代)
陽成天皇(第五七代)と光孝天皇(第五八代) 後三条天皇(第七一代)
長慶天皇(第九八代)  後奈良天皇(第一〇五代)
後水尾天皇(第一〇八代)  東山天皇(第一一三代)
大正天皇(第一二三代)  平成の天皇(第一二五代)


だいたい、聖徳太子っていうのが不思議な存在。次の天皇と約束されながら、推古の長命で即位できなかった。さらには子の山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされたことで、その血筋を受け継ぐ者が絶えてしまった。天皇位に即位できなかったことに対する諡号なのか、血筋が絶えてしまったことまで、全部含んでの諡号だったのか分からないが、“徳”に加えて“聖”だと言うんだから、これはすごい。

聖徳太子は存在しなかったという説も、それなりの説得力がある。宗教の面では聖人で、政治の面では聡明にして鋭敏で、文化においては深淵で、あれだけの業績を残した人物ならば、たかが代が一つ代わっただけで、痕跡さえ残さずに一族が絶えるというのは考えづらい。

しかし、本当に消えている。

この時代の有り様を伝える日本書紀は、藤原不比等が権力を掌握している時代に完成した。日本書紀は乙巳の変で蘇我本家を滅ぼした、中大兄皇子と中臣鎌足の立場の正当性を主張する目的で書かれた。だとすれば、後の藤原氏の立場からすれば、蘇我本家は滅ぼすに値する悪役でなければならない。しかし、蘇我氏の歴史的役割は極めて大きなものがある。

そこで蘇我氏の業績を肯定的な側面と否定的な側面の二つに分ける。肯定的な側面は、まるで古代史のヒーローであるかのような架空の人物を作り上げて、彼の業績とする。これが聖徳太子である。そのようなヒーローを作り出した以上、歴史の中から消滅させる必要がある。否定的な側面である。これを実在の蘇我本家に押しつける。ヒーローが亡くなったあと、その一族は蘇我本家によって根絶やしにされるのだ。

この時代、律令の導入が進められていて、蘇我氏はそれに邁進していた。公地公民化への反対勢力は、非常に大きなものだったはずだ。古くからヤマト朝廷を支えた豪族たちの土地を、その豪族たちに拠出させるんだから当然だ。その困難な仕事に、蘇我本家は取り組んでいた。

日本書紀は、その律令導入の障害となっていたのが、その蘇我本家であると、正反対のことを書いている。乙巳の変を大化の改新と言い替えて、蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子と中臣鎌足によって律令導入が進められたと、蘇我本家の業績を乗っ取って正反対のことを書いている。

聖徳太子架空説、私けっこう好きなんだ。

どちらにせよ、日本書紀の嘘は間違いない。嘘をつくときは、そこまで大胆に、恥ずかしげもなくつかなければならないという、歴史的証明だな。

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ジャンル : 本・雑誌

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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