めんどくせぇことばかり 『このレシピがすごい!』 土屋敦
FC2ブログ

『このレシピがすごい!』 土屋敦

いやー、こんなに良い本なのに、読んでなかった。

ブログで紹介している本は、新刊も、古本も、図書館の本もごちゃ混ぜ。読むにあたって計画性はない。本屋に行ってはたまたま目についた本を買い、古本屋でも同様、図書館の場合は代わり映えしないので、とりあえず一周してみる。その都度、持って帰れる分量を持ち帰る。

当然ながら、本はたまる一方。連れ合いの神経に障るのは分かってるから、いつ何時捨てられても文句はないという約束になっている。「これだけは捨てないで」という本は別にしてある。でも、捨てられたことはない。

自分で捨てたことはある。大処分は、今までに二度やった。二度目の大処分以来、義父母が亡くなり、娘と息子が独立して、かつて6人で暮らした家に、連れ合いと二人で暮らしている。もう、本の大処分はしなくても済みそうだ。

とりあえず最近手に入れた本は、身近に置いてある。読み始めて、気持ちが入っていかない本は、読むのをやめる。苦痛を感じながら読むと、読書が嫌いになる。そのため、四・五冊が一気になくなることがある。

そんなときは、過去の本にあたる。過去の本の中には、間が悪くて読んでない本もある。気持ちが入っていかなかったけど、今度は面白く読めそうな本もある。読んだけど、もう一度読みたくなる本もある。

この本は、間が悪くて読んでなかった本。おそらく、他の料理の本を優先しているうちに、読みそびれたんだろう。なにしろ、料理の本とはいっても、料理エッセイで、全部文章だから。

著者の土屋敦さんは、料理研究家で書評家なんだそうだ。その土屋さんがこれまで目を通してきた料理本の中から「これはすごい」と感じたレシピを拾い上げ、料理家の料理に対する哲学、料理家自身の料理に対する姿勢を含めて紹介したものである。

なんだ、なんだ。そうか、これはと思ったレシピがあったら、一々それに入れあげておけば、こういう本ができるのか。私は、その“本”の方に反応してしまうからな。




扶桑社新書  ¥ 時価

レシピというものは、それを作った人とその家族の幸せに直接に関わっている
たなかれいこ 蓮根のはさみ揚げ
土井善晴 サンマの塩焼き
米沢亜衣 豚のカリフラワー煮
栗原はるみ たこの香味サラダ
有本洋子 絹さやだけのみそ汁
奥園壽子 豚の角煮
奥園壽子 黒豆
佐藤雅子 小あじの牛乳漬け
阿部なを にしんの醤油漬け
辰巳芳子 煮サラダ
野崎洋光 牡蛎の青海蒸し
河田吉功 ほうれん草とにんにく
辻嘉一 なめこ汁
春田光治 魚のプロヴァンス風煮込みスープ
山本彩香 ヌンクー
オーディド・シュウォーツ ラブナ
難民支援協会 ニラたっぷりの卵焼き
浅野陽 常夜鍋
檀一雄 大正コロッケ
平松洋子 揚げ卵はさみバケットサンド
丸元淑生 タラのグラシオサ風
開高健 生ウニのオムレツ










料理本の中の料理にも、もちろん思い入れは湧くんだ。だけど、一人の料理家が、あるテーマを持ってその本を作ってる。料理は、そのテーマを完遂するための展開の一つと受け止めてしまうんだ。

例えば、一人の料理家の人生を描いた小説があるとする。その料理人が心血を注いだレシピを作り上げたとする。料理人はそれを、不治の病で余命幾ばくもない愛する人のために作ったとする。愛する人は、それを一匙、口に運び、涙を流す。後に料理人は、一生、人に喜んでもらえる料理を作っていくことを、今は亡きその人に誓うんだ。

そのレシピがどんなものであるかは、もちろん重要だ。作ってみようと考えるかも知れない。しかしそれは、物語の中の、重大ではあっても、要素の一つ。

私が料理の本を読むときは、もちろん一つ一つのレシピに向き合うことになるんだけど、それはあくまでも、その本のテーマを前提としてのこと。あくまでも反応するのは、本に対してなんだな。

だけど、著者の土屋さんは、私とはやはり違う。ここの料理を検証することで、その料理家の料理への向き合い方、料理哲学みたいなものを抽出していくんだな。本を越えて、人に興味が集約されていくようだ。この本には、その上で、その人を語るに最もふさわしい料理が紹介されているというわけだ。

私は本に、それ以上のものを求めない。書いた人が誰なのかも、問題としない。だから書いた人の名前をなかなか覚えない。著者の土屋さんはそうではないね。

そんなことを始める前は、ただの失業者だったようだ。それが、本の書評を書いて、小金を手にするような生活を始めた。その始まりは、ある料理の本の書評を、《料理本批評家》というハンドルネームで送ったことだったそうだ。それが認められ、600円を手にしたことが、彼を図に乗らせてしまったようだ。

なにしろ、自分の趣味である「料理を作ること」と「本を読むこと」を両立させる《料理本批評家》のような仕事で食っていけないかと、ほとんど犯罪に近いような考えから始まったことだというのだから。

無職の男の最初の妄想から15年を経て、ご本人は、ようやく《料理本批評家》になれたとのたまう。まあ、実力でそうなったのだから、大したもんだ。しかし、私は思う。このような良い本を読んで、著者に続こうなどと言う愚か者が出てこないことを祈りたいところだ。

私の記憶に残る料理も、いくつか取り上げられていた。中には、作ってみたことのある料理もあった。後日、紹介してみたい。



関連記事

テーマ : 料理の本
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください


現代とはなぜこんなにも棲みにくいのか。
前近代から近現代へと変貌し続ける世相の本質をつかみ生き方の支柱を示す。
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本








































































リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事