『熱源』 川越宗一
新型コロナウイルスには、参りますね。
うちの方の小学校の卒業式も中止にすると、今さっき(23日)、区長会の連絡網で回ってきた。卒業式を翌日に控えて、ギリギリの判断であったようだ。卒業生たちも可哀想ではあるけれど、その分きっと、何か良いことで、あなたたちの人生が埋め合わされることを、おじさんは信じているよ。
この『熱源』という本を読むことになったのは、全くの偶然。何しろ私が買った本じゃない。連れ合いの本。しかも、たまたま身近に真新しい本がなかったので、ここ数日間、連れ合いが熱心に読んでいたこの本をペラペラめくってしまっただけのこと。
だいたい、『熱源』という題名からでは、内容は類推もできない。表紙に書かれた犬ぞりが走る様子から、“冒険”という言葉は浮かんだ。「植村直己みたいな探検家を取り上げているのかも知れない」なんていう思いもあって、ペラペラめくってしまったわけだ。
めくってみると、まずは題名と作者の名前があり、続いて目次が現れる。“サハリン”、“日出づる国”・・・、明治期の樺太が舞台かもしれない。さらにめくると、北海道と樺太を注進とした地図が現れる。ロシア領には、ウラジヴォストークも記載されている。ロシアも絡んでくるようだ。
さらにめくると、登場人物の紹介がある。ここまで来ればはっきりする。この物語は、欧米列強と新興国家日本の台頭の中で、徐々に故郷を奪われ、その存在自体を問われるようになっていく樺太アイヌの様子を描いた物語だ。
即座に、頭に浮かんだ本がある。
それは、船戸与一の『蝦夷地別件』。1996年の本で、とてつもなく面白かった。
商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人の横暴にあえぐアイヌたちが、ついに和人に対して蜂起したクナシリ・メナシの戦いの前後を描いたものだった。


全権プチャーチンとの間にかわされた、日ロの最初の約束事、日米和親条約においては、千島列島では択捉島とウルップ島の間に境界が設けられた。樺太においては境界を定めず、混住の地とすることが定められた。それが安政2年、1855年のことだ。
そのあと、明治8年、1875年に千島樺太交換条約が結ばれる。この間、樺太においては、“混住”、つまりなんの定めもない中でロシアによる樺太開発が本格化していた。日ロは、再度、境界線画定のための交渉を行なうが、またも不調に終わる。両国は自国の優位を確定するため、競って移民を樺太に入れている。先住民であるアイヌにしてみれば、いい迷惑だ。事実、、日本人、ロシア人、アイヌの間での摩擦が増え、不穏な情勢になっていたという。
そこで、日本がロシアに持ちかけたのが、千島樺太交換条約であった。遠隔地である樺太でロシアと争うよりも、千島列島を確保して北海道開拓に全力を注ぐことを重視したものである。面積から、外交における弱腰を攻める意見もあるが、まずは極東の小国からの申し出を、ロシアに受け入れさせたことに大きな意味があると思う。
ロシアにしてみれば、ウルップ島から北の千島列島を確保したまま、混住地の樺太の全部を自分のものとする可能性もあったわけだ。日本は、その可能性を、ロシアにあきらめさせた。
当時、バルカン半島への影響力と黒海の制海権をめぐって、ロシアとオスマン帝国の間で長い戦いが続いていた。東ヨーロッパに食い込んだオスマン帝国の領土は、帝国の弱体化とともに、列強の間でも懸案の地となっていた。なかでもロシアの南下政策は、イギリスの覇権への挑戦という側面もあり、列強の注目を集めた。クリミア戦争はその一環であった。それが終結した平穏な時期に、ロシアは樺太開発を本格化させたわけだ。
千島樺太交換条約が調印された時期、1,875年だな。実は、ロシアとオスマン帝国の対立の地であるバルカン半島に、新たな事態が持ち上がっていた。ボスニア・ヘルツェコヴィナに住むスラブ系キリスト教徒が、ムスリムの地主による搾取に反発して農民反乱が起きていた。それはブルガリアにも飛び火し、半島全体に反オスマン帝国の機運が高まっていく。そんな時期だった。
クリミア戦争の敗北をおして、ロシアはバルカン半島への進出を狙っていた。露土戦争が始まるのは1877年だが、すでにロシアの意識はバルカン半島にあっただろう。樺太の小競り合いに決着をつけることは、バルカン半島に集中したいロシアには降ってわいた幸運だったはずだ。
そのようにして、千島樺太交換条約が結ばれる。この『熱源』は、そこから始まる話である。
「弱肉強食の摂理の中で、我らは戦った。あなたたちはどうする」 「私たちは、いや私は、その摂理と戦います。あの島の人々が持っている熱が失われないように」
『蝦夷地別件』を読んだときも思ったんだよなぁ。田沼意次の改革が続いていれば、ロシアとの関係はもっと良好な状態で始められたであろうし、松平定信時代のように、むやみにアイヌを追い詰めることもなかったろう。状況によっては、北方の諸民族の状況も大きく変わっていた可能性もあったと感じている。
うちの方の小学校の卒業式も中止にすると、今さっき(23日)、区長会の連絡網で回ってきた。卒業式を翌日に控えて、ギリギリの判断であったようだ。卒業生たちも可哀想ではあるけれど、その分きっと、何か良いことで、あなたたちの人生が埋め合わされることを、おじさんは信じているよ。
この『熱源』という本を読むことになったのは、全くの偶然。何しろ私が買った本じゃない。連れ合いの本。しかも、たまたま身近に真新しい本がなかったので、ここ数日間、連れ合いが熱心に読んでいたこの本をペラペラめくってしまっただけのこと。
だいたい、『熱源』という題名からでは、内容は類推もできない。表紙に書かれた犬ぞりが走る様子から、“冒険”という言葉は浮かんだ。「植村直己みたいな探検家を取り上げているのかも知れない」なんていう思いもあって、ペラペラめくってしまったわけだ。
めくってみると、まずは題名と作者の名前があり、続いて目次が現れる。“サハリン”、“日出づる国”・・・、明治期の樺太が舞台かもしれない。さらにめくると、北海道と樺太を注進とした地図が現れる。ロシア領には、ウラジヴォストークも記載されている。ロシアも絡んでくるようだ。
さらにめくると、登場人物の紹介がある。ここまで来ればはっきりする。この物語は、欧米列強と新興国家日本の台頭の中で、徐々に故郷を奪われ、その存在自体を問われるようになっていく樺太アイヌの様子を描いた物語だ。
即座に、頭に浮かんだ本がある。
それは、船戸与一の『蝦夷地別件』。1996年の本で、とてつもなく面白かった。
商人による苛烈な搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人の横暴にあえぐアイヌたちが、ついに和人に対して蜂起したクナシリ・メナシの戦いの前後を描いたものだった。
『熱源』 川越宗一 文藝春秋社 ¥ 2,035 樺太アイヌの戦いと冒険を描く、前代未聞の傑作巨編! |
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全権プチャーチンとの間にかわされた、日ロの最初の約束事、日米和親条約においては、千島列島では択捉島とウルップ島の間に境界が設けられた。樺太においては境界を定めず、混住の地とすることが定められた。それが安政2年、1855年のことだ。
そのあと、明治8年、1875年に千島樺太交換条約が結ばれる。この間、樺太においては、“混住”、つまりなんの定めもない中でロシアによる樺太開発が本格化していた。日ロは、再度、境界線画定のための交渉を行なうが、またも不調に終わる。両国は自国の優位を確定するため、競って移民を樺太に入れている。先住民であるアイヌにしてみれば、いい迷惑だ。事実、、日本人、ロシア人、アイヌの間での摩擦が増え、不穏な情勢になっていたという。
そこで、日本がロシアに持ちかけたのが、千島樺太交換条約であった。遠隔地である樺太でロシアと争うよりも、千島列島を確保して北海道開拓に全力を注ぐことを重視したものである。面積から、外交における弱腰を攻める意見もあるが、まずは極東の小国からの申し出を、ロシアに受け入れさせたことに大きな意味があると思う。
ロシアにしてみれば、ウルップ島から北の千島列島を確保したまま、混住地の樺太の全部を自分のものとする可能性もあったわけだ。日本は、その可能性を、ロシアにあきらめさせた。
当時、バルカン半島への影響力と黒海の制海権をめぐって、ロシアとオスマン帝国の間で長い戦いが続いていた。東ヨーロッパに食い込んだオスマン帝国の領土は、帝国の弱体化とともに、列強の間でも懸案の地となっていた。なかでもロシアの南下政策は、イギリスの覇権への挑戦という側面もあり、列強の注目を集めた。クリミア戦争はその一環であった。それが終結した平穏な時期に、ロシアは樺太開発を本格化させたわけだ。
千島樺太交換条約が調印された時期、1,875年だな。実は、ロシアとオスマン帝国の対立の地であるバルカン半島に、新たな事態が持ち上がっていた。ボスニア・ヘルツェコヴィナに住むスラブ系キリスト教徒が、ムスリムの地主による搾取に反発して農民反乱が起きていた。それはブルガリアにも飛び火し、半島全体に反オスマン帝国の機運が高まっていく。そんな時期だった。
クリミア戦争の敗北をおして、ロシアはバルカン半島への進出を狙っていた。露土戦争が始まるのは1877年だが、すでにロシアの意識はバルカン半島にあっただろう。樺太の小競り合いに決着をつけることは、バルカン半島に集中したいロシアには降ってわいた幸運だったはずだ。
そのようにして、千島樺太交換条約が結ばれる。この『熱源』は、そこから始まる話である。
「弱肉強食の摂理の中で、我らは戦った。あなたたちはどうする」 「私たちは、いや私は、その摂理と戦います。あの島の人々が持っている熱が失われないように」
『蝦夷地別件』を読んだときも思ったんだよなぁ。田沼意次の改革が続いていれば、ロシアとの関係はもっと良好な状態で始められたであろうし、松平定信時代のように、むやみにアイヌを追い詰めることもなかったろう。状況によっては、北方の諸民族の状況も大きく変わっていた可能性もあったと感じている。
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