『冥途のお客』 佐藤愛子
『冥途のお客』・・・、なんとも、耳なじみの良いひびき。
なんて思って手にした本だけど、後から気がついた。『冥途のお客』じゃなくて、“冥途の飛脚”だろ。あの、人形浄瑠璃の。それじゃ、人情もののお話か。なんて思ったら、まるで違った。『冥途のお客』という題名は、“冥途の飛脚”という耳なじみの良いひびきを借り受けたもの。
しかも、著者の佐藤愛子さんのところには、実際、冥途からのお客さんが訪ねてこられるようなんだ。この本は、96歳となられた佐藤さんが80歳間近となられた頃に書かれたもの。その段階で、「この世よりもあの世の友達の方が多くなってしまった」と言っておられる。それから16年余を過ぎて、おそらく、ほとんどのお友達は、あちら側でしょう。
ただ、訪ねてくるお客さんは、どうも、あちらに行ったお知り合いばかりというわけでもないようで、どうやら、現れて欲しくないお客さんが、あちらの都合で一方的にやってくる場合が多いそう。そういう輩は、だいたい、こちらが一人になるのを待って、いよいよ気配をあらわにし、思わせぶりに足音だけをたててみたり、ものを揺すってみたり、蛇口をひねってみたりと、性格の悪さを隠そうともしない行い。
そんなことを言うからには、お前もそういう体験があるかって・・・。
かつて、あった。18までは、確実にあった。その後、徐々に少なくなり、30を少し過ぎて、なくなった。
以前書いたことがあるが、私の生まれた家の惣領の妻は、ごく狭い範囲に限定された地域信仰の巫女のような役割を務めていた。やることは占いのようなもので、地域の女たちの相談を受けて、神の託宣を下すのだ。
私の祖母は、そういった力の強い人だった。他の家族には、その傾向はなかったが、私だけがそれを受け継いだようだ。私のところに人の姿で現れるのは、だいたい、私の家につながる人だったようだ。
夜中に目を覚ましたときに、私の足下に正座をしているベレー帽をかぶった男の人を見たことがある。父親と思ってよく見ると、まったく別人で、後ろにあるはずの障子の桟が透けているの気づき、あわててふとんをかぶった。
翌日それを家族に話しても、「それはお前が馬鹿だからだ」と決めつけられた。後で祖母に呼びつけられ、それが私の曾祖父の父親であると教えてもらった。土地持ちだった家を、博打につぶした遊び人で、気取ってよくベレー帽をかぶっていたと。


光る球のようなものは、よく見た。昼間でも飛んでいた。しかも、家の中を。母にまとわりついて離れないこともあった。犬が、その球とじゃれ合っているのも見たことがある。自分の家での経験が多いが、高校で山岳部に入ってからは、山での不思議な経験もした。
18で、私は家を出た。その頃から、不思議な経験は減った。30を過ぎた頃、祖母が亡くなった。その頃から、そういう経験はなくなった。どうやら、その力の強かった祖母に触発されての経験だったようだ。今、60を過ぎて、私は再発を望まない。
私の母は、頭のいい人で、近代的な女性だった。惣領の妻としてその役割を受け入れたが、自分の長男の妻には、それを伝授せず、自分の責任でその役割を終わりにした。
佐藤愛子さん自身は、50歳を過ぎた頃からそういった霊的体験をするようになったんだそうだ。20歳頃までにそういう経験をしなければ、そういう力は年齢とともに落ちていくから、そういう経験をせずに済むと聞いたことがある。どうやらそうとは限らないようだ。私は祖母が死んでから、そういう経験しなくなったから安心していたんだけどな。
引っ越してきた夫婦者の夫人に取り付いた色情霊の話。
自分の葬儀の相談の場の電気を明滅させて、別れの挨拶をして逝った川上宗薫。
戦国の合戦の砦と化した、岐阜県の町営住宅の話。
取り付かれやすい体質であるにもかかわらず、それを悔やみもせず、飄々として旅立った友人の話。
優しさゆえに、取り付かれちゃうこともある。情けをかけるのも時と場合。まして相手が狐の霊ならば。
なくしたはずのネックレスが、何度も探した小銭入れから出てきた。いたずら者の狐霊の話。
あの世を信じていない人に、あの世のことを話すのは難しい。
成仏できずにいたお父さんは、今は頑張って活躍している?
あの世はあると確信する佐藤愛子さん。
親交のあった遠藤周作と、もしもあの世があったら、早く死んだ方が、生きている方に、「あの世があったよ」って連絡しようって言い合っていたんだそうだ。遠藤周作が先に死んで、しばらくしてから、「あの世があったよ」って言いに来たという。
あの江原啓之さんが、どうやら遠藤周作の霊と波長が合ったらしく、「今、遠藤周作がこういっている」「こういうことをやっている」って、実況中継してくれたんだそうだ。
どうなんだろうね、死んだ後。何も無くてもともとくらいの気持ちで、楽しみに待ちたいもんだな。もしも地獄があったなら、「源信の書いた『往生要集』なんか、今でいえば霊感商法みたいなもんだ」なんて思ってたことを謝らなきゃいけない。いや、地獄行きの私が源信に会うことはできないか。
なんて思って手にした本だけど、後から気がついた。『冥途のお客』じゃなくて、“冥途の飛脚”だろ。あの、人形浄瑠璃の。それじゃ、人情もののお話か。なんて思ったら、まるで違った。『冥途のお客』という題名は、“冥途の飛脚”という耳なじみの良いひびきを借り受けたもの。
しかも、著者の佐藤愛子さんのところには、実際、冥途からのお客さんが訪ねてこられるようなんだ。この本は、96歳となられた佐藤さんが80歳間近となられた頃に書かれたもの。その段階で、「この世よりもあの世の友達の方が多くなってしまった」と言っておられる。それから16年余を過ぎて、おそらく、ほとんどのお友達は、あちら側でしょう。
ただ、訪ねてくるお客さんは、どうも、あちらに行ったお知り合いばかりというわけでもないようで、どうやら、現れて欲しくないお客さんが、あちらの都合で一方的にやってくる場合が多いそう。そういう輩は、だいたい、こちらが一人になるのを待って、いよいよ気配をあらわにし、思わせぶりに足音だけをたててみたり、ものを揺すってみたり、蛇口をひねってみたりと、性格の悪さを隠そうともしない行い。
そんなことを言うからには、お前もそういう体験があるかって・・・。
かつて、あった。18までは、確実にあった。その後、徐々に少なくなり、30を少し過ぎて、なくなった。
以前書いたことがあるが、私の生まれた家の惣領の妻は、ごく狭い範囲に限定された地域信仰の巫女のような役割を務めていた。やることは占いのようなもので、地域の女たちの相談を受けて、神の託宣を下すのだ。
私の祖母は、そういった力の強い人だった。他の家族には、その傾向はなかったが、私だけがそれを受け継いだようだ。私のところに人の姿で現れるのは、だいたい、私の家につながる人だったようだ。
夜中に目を覚ましたときに、私の足下に正座をしているベレー帽をかぶった男の人を見たことがある。父親と思ってよく見ると、まったく別人で、後ろにあるはずの障子の桟が透けているの気づき、あわててふとんをかぶった。
翌日それを家族に話しても、「それはお前が馬鹿だからだ」と決めつけられた。後で祖母に呼びつけられ、それが私の曾祖父の父親であると教えてもらった。土地持ちだった家を、博打につぶした遊び人で、気取ってよくベレー帽をかぶっていたと。
『冥途のお客』 佐藤愛子 文春文庫 ¥ 660 「死ねば何もかも無に帰す」と思っている人たちにわかってもらいたい |
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光る球のようなものは、よく見た。昼間でも飛んでいた。しかも、家の中を。母にまとわりついて離れないこともあった。犬が、その球とじゃれ合っているのも見たことがある。自分の家での経験が多いが、高校で山岳部に入ってからは、山での不思議な経験もした。
18で、私は家を出た。その頃から、不思議な経験は減った。30を過ぎた頃、祖母が亡くなった。その頃から、そういう経験はなくなった。どうやら、その力の強かった祖母に触発されての経験だったようだ。今、60を過ぎて、私は再発を望まない。
私の母は、頭のいい人で、近代的な女性だった。惣領の妻としてその役割を受け入れたが、自分の長男の妻には、それを伝授せず、自分の責任でその役割を終わりにした。
佐藤愛子さん自身は、50歳を過ぎた頃からそういった霊的体験をするようになったんだそうだ。20歳頃までにそういう経験をしなければ、そういう力は年齢とともに落ちていくから、そういう経験をせずに済むと聞いたことがある。どうやらそうとは限らないようだ。私は祖母が死んでから、そういう経験しなくなったから安心していたんだけどな。
引っ越してきた夫婦者の夫人に取り付いた色情霊の話。
自分の葬儀の相談の場の電気を明滅させて、別れの挨拶をして逝った川上宗薫。
戦国の合戦の砦と化した、岐阜県の町営住宅の話。
取り付かれやすい体質であるにもかかわらず、それを悔やみもせず、飄々として旅立った友人の話。
優しさゆえに、取り付かれちゃうこともある。情けをかけるのも時と場合。まして相手が狐の霊ならば。
なくしたはずのネックレスが、何度も探した小銭入れから出てきた。いたずら者の狐霊の話。
あの世を信じていない人に、あの世のことを話すのは難しい。
成仏できずにいたお父さんは、今は頑張って活躍している?
あの世はあると確信する佐藤愛子さん。
親交のあった遠藤周作と、もしもあの世があったら、早く死んだ方が、生きている方に、「あの世があったよ」って連絡しようって言い合っていたんだそうだ。遠藤周作が先に死んで、しばらくしてから、「あの世があったよ」って言いに来たという。
あの江原啓之さんが、どうやら遠藤周作の霊と波長が合ったらしく、「今、遠藤周作がこういっている」「こういうことをやっている」って、実況中継してくれたんだそうだ。
どうなんだろうね、死んだ後。何も無くてもともとくらいの気持ちで、楽しみに待ちたいもんだな。もしも地獄があったなら、「源信の書いた『往生要集』なんか、今でいえば霊感商法みたいなもんだ」なんて思ってたことを謝らなきゃいけない。いや、地獄行きの私が源信に会うことはできないか。
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