『封印されていた文書』 麻生幾
献血に行こうかと思っている。
おそらく、こんなご時世で、血が集まらなくなっているだろう。
実はかつて勤務した高校にJRC部というのがあって、山岳部の指導ができなくなっていたこともあって、顧問を務めていた時期がある。赤十字の精神からははるかに遠い私には不向きの仕事であったが、なり行き上、望まなくても引き受けざるを得ないことなんていくらでもある。
重大な活動の一つに、献血の推進があった。学校に献血車を呼んで、生徒たちに献血を呼びかけた。私の精神が赤十字精神からはるかに遠いところにあろうとも、輸血用の血液が医療には必要なことにはなんの関わりもない。
しかし、私は注射が嫌いである。医者にかかるのも嫌だ。だから、生徒に献血を呼びかけながら、自分は献血車には近寄らないようにしていた。ある年、そんな私の不穏な行動に気がついた生徒がいて、私にそれを問い質した。
さらに逃げるわけにも行かない。以来、毎年の献血の際、まず私を献血車に向かわせることが、JRC部員の仕事として引き継がれるようになった。それは、その学校から転勤するまで続いた。
それ以来、献血をしていない。もう、14年にもなる。
冒頭にそうある。
さらにページをめくると、《あまりにも過酷な任務であるにもかかわらず、決して公に賞賛されることがない、真なるプロフェッショナルに捧ぐ》とある。


上の“目次”から、類推してみて欲しい。
とりあえず、それを、《三菱銀行事件犯人「梅川昭美」VS大阪府警捜査第1課》で追ってみる。これは1979年、私が19歳の時に起きた事件。うろ覚えながら記憶にはある。
犯人の梅川昭美が大阪市の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入した。客と行員30人以上を人質として立てこもり、警察官2名、支店長と行員、計4名を射殺し、果てには女性行員を裸体にさせて行内の接客カウンター前で横一列に立ち並ばせ、籠城を続けた。事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警特殊部隊員が突入して梅川を射殺した。
特殊部隊はそれこそ特殊な訓練を受けた者たちであるが、“プロフェッショナル”は特殊部隊を指しているのではない。目次の題名にもあるとおり、大阪府警捜査第1課を指している。
そして彼らが引き受けた、“あまりにも過酷な任務”とは、この戦後治安史上最悪な事件の全体像を明らかにし、残虐な犯行のうらに、いったい何があったのか、それを明らかにすることだった。
梅川は、一人暮らしを始めた15歳のとき、アパートの家賃や遊興費を捻出するという目的で、アルバイト先の土建業者の自宅に押し入り、一人でいた若妻をナイフで滅多刺しにして殺している。梅川は少年院に入れられたが、しばらくして脱走を図り、捕らえられて特別少年院に封じ込められる。
しかし、たった1年半で仮退院している。広島家裁は、「少年の病質的人格は容易に矯正し得ず、社会に出れば同様の飛行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性がある。だが、少年であるがゆえに処罰し得ない」とあきらめている。
起こるべくして起こった三菱銀行事件を、被疑者死亡と結論して片付けるわけにはいかなかった。
執念の捜査は全国に及び、梅川の身上を調べ上げ、元妻、友人、愛人、同級生、親戚から徹底した事情聴取を繰り返した。
その捜査の結果が、この本に明らかにされたものとなる。つまり、捜査の結果、明らかにされた結論は、被疑者死亡ゆえに公判で明らかにされることもなく、非公開として、秘匿文書の中に封印された。
当時の捜査幹部は、封印されたがゆえに、この事件の教訓は、未だに生かされていない。つまり、生かされていれば、防げた事件が起こり続けていると言っている。
社会を震撼させたこれらの事件の背景に、過酷な任務に背筋をただし、しかも決して公に賞賛されていないプロフェッショナルがいた。彼らが誰で、どんな任務に直面したのか、それを想像してから読んでみると面白い。
おそらく、こんなご時世で、血が集まらなくなっているだろう。
実はかつて勤務した高校にJRC部というのがあって、山岳部の指導ができなくなっていたこともあって、顧問を務めていた時期がある。赤十字の精神からははるかに遠い私には不向きの仕事であったが、なり行き上、望まなくても引き受けざるを得ないことなんていくらでもある。
重大な活動の一つに、献血の推進があった。学校に献血車を呼んで、生徒たちに献血を呼びかけた。私の精神が赤十字精神からはるかに遠いところにあろうとも、輸血用の血液が医療には必要なことにはなんの関わりもない。
しかし、私は注射が嫌いである。医者にかかるのも嫌だ。だから、生徒に献血を呼びかけながら、自分は献血車には近寄らないようにしていた。ある年、そんな私の不穏な行動に気がついた生徒がいて、私にそれを問い質した。
さらに逃げるわけにも行かない。以来、毎年の献血の際、まず私を献血車に向かわせることが、JRC部員の仕事として引き継がれるようになった。それは、その学校から転勤するまで続いた。
それ以来、献血をしていない。もう、14年にもなる。
真実は“刃物”である。特に、歴史の真実が明らかになるまでには、時間が必要であるだけではない。 真実の前に横たわる、それを公開すべきではないという無言の力との密やかな戦いも、時として必要となる。 しかし、すべてが悲観にくれることはない。 〈秘匿された文書〉は必ずや我々に希望と勇気を与えてくれる。 |
冒頭にそうある。
さらにページをめくると、《あまりにも過酷な任務であるにもかかわらず、決して公に賞賛されることがない、真なるプロフェッショナルに捧ぐ》とある。
『封印されていた文書』 麻生幾 新潮文庫 ¥ 時価 隠された秘密を追って、衝撃的な文書や証言を引き出し、10大事件の全貌と真相に迫る |
その“プロフェッショナル”とは、誰なのか。“あまりにも過酷な任務”とは、なんだったのか。
上の“目次”から、類推してみて欲しい。
とりあえず、それを、《三菱銀行事件犯人「梅川昭美」VS大阪府警捜査第1課》で追ってみる。これは1979年、私が19歳の時に起きた事件。うろ覚えながら記憶にはある。
犯人の梅川昭美が大阪市の三菱銀行北畠支店に銀行強盗目的で侵入した。客と行員30人以上を人質として立てこもり、警察官2名、支店長と行員、計4名を射殺し、果てには女性行員を裸体にさせて行内の接客カウンター前で横一列に立ち並ばせ、籠城を続けた。事件発生から42時間後の1月28日、SATの前身である大阪府警特殊部隊員が突入して梅川を射殺した。
特殊部隊はそれこそ特殊な訓練を受けた者たちであるが、“プロフェッショナル”は特殊部隊を指しているのではない。目次の題名にもあるとおり、大阪府警捜査第1課を指している。
そして彼らが引き受けた、“あまりにも過酷な任務”とは、この戦後治安史上最悪な事件の全体像を明らかにし、残虐な犯行のうらに、いったい何があったのか、それを明らかにすることだった。
梅川は、一人暮らしを始めた15歳のとき、アパートの家賃や遊興費を捻出するという目的で、アルバイト先の土建業者の自宅に押し入り、一人でいた若妻をナイフで滅多刺しにして殺している。梅川は少年院に入れられたが、しばらくして脱走を図り、捕らえられて特別少年院に封じ込められる。
しかし、たった1年半で仮退院している。広島家裁は、「少年の病質的人格は容易に矯正し得ず、社会に出れば同様の飛行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性がある。だが、少年であるがゆえに処罰し得ない」とあきらめている。
起こるべくして起こった三菱銀行事件を、被疑者死亡と結論して片付けるわけにはいかなかった。
執念の捜査は全国に及び、梅川の身上を調べ上げ、元妻、友人、愛人、同級生、親戚から徹底した事情聴取を繰り返した。
その捜査の結果が、この本に明らかにされたものとなる。つまり、捜査の結果、明らかにされた結論は、被疑者死亡ゆえに公判で明らかにされることもなく、非公開として、秘匿文書の中に封印された。
当時の捜査幹部は、封印されたがゆえに、この事件の教訓は、未だに生かされていない。つまり、生かされていれば、防げた事件が起こり続けていると言っている。
社会を震撼させたこれらの事件の背景に、過酷な任務に背筋をただし、しかも決して公に賞賛されていないプロフェッショナルがいた。彼らが誰で、どんな任務に直面したのか、それを想像してから読んでみると面白い。
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