『八月十五日に吹く風』 松岡圭祐
実は、行きつけの本屋さんがお休みになっている。
図書館は、休館になって久しい。BOOKOFFは土日祝日はお休みしている。インターネットで本を注文するのって、実はあまり得意ではない。書架の間を歩き回って、本の匂いを嗅ぎながら、丹念に本を選びたい。
丹念に選んだまま、読んでない本もある。うちの居間には、最近、手に入れた本があちらこちらに転がっている。もう読んだ本、途中まで読んでる本、まだ読んでない本、そんなのが、・・・今ざっと数えたら、17冊転がってる。そのうち、連れ合いの顔色が険しくなるに違いないので、敏感に気配を感じ取って整理にかかる。整理といっても、押し入れの段ボールに入ってもらう。
その時、冷静に、“読んだ本”、“読んでない本”、“途中の本”って分けて整理できればいいんだけど、連れ合いの気配によっては、ただまとめて段ボールにドンという場合もある。その中に図書館の本があったりすると、程なくお呼びがかかる。
また、そのうちに読みたい本を買ってきちゃうから、前に読みたかった本は押し入れの中で熟成に入っていく。そして、押し入れに置き去りにした私の都合で、また引っ張り出されたりもする。
かと言って、それで読むのかというと、読まない場合もある。読んでなければ何でもいいって言うわけでもない。なんていうの?その時の肌合いというか、まあ、気分だね。買ったときは読みたいと思ったかも知れないけど、なんかの理由で読みそびれて、今、同じように読みたいと思うかどうかは分からない。
とりあえず、押し入れに身体の半分を突っ込んだような体勢で、段ボール箱の本を引っ張り出してみる。いくつかの段ボールと格闘しているうち、この本を見つけた。
『八月十五日に吹く風』
2017年12月第1冊発行の本。アマゾンで調べたら、今は文庫本で出てる。いくつかの未読の本と一緒に取り出した中でも、今一番読みたいのは、すでに一度読んだこの本だった。


日本兵の玉砕戦術を、日本兵が死に急いでいると見るのは誤りである。それは捕虜になることを極端に恥じる心理に基づいている。兵士自身のみならず、祖国に残す家族に肩身の狭い思いをさせまいと、生き恥をさらすよりも死を選ぶ。
その信念は極めて強い。戦死を前提にした戦闘行為をまっとうする比率も、ドイツ軍兵士をはるかにしのぐ。だが自分のみならず、同胞も誇りある死を迎えるべきと考えるため、味方の人命を重視しない。
敵を正面に釘付けにし、別働隊を脇や後方に迂回させ襲撃させる包囲作戦のみに固執し、他の可能性を考えない。部隊は秩序が保たれ、兵士たちも勇敢ながら、司令塔となる将校を失うとパニックを起こす。この点も兵士自身が思考を持たないことに起因する。
人命軽視。不条理な戦死の目的化。同一戦法への固執。想定外の事態への対処能力欠如。理想や願望と事実の混同。これは日本兵分析結果五項目だそうだ。
マンハッタン計画のレスリー・グローブスは、「軍人に限らず、夫人や子どもを含む一般市民にいたるまで、日本人は自他の生命への執着が薄弱である。軍部による本土決戦及び一億玉砕、一億総特攻に、誰もが抵抗なく呼応している」と原爆の使用を訴える。
アメリカはオアフ島の海軍基地を攻撃され、3500弱が戦死した。日本を追い込んでおいて、攻撃を仕掛けさせたくせに、「REMEMBER PEARL HARBOR!」とわけの分からないことを言い出す。さらに日本人は理解不能な野蛮人とプロパガンダを垂れ流し、いつの間にかアメリカ人自身がそのプロパガンダに引っかかって、市街地への無差別な空襲を行なって老若男女を殺してもいい、日本に原爆を落としてもいいと思い込んだ。
白人が世界各地で行なってきたことを、アメリカがインディアンに対して行なったことを、アメリカ合衆国がアメリカ連合国に対して行なったことを知っていれば、日本人が民族の絶滅を背負って戦うのは当たり前のことだった。
日本の陸軍と海軍が心を一つにして、アメリカ艦船が取り囲むキスカ島に取り残さた守備隊5200の兵士たちを救出したキスカ島撤退作戦に、アメリカ軍諜報部員として立ち会ったのがドナルド・キーンさんだったという。彼は、この本にロナルド・リーンとして登場する。
そして彼は、日本軍によるキスカ島撤退作戦をもとにして、海軍大将のスプルーアンスに訴える。日本人は自分たちと同じように人命を尊ぶ人々で、自分の命を危険にさらしてでも仲間を助けようとする人々だと。
日米間の戦争を描き出そうとすれば、誰もが大きな困難にぶつかることになる。戦争中にアメリカは、さまざまなプロパガンダを流した。そのうちアメリカ人自身がそのプロパガンダを信じ込み、実際には戦後も訂正されていない。だからこの戦争を描こうとすれば、必ず事実とプロパガンダの矛盾にぶつかる。
この物語は、そのこと自体を題材にしている。2年半前に読んだとき、今までの戦争物にはない爽快感を味わったのは、それが理由の一つだろう。
いつか、もう一度読もう。
図書館は、休館になって久しい。BOOKOFFは土日祝日はお休みしている。インターネットで本を注文するのって、実はあまり得意ではない。書架の間を歩き回って、本の匂いを嗅ぎながら、丹念に本を選びたい。
丹念に選んだまま、読んでない本もある。うちの居間には、最近、手に入れた本があちらこちらに転がっている。もう読んだ本、途中まで読んでる本、まだ読んでない本、そんなのが、・・・今ざっと数えたら、17冊転がってる。そのうち、連れ合いの顔色が険しくなるに違いないので、敏感に気配を感じ取って整理にかかる。整理といっても、押し入れの段ボールに入ってもらう。
その時、冷静に、“読んだ本”、“読んでない本”、“途中の本”って分けて整理できればいいんだけど、連れ合いの気配によっては、ただまとめて段ボールにドンという場合もある。その中に図書館の本があったりすると、程なくお呼びがかかる。
また、そのうちに読みたい本を買ってきちゃうから、前に読みたかった本は押し入れの中で熟成に入っていく。そして、押し入れに置き去りにした私の都合で、また引っ張り出されたりもする。
かと言って、それで読むのかというと、読まない場合もある。読んでなければ何でもいいって言うわけでもない。なんていうの?その時の肌合いというか、まあ、気分だね。買ったときは読みたいと思ったかも知れないけど、なんかの理由で読みそびれて、今、同じように読みたいと思うかどうかは分からない。
とりあえず、押し入れに身体の半分を突っ込んだような体勢で、段ボール箱の本を引っ張り出してみる。いくつかの段ボールと格闘しているうち、この本を見つけた。
『八月十五日に吹く風』
2017年12月第1冊発行の本。アマゾンで調べたら、今は文庫本で出てる。いくつかの未読の本と一緒に取り出した中でも、今一番読みたいのは、すでに一度読んだこの本だった。
『八月十五日に吹く風』 松岡圭祐 講談社文庫 ¥ 814 人道を貫き、五千人の兵員を助けた、戦史に残る大規模撤退作戦 |
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日本兵の玉砕戦術を、日本兵が死に急いでいると見るのは誤りである。それは捕虜になることを極端に恥じる心理に基づいている。兵士自身のみならず、祖国に残す家族に肩身の狭い思いをさせまいと、生き恥をさらすよりも死を選ぶ。
その信念は極めて強い。戦死を前提にした戦闘行為をまっとうする比率も、ドイツ軍兵士をはるかにしのぐ。だが自分のみならず、同胞も誇りある死を迎えるべきと考えるため、味方の人命を重視しない。
敵を正面に釘付けにし、別働隊を脇や後方に迂回させ襲撃させる包囲作戦のみに固執し、他の可能性を考えない。部隊は秩序が保たれ、兵士たちも勇敢ながら、司令塔となる将校を失うとパニックを起こす。この点も兵士自身が思考を持たないことに起因する。
人命軽視。不条理な戦死の目的化。同一戦法への固執。想定外の事態への対処能力欠如。理想や願望と事実の混同。これは日本兵分析結果五項目だそうだ。
マンハッタン計画のレスリー・グローブスは、「軍人に限らず、夫人や子どもを含む一般市民にいたるまで、日本人は自他の生命への執着が薄弱である。軍部による本土決戦及び一億玉砕、一億総特攻に、誰もが抵抗なく呼応している」と原爆の使用を訴える。
アメリカはオアフ島の海軍基地を攻撃され、3500弱が戦死した。日本を追い込んでおいて、攻撃を仕掛けさせたくせに、「REMEMBER PEARL HARBOR!」とわけの分からないことを言い出す。さらに日本人は理解不能な野蛮人とプロパガンダを垂れ流し、いつの間にかアメリカ人自身がそのプロパガンダに引っかかって、市街地への無差別な空襲を行なって老若男女を殺してもいい、日本に原爆を落としてもいいと思い込んだ。
白人が世界各地で行なってきたことを、アメリカがインディアンに対して行なったことを、アメリカ合衆国がアメリカ連合国に対して行なったことを知っていれば、日本人が民族の絶滅を背負って戦うのは当たり前のことだった。
日本の陸軍と海軍が心を一つにして、アメリカ艦船が取り囲むキスカ島に取り残さた守備隊5200の兵士たちを救出したキスカ島撤退作戦に、アメリカ軍諜報部員として立ち会ったのがドナルド・キーンさんだったという。彼は、この本にロナルド・リーンとして登場する。
そして彼は、日本軍によるキスカ島撤退作戦をもとにして、海軍大将のスプルーアンスに訴える。日本人は自分たちと同じように人命を尊ぶ人々で、自分の命を危険にさらしてでも仲間を助けようとする人々だと。
日米間の戦争を描き出そうとすれば、誰もが大きな困難にぶつかることになる。戦争中にアメリカは、さまざまなプロパガンダを流した。そのうちアメリカ人自身がそのプロパガンダを信じ込み、実際には戦後も訂正されていない。だからこの戦争を描こうとすれば、必ず事実とプロパガンダの矛盾にぶつかる。
この物語は、そのこと自体を題材にしている。2年半前に読んだとき、今までの戦争物にはない爽快感を味わったのは、それが理由の一つだろう。
いつか、もう一度読もう。
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