調略『反日プロパガンダの近現代史』 倉山満
第二次世界大戦における日本には、高度なプロパガンダはまったく感じられない。
生きることそのものがプロパガンダ、口から出る言葉のすべてがプロパガンダであるかのような“中国人”。自ら放ったプロパガンダに自分がだまされ、正義の鎧を身につけるアメリカ人。同じ枢軸国だったはずなのに、いつの間にか日本に宣戦布告しているイタリア人。あっという間にドイツにたたきのめされて、大戦中9割方、被占領状態だったにもかかわらず、なぜか五大国に食い込むフランス人。
恐るべし。おかげで日本は、彼らの付けを全部肩代わりさせられてしまった。
だけど、日本にも、このプロパガンダが飛び交った時代があったそうだ。・・・戦国時代。戦国時代と言えば合戦の時代と考えてしまうが、これは間違いだそうだ。戦いは戦いでも、真っ向から力でやり合う合戦はまれなことで、戦いは基本的に間接侵略とプロパガンダ。合戦に至ったとしても、それは最後のセレモニーで、そこに至るまでの間接侵略とプロパガンダで勝負は決する。
この間接侵略とプロパガンダを合わせて、戦国時代はこれを調略と読んだそうだ。調略と言えば、豊臣秀吉か。この本の著者、倉山満さんに言わせると、信長、秀吉、家康の中で、秀吉こそが本物の天才だそうだ。倉山さんは例をあげて論証するのがうまい。この間は、“ウルトラマンエースに出てきた悪魔怪獣ヤプール人を改心させる”という話を取り上げていた。
それに続いて今度は、三人の性格の違いを表したホトトギスの俳句を取り上げた。鳴かないホトトギスを、“殺す”信長、“鳴かす”秀吉、“待つ”家康。・・・たしかに、天才は秀吉だ。




調略渦巻く戦国時代。
東奔西走の末、信長は、どうやら戦国時代を終わらせる目星をつけつつあった。そのさなかに起こった本能寺の変。その時、極めて重大なプロパガンダが仕掛けられていたんだな、これが。
大河ドラマ『麒麟がくる』。久し振りに大河ドラマを面白がって見ている連れ合いの隣で、ついでに見ている私だが、明智光秀を中心に、信長、秀吉、家康が錯綜するが、その切り口がずいぶん新しそうで、期待している。
秀吉は中国方面司令官、柴田勝家は北陸方面司令官、滝川一益は関東、丹羽長秀は四国。なのに明智光秀は京都周辺に留め置かれたことから、信長から能力を認められていなかったなんて説があるらしいけど、倉山さんの言うとおり、一番便りにしているやつをそばに置いておくに決まってるよね。
あの段階で、信長は光秀が裏切るなんてことは、100%想定していなかったと言っていい。なにしろ、謀反を知ったとき、信長はまず、息子の信忠の裏切りを考えたらしい。
光秀の裏切りを知った信長が、「是非に及ばず」と言ったそうだ。信長は何を思ったものか。ものによれば、「仕方がない」という人がいる。さらに進んで、「ああ、やっぱり」という人もいる。いずれも、光秀の裏切りを心のどこかで“あり得る”と思っていた場合に出る言葉だ。
これはあり得ない。信長にとって光秀は、まさに親衛隊。だからこそ、そこにいたんだから。それが裏切ったと聞いて「是非に及ばず」であれば、「こりゃ、終わったな」だろう。
しかしそこで、信長は最後の謀略に出る。遺体を隠すと言うこと。僧侶が持ち去ったという説があるが、一番簡単なのは、本能寺に火をつけて他の遺体と判別できないようにすること。遺体を持ち去るとか、燃焼し尽くす必要はない。信長の遺体が特定できなければそれで十分。
秀吉はそれを生かした。「信長さまは生きている」とプロパガンダを流しまくって、光秀に味方する者を牽制した。案の定、光秀は仲間を集められず、秀吉に討たれる。
その後、織田家の天下を乗っ取るまでのプロパガンダも見事なもの。まさに、鳴かないホトトギスを、秀吉は天才的調略で鳴かしたことになる。
さて、『麒麟がくる』。いったいそのあたりを、どう描いてくれるのか。ここで易きに走ったら、私はもう、二度と大河ドラマを見ないかも。
生きることそのものがプロパガンダ、口から出る言葉のすべてがプロパガンダであるかのような“中国人”。自ら放ったプロパガンダに自分がだまされ、正義の鎧を身につけるアメリカ人。同じ枢軸国だったはずなのに、いつの間にか日本に宣戦布告しているイタリア人。あっという間にドイツにたたきのめされて、大戦中9割方、被占領状態だったにもかかわらず、なぜか五大国に食い込むフランス人。
恐るべし。おかげで日本は、彼らの付けを全部肩代わりさせられてしまった。
だけど、日本にも、このプロパガンダが飛び交った時代があったそうだ。・・・戦国時代。戦国時代と言えば合戦の時代と考えてしまうが、これは間違いだそうだ。戦いは戦いでも、真っ向から力でやり合う合戦はまれなことで、戦いは基本的に間接侵略とプロパガンダ。合戦に至ったとしても、それは最後のセレモニーで、そこに至るまでの間接侵略とプロパガンダで勝負は決する。
この間接侵略とプロパガンダを合わせて、戦国時代はこれを調略と読んだそうだ。調略と言えば、豊臣秀吉か。この本の著者、倉山満さんに言わせると、信長、秀吉、家康の中で、秀吉こそが本物の天才だそうだ。倉山さんは例をあげて論証するのがうまい。この間は、“ウルトラマンエースに出てきた悪魔怪獣ヤプール人を改心させる”という話を取り上げていた。
それに続いて今度は、三人の性格の違いを表したホトトギスの俳句を取り上げた。鳴かないホトトギスを、“殺す”信長、“鳴かす”秀吉、“待つ”家康。・・・たしかに、天才は秀吉だ。
『反日プロパガンダの近現代史』 倉山満 アスペクト ¥ 時価 国内外の反日勢力が仕掛ける情報戦&謀略戦に負けないために知っておきたいこと |
調略渦巻く戦国時代。
東奔西走の末、信長は、どうやら戦国時代を終わらせる目星をつけつつあった。そのさなかに起こった本能寺の変。その時、極めて重大なプロパガンダが仕掛けられていたんだな、これが。
大河ドラマ『麒麟がくる』。久し振りに大河ドラマを面白がって見ている連れ合いの隣で、ついでに見ている私だが、明智光秀を中心に、信長、秀吉、家康が錯綜するが、その切り口がずいぶん新しそうで、期待している。
秀吉は中国方面司令官、柴田勝家は北陸方面司令官、滝川一益は関東、丹羽長秀は四国。なのに明智光秀は京都周辺に留め置かれたことから、信長から能力を認められていなかったなんて説があるらしいけど、倉山さんの言うとおり、一番便りにしているやつをそばに置いておくに決まってるよね。
あの段階で、信長は光秀が裏切るなんてことは、100%想定していなかったと言っていい。なにしろ、謀反を知ったとき、信長はまず、息子の信忠の裏切りを考えたらしい。
光秀の裏切りを知った信長が、「是非に及ばず」と言ったそうだ。信長は何を思ったものか。ものによれば、「仕方がない」という人がいる。さらに進んで、「ああ、やっぱり」という人もいる。いずれも、光秀の裏切りを心のどこかで“あり得る”と思っていた場合に出る言葉だ。
これはあり得ない。信長にとって光秀は、まさに親衛隊。だからこそ、そこにいたんだから。それが裏切ったと聞いて「是非に及ばず」であれば、「こりゃ、終わったな」だろう。
しかしそこで、信長は最後の謀略に出る。遺体を隠すと言うこと。僧侶が持ち去ったという説があるが、一番簡単なのは、本能寺に火をつけて他の遺体と判別できないようにすること。遺体を持ち去るとか、燃焼し尽くす必要はない。信長の遺体が特定できなければそれで十分。
秀吉はそれを生かした。「信長さまは生きている」とプロパガンダを流しまくって、光秀に味方する者を牽制した。案の定、光秀は仲間を集められず、秀吉に討たれる。
その後、織田家の天下を乗っ取るまでのプロパガンダも見事なもの。まさに、鳴かないホトトギスを、秀吉は天才的調略で鳴かしたことになる。
さて、『麒麟がくる』。いったいそのあたりを、どう描いてくれるのか。ここで易きに走ったら、私はもう、二度と大河ドラマを見ないかも。
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