『解剖学はおもしろい』 上野正彦
著者の上野正彦さんが東京都の監察医をされていた頃、都立の看護学校で解剖学の講義を依頼されたんだそうだ。
毎日、変死者の検死や解剖をやっているのを見込まれてのことだという。“分厚い教科書で難解な文字が並ぶ解剖学”っていうのが、看護学生から見た解剖学で、看護師をめざす生徒にとって難関の一つだったらしい。
それを少しでも分かりやすく、理解しやすくするために、そして自分の身体を探検するような気持ちで勉強してもらうために、上野さんは看護学校生向けの読み物を書いたんだそうだ。それがこの本、『解剖学はおもしろい』だそうだ。
最初は、1994年に医学書院から出されたそうだ。それが2002年に新書化されたのがこの本で、残念ながらすでに時価になっている。Kndle版は、いまでも¥770で読むことができるみたいだ。
今、考えてみれば、この上野正彦さんの本を図書館で何度も手にしている。『死体は語る』っていう本。ずいぶん前に読んでいるはず。この間、読んで面白かった『奇妙な死体』を書いた巽信二さんとごっちゃになってしまって、この本を古本屋で見つけたとき、実は「巽信二さんの本かな」って勘違いして購入した。
いや、そのくらい、装丁も紙も、まったく日焼けもしてなくて、きれいだったもんで。ところがどっこい、巽さんの大先輩の本だったということ。
だけど、装丁や紙同様、内容もちっとも日焼けしてない。
難解な教科書の消化剤として書かれたテキストということだけど、そういうテキストが必要だってことが、この本を読んでいても思いやられた。なにしろ、人体の部位を示す言葉が難しい。まず、漢字が読めない。看護学生は、そういうところから始めるんだろうな。
そうそう、高校で進路指導の仕事もしてたんで、看護学校の入試にも携わったんだけど、その多くが推薦入学なんだよね。推薦っていったって、推薦されれば入れるってもんじゃなくて、学力検査と面接がある。それに小論文を課すところも少なくない。
学力検査の中で最も重要視されるのが、・・・なんだと思いますか。今時で考えれば英語かなって思うかも知れないけど、国語。国語が一番重要。学力検査は国語だけってところも少なくない。中でも、漢字の読み書き。
それがよく分かった。人間の部位の名称は、とにかく難しい。


しかし、それにしても、時々登場するエッチなお話はいかがなもんだろうか。
相手は、ついこの間、高校を卒業したばかりのうら若い乙女たちのはず。その乙女たちを前にして、「房事過度による衰弱を腎虚という」であるとか、「陰嚢のしわが伸び縮みして睾丸を適温に保つ」であるとか講義を展開しておられるとか。
疑問を呈しておいてなんだけど、私も、実は知っている。うら若き乙女たちも、興味津々であるということを。もちろん、看護師希望者に、最近、男性が多く含まれるのは承知の上だが、上野正彦さんが教壇に立たれた頃は、ほとんどが乙女たちだったはず。
しかも、それが、彼女たちが国家試験に合格して、希望する看護師になるために、絶対に必要な知識であるならば、解剖学の講師としては絶対に語らなければならない話ということになる。
そんな前提で、上野さんは、看護学校では難解で敬遠されがちな解剖学を、看護学生たちにとって身近なものとして提示してやっていたということなんだろう。
たとえば、こんな話はどうだろう。
“家”制度が堅牢だった頃、跡取りを残すことは、夫婦にとって何よりも大事なことだった。しかし、当時、生まれてくるこの性別は、生まれてみないと分からなかった。それでも早く知りたいというのが人情で、母親の顔がきつくなったら男なんて言われる向きまであった。
それよりも、産み分けの工夫まであったそうだ。昔、右の睾丸には男の種が、左の睾丸には女の種が入っていると信じ、男子の誕生を希望する男たちが、左の睾丸をひもで縛って性行為に及んだという。それでは、両方縛れば避妊になるという説もあったんだろうか。
うら若き乙女たちも、解剖学の講義を心待ちにしたんじゃないだろうか。
もちろん解剖を行なうものの、あくまでも上野さんの専門は法医学。法医学者として、死体の声を聞き取るのが仕事。中でも、この本が書かれた当時、いじめを苦にした自殺であるとか、いじめによる死亡例、はてはいじめられっ子が我慢の限界を超えて逆襲に出てしまった殺人事件まで起こっていたらしい。
新聞は、「めった刺し」、「うっぷん晴らし」、「目突く」などの言葉を並べ、“残虐な惨殺”に仕立て上げたそうだ。
惨殺されている被害者が強者で、殺した側の加害者が弱者。弱者が逆襲に出るときの心理は、確実に殺さなければ自分が確実に殺されるという切迫観念に追い込まれている。恨みを晴さんがためにめった刺しにしているのではない。性格が残虐であるがために、惨殺したのではない。弱者が強者に立ち向かうときの精神構造がそうさせている。死んでもまだ、目をむく死体。弱者には、まだ生きていて、睨んでいると思える。
上野さんは、この事件を憎んだ。加害者をではない。・・・事件を。事件の起こる社会的背景を・・・。
そういう人でないと、なかなか死体の声は聞こえてこないんだろうな。
毎日、変死者の検死や解剖をやっているのを見込まれてのことだという。“分厚い教科書で難解な文字が並ぶ解剖学”っていうのが、看護学生から見た解剖学で、看護師をめざす生徒にとって難関の一つだったらしい。
それを少しでも分かりやすく、理解しやすくするために、そして自分の身体を探検するような気持ちで勉強してもらうために、上野さんは看護学校生向けの読み物を書いたんだそうだ。それがこの本、『解剖学はおもしろい』だそうだ。
最初は、1994年に医学書院から出されたそうだ。それが2002年に新書化されたのがこの本で、残念ながらすでに時価になっている。Kndle版は、いまでも¥770で読むことができるみたいだ。
今、考えてみれば、この上野正彦さんの本を図書館で何度も手にしている。『死体は語る』っていう本。ずいぶん前に読んでいるはず。この間、読んで面白かった『奇妙な死体』を書いた巽信二さんとごっちゃになってしまって、この本を古本屋で見つけたとき、実は「巽信二さんの本かな」って勘違いして購入した。
いや、そのくらい、装丁も紙も、まったく日焼けもしてなくて、きれいだったもんで。ところがどっこい、巽さんの大先輩の本だったということ。
だけど、装丁や紙同様、内容もちっとも日焼けしてない。
難解な教科書の消化剤として書かれたテキストということだけど、そういうテキストが必要だってことが、この本を読んでいても思いやられた。なにしろ、人体の部位を示す言葉が難しい。まず、漢字が読めない。看護学生は、そういうところから始めるんだろうな。
そうそう、高校で進路指導の仕事もしてたんで、看護学校の入試にも携わったんだけど、その多くが推薦入学なんだよね。推薦っていったって、推薦されれば入れるってもんじゃなくて、学力検査と面接がある。それに小論文を課すところも少なくない。
学力検査の中で最も重要視されるのが、・・・なんだと思いますか。今時で考えれば英語かなって思うかも知れないけど、国語。国語が一番重要。学力検査は国語だけってところも少なくない。中でも、漢字の読み書き。
それがよく分かった。人間の部位の名称は、とにかく難しい。
![]() | 『解剖学はおもしろい』 上野正彦 青春出版社 ¥ 時価(Kindle版¥770) 「解剖学」を通じて、人の体、死と生について様々な角度から解き明かす |
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しかし、それにしても、時々登場するエッチなお話はいかがなもんだろうか。
相手は、ついこの間、高校を卒業したばかりのうら若い乙女たちのはず。その乙女たちを前にして、「房事過度による衰弱を腎虚という」であるとか、「陰嚢のしわが伸び縮みして睾丸を適温に保つ」であるとか講義を展開しておられるとか。
疑問を呈しておいてなんだけど、私も、実は知っている。うら若き乙女たちも、興味津々であるということを。もちろん、看護師希望者に、最近、男性が多く含まれるのは承知の上だが、上野正彦さんが教壇に立たれた頃は、ほとんどが乙女たちだったはず。
しかも、それが、彼女たちが国家試験に合格して、希望する看護師になるために、絶対に必要な知識であるならば、解剖学の講師としては絶対に語らなければならない話ということになる。
そんな前提で、上野さんは、看護学校では難解で敬遠されがちな解剖学を、看護学生たちにとって身近なものとして提示してやっていたということなんだろう。
たとえば、こんな話はどうだろう。
“家”制度が堅牢だった頃、跡取りを残すことは、夫婦にとって何よりも大事なことだった。しかし、当時、生まれてくるこの性別は、生まれてみないと分からなかった。それでも早く知りたいというのが人情で、母親の顔がきつくなったら男なんて言われる向きまであった。
それよりも、産み分けの工夫まであったそうだ。昔、右の睾丸には男の種が、左の睾丸には女の種が入っていると信じ、男子の誕生を希望する男たちが、左の睾丸をひもで縛って性行為に及んだという。それでは、両方縛れば避妊になるという説もあったんだろうか。
うら若き乙女たちも、解剖学の講義を心待ちにしたんじゃないだろうか。
もちろん解剖を行なうものの、あくまでも上野さんの専門は法医学。法医学者として、死体の声を聞き取るのが仕事。中でも、この本が書かれた当時、いじめを苦にした自殺であるとか、いじめによる死亡例、はてはいじめられっ子が我慢の限界を超えて逆襲に出てしまった殺人事件まで起こっていたらしい。
新聞は、「めった刺し」、「うっぷん晴らし」、「目突く」などの言葉を並べ、“残虐な惨殺”に仕立て上げたそうだ。
惨殺されている被害者が強者で、殺した側の加害者が弱者。弱者が逆襲に出るときの心理は、確実に殺さなければ自分が確実に殺されるという切迫観念に追い込まれている。恨みを晴さんがためにめった刺しにしているのではない。性格が残虐であるがために、惨殺したのではない。弱者が強者に立ち向かうときの精神構造がそうさせている。死んでもまだ、目をむく死体。弱者には、まだ生きていて、睨んでいると思える。
上野さんは、この事件を憎んだ。加害者をではない。・・・事件を。事件の起こる社会的背景を・・・。
そういう人でないと、なかなか死体の声は聞こえてこないんだろうな。
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