北方領土『歴史問題の正解』 有馬哲夫
1944年10月、モスクワ会談が行なわれている。ここで、ソ連の対日参戦が話し合われた。それはテヘラン会談でも話題になったが、ソ連は否定はしなかったが、ドイツとの戦いが続いていることを理由に渋っていた。
モスクワの会談では、ドイツの崩壊後、どれくらいでスターリンは日本に対して能動的な態度を取るかが話題となり、ソ連はドイツ敗戦の2~3ヶ月後に対日参戦すると約束した。
千島列島の引き渡しについては、1944年12月14日、同じくモスクワで会談が行なわれた。駐ソアメリカ大使ウィリアム・アヴェレル・ハリマンとスターリンとの会談だった。
スターリンは、千島列島と樺太南部はロシアに返還されるべきだと主張した。さらに、旅順と大連の港とその周辺の租借、東清鉄道と南満州鉄道の権利を要求した。これがソ連の対日参戦の代償として、スターリンがルーズベルトに要求したものであった。
ハリマンはこのあと、千島列島の領有に関して調査を行ない、その結果を勧告書としてルーズベルトに提出している。それによれば、ハリマンは北千島、中千島、南千島の住民の居住の実態を分析したうえで、
クリミア半島の南端にあるヤルタについたとき、会議場に向かう途上、周囲が荒れ果てているのに気づいてルーズベルトが「なぜクリミアは、こうも荒廃しているのか」と尋ねた。スターリンが「ドイツ軍によるものだ」と答えると、「ではドイツ軍将校を5万人ほど処刑しよう」とルーズベルトが応じたという。
さらにドイツの処理について、ルーズベルトはソ連にドイツの80%の工業設備と200万人の労働力を持ち去らせ、農業国にしてしまおうと言った。チャーチルが、「それではドイツという馬は働けなくなります。干し草ぐらいは残してやりましょう」と諫めるほどだったという。
ソ連はのちに満州に侵攻し、現地のあらゆる日本の工業施設を持ち去っただけでなく、ポツダム宣言に違反して60万人近い日本の軍民をシベリアに送り、強制労働をさせ、10人に1人を死なせている。エリツィンが一度頭を下げたことがあったな。そのあとは、逆に開き直ってる。
さらにルーズベルトは、敗戦国のドイツの生活水準がソ連を上回ることがないようにしようとスターリンに言っている。日本占領の時も、占領軍は日本を農業国家にし、生活水準を戦勝国の中華民国よりも低く保つべきだと言っている。


ヤルタ会談においても、対日参戦については、「ドイツ敗戦ののちに対日参戦すると約束した」43年11月のテヘラン会談の時と何ら変わりなかった。スターリンは、その計画に日本が気づき、ドイツ船が修了する前に日本から攻撃されることを恐れていた。
では、その代償としての、千島列島に関してはどうか。それに関する議論と受け取れるのは、ルーズベルトはそれに関して、以下のように発言したらしい。
「戦争の終わりに樺太の南半分と千島列島がソ連に行くことに関していかなる困難もない」
ハリマンの勧告書が1mmも反映されてない。・・・実はこれにはわけがある。
第二次世界大戦の締めくくりを迎える中、アメリカ国務省の高官として働いたあるジャー・ヒスは、ソ連のスパイだった。そのソ連のスパイのヒスに、アメリカは戦後処理を決めるヤルタ会談の仕切りを任せてしまった。ヒスはスターリンに対して、アメリカ側の手の内をすっかりさらけ出す以上のことが出来た。
ヤルタ会議文書は、ほとんどの議題を事前に協議し、一通りの決断をだし、それらを文書やメモにまとめた後、実際のヤルタ会議の場で、ルーズベルトとスターリンとチャーチルがそれを確認し、異論があれば訂正し、さらに議論が必要であれば先送りにするというやり方で進められていた。
だから、事前に議題を整理し、結論をまとめた文書ヤメモを用意することが、会議の結論を左右することになる。ヤルタ会談では、その役割を果たしたのがアメリカ国務省の高官で、ソ連のスパイを務めたヒスだったのである。
ハリマンの勧告書は、ヒスの判断で、ヤルタにおける会議の資料に取り上げられず、ルーズベルトの目にとまることなく、葬り去られてしまった。
チャーチルは、極東問題はほとんど議論されなかったと、回顧録で述べている。しかし会議では、一つ一つの議題について三首脳の諾否を確かめつつ進めるのではなく、それぞれが話したいことを話し、すでに用意された協定書にサインするだけである。チャーチルは、ルーズベルトとスターリンの二人が話して作った協定書にサインをした。
1952年、サンフランシスコ講和条約の批准が可決された時、アメリカ上院は上記の極東密約の批准を否決した。ヒスとスターリンにやられたことに気づいたからだ。
アメリカ議会がヤルタでの密約を拒否したことで、ソ連は北方領土だけではなく、千島列島や南樺太領有の根拠を失った。
モスクワの会談では、ドイツの崩壊後、どれくらいでスターリンは日本に対して能動的な態度を取るかが話題となり、ソ連はドイツ敗戦の2~3ヶ月後に対日参戦すると約束した。
千島列島の引き渡しについては、1944年12月14日、同じくモスクワで会談が行なわれた。駐ソアメリカ大使ウィリアム・アヴェレル・ハリマンとスターリンとの会談だった。
スターリンは、千島列島と樺太南部はロシアに返還されるべきだと主張した。さらに、旅順と大連の港とその周辺の租借、東清鉄道と南満州鉄道の権利を要求した。これがソ連の対日参戦の代償として、スターリンがルーズベルトに要求したものであった。
ハリマンはこのあと、千島列島の領有に関して調査を行ない、その結果を勧告書としてルーズベルトに提出している。それによれば、ハリマンは北千島、中千島、南千島の住民の居住の実態を分析したうえで、
- 南千島は日本の領有のままとし、大日本帝国全体に非武装の原則を適用する
- 北千島と中千島は計画されている国際機関(国連)の元におかれ、ソ連にその施政権を委ねる
- どのような場合でも、千島における漁業権を日本が保持することが考慮されるべきである
クリミア半島の南端にあるヤルタについたとき、会議場に向かう途上、周囲が荒れ果てているのに気づいてルーズベルトが「なぜクリミアは、こうも荒廃しているのか」と尋ねた。スターリンが「ドイツ軍によるものだ」と答えると、「ではドイツ軍将校を5万人ほど処刑しよう」とルーズベルトが応じたという。
さらにドイツの処理について、ルーズベルトはソ連にドイツの80%の工業設備と200万人の労働力を持ち去らせ、農業国にしてしまおうと言った。チャーチルが、「それではドイツという馬は働けなくなります。干し草ぐらいは残してやりましょう」と諫めるほどだったという。
ソ連はのちに満州に侵攻し、現地のあらゆる日本の工業施設を持ち去っただけでなく、ポツダム宣言に違反して60万人近い日本の軍民をシベリアに送り、強制労働をさせ、10人に1人を死なせている。エリツィンが一度頭を下げたことがあったな。そのあとは、逆に開き直ってる。
さらにルーズベルトは、敗戦国のドイツの生活水準がソ連を上回ることがないようにしようとスターリンに言っている。日本占領の時も、占領軍は日本を農業国家にし、生活水準を戦勝国の中華民国よりも低く保つべきだと言っている。
『歴史問題の正解』 有馬哲夫 新潮新書 ¥ 836 中韓露のプロパガンダや、アメリカの洗脳を排し、冷静に歴史を見つめ直す |
ヤルタ会談においても、対日参戦については、「ドイツ敗戦ののちに対日参戦すると約束した」43年11月のテヘラン会談の時と何ら変わりなかった。スターリンは、その計画に日本が気づき、ドイツ船が修了する前に日本から攻撃されることを恐れていた。
では、その代償としての、千島列島に関してはどうか。それに関する議論と受け取れるのは、ルーズベルトはそれに関して、以下のように発言したらしい。
「戦争の終わりに樺太の南半分と千島列島がソ連に行くことに関していかなる困難もない」
ハリマンの勧告書が1mmも反映されてない。・・・実はこれにはわけがある。
第二次世界大戦の締めくくりを迎える中、アメリカ国務省の高官として働いたあるジャー・ヒスは、ソ連のスパイだった。そのソ連のスパイのヒスに、アメリカは戦後処理を決めるヤルタ会談の仕切りを任せてしまった。ヒスはスターリンに対して、アメリカ側の手の内をすっかりさらけ出す以上のことが出来た。
ヤルタ会議文書は、ほとんどの議題を事前に協議し、一通りの決断をだし、それらを文書やメモにまとめた後、実際のヤルタ会議の場で、ルーズベルトとスターリンとチャーチルがそれを確認し、異論があれば訂正し、さらに議論が必要であれば先送りにするというやり方で進められていた。
だから、事前に議題を整理し、結論をまとめた文書ヤメモを用意することが、会議の結論を左右することになる。ヤルタ会談では、その役割を果たしたのがアメリカ国務省の高官で、ソ連のスパイを務めたヒスだったのである。
ハリマンの勧告書は、ヒスの判断で、ヤルタにおける会議の資料に取り上げられず、ルーズベルトの目にとまることなく、葬り去られてしまった。
チャーチルは、極東問題はほとんど議論されなかったと、回顧録で述べている。しかし会議では、一つ一つの議題について三首脳の諾否を確かめつつ進めるのではなく、それぞれが話したいことを話し、すでに用意された協定書にサインするだけである。チャーチルは、ルーズベルトとスターリンの二人が話して作った協定書にサインをした。
1952年、サンフランシスコ講和条約の批准が可決された時、アメリカ上院は上記の極東密約の批准を否決した。ヒスとスターリンにやられたことに気づいたからだ。
アメリカ議会がヤルタでの密約を拒否したことで、ソ連は北方領土だけではなく、千島列島や南樺太領有の根拠を失った。
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