『本当は怖い仏教の話』 沢辺有司
お釈迦様は出家して、なにか本当に良いことなんかあったんだろうか。
中でも、これは心が痛い。お釈迦様の出身部族、シャカ族は滅んだ。根絶やしにされた。ガウタマ・シッダールタと呼ばれた王子時代、彼は世界の王となる人物と嘱望されたにもかかわらず、父を捨て、妻を捨て、子を捨て、国を捨てて出家する。
苦行の果てにたどり着いた真理とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。
世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にある。それにも関わらず人間はありとあらゆる物事へ不変を望み、そこへ執着してしまう。しかし世の中はすべてが無常であると言うことが真理であるから、なに一つ思い通りになるものは無く、望んでもなにも手に入らない。それを理解すれば、自分を通り過ぎるあらゆる現象に一喜一憂することはなくなる。
じゃあ、あの時もそうだったのか。あの、シャカ族が根絶やしにされたときも。
お釈迦さまは35歳の時に悟りを開いてブッダとなり、80歳で入滅するまで各地で伝道活動を行なった。マガダ国のビンビサーラ王がすぐに帰依し、竹林精舎の寄進を受けたことで、ブッダの教えは世に知られるようになっていった。
またコーサラ国では、パセーナディ王が帰依し、スダッタという長者がジェータ太子から買い取った土地をブッダに寄進した。この土地は「ジェータの園」と呼ばれ、“祇園”と漢訳された。これが祇園精舎である。
このようにブッダとコーサラ国のつながりは強かったのだが、すでにこの頃、両者の間には恐ろしい事態が発生していた。パセーナディ王が位に就いた頃、王は妃を、服属するシャカ族から迎えようと、大臣を派遣した。しかし、シャカ族首脳は大臣の高圧的な態度に腹を立て、マハーナーマという男は容姿端麗な自分の下女を着飾らせ、自分の娘だと言って王の下に差し出した。
パセーナディ王は何も疑うことなくその女を第一夫人として受け入れ、まもなく生まれた男児がヴィドゥーダバ太子である。太子が8歳になった頃、夫人の実家マハーナーマのもとに送られたときのこと、城の中にある完成したばかりの獅子座に登ったところ、獅子座は神々や王族だけが登るところだとして引きずり下ろされた。さらに門外に追放されて、「お前は下女の産んだ卑しい子だ」とむち打たれた。ヴィドゥーダバ太子は父と母とシャカ族を恨んだ。
ヴィドゥーダバ太子には兄がいたが、その兄を差し置いて王位に就いた。どうやらパセーナディ王を退けて王位を奪ったようだ。王位に就いたヴィドゥーダバはシャカ族を滅ぼそうと軍を動かした。ところがその道中にブッダが現れ、ヴィドゥーダバはブッダのために軍を引揚げた。
しかし恨みを忘れることができず、再び軍を動かすと、またブッダが現れた。ヴィドゥーダバはまたしても、ブッダのために軍を引揚げた。
それでも恨みは忘れられず、ヴィドゥーダバは三度軍を動かした。これを弟子たちから聞いたブッダは、「シャカ族は自分がした悪い行いの報いを受けるときが来た」と言って、シャカ族を見放した。


城に乱入したヴィドゥーダバ王の兵士たちは、シャカ族を片っ端から切り倒し、暴れ象を放って踏み潰した。あたりには大量の血が飛び散り、川のように流れたという。
この悲劇を招いた張本人のマハーナーマは、「私が水に潜っている間だけ、シャカ族の者を逃がして欲しい」と懇願し、水に潜った。彼は、いつまで経っても浮かんでこなかった。水底を調べると、木の根に紙をくくりつけて、死んでいたという。
ヴィドゥーダバ王は城を焼き払い、シャカ族の女500人を捉え、もてあそぼうとした。しかし、女たちは、「下女の産んだ者と、なぜ交わらなければならないのか」と断った。王は群臣に命じ、500人すべての女の手足を切って、深い穴に放り込んだ。
お釈迦さまの教えは、バラモン教の教えの中から生まれた。バラモン教が成立した頃とは社会環境が激しく変わり、身分の高くない者たちの中にも、世の中を支えるほどに力をつけた者たちが現れていた。
にもかかわらず、バラモン僧らは何もしないで世に影響力を行使していた。片や生まれながらに身分が低く、ろくな仕事にもありつけず、成人するまで生きていくのも難しい者たちもいた。
しかし、クシャトリアという階級に生まれながら、お釈迦さまは思っていた。恵まれたヴァルナに生まれようが、低いヴァルナに生まれようが、人として生きることの苦しみは変わらない。
お釈迦さまの思想の原点には、平等思想がある。言うならば、苦の前における平等である。面白いもんで、平等思想を掲げるときには民族性というものが出る。ユダヤ人なら、神の前に平等。ギリシャ人なら哲学において平等。ローマ人なら法の下の平等。日本人なら歌の前には誰もが平等。インド人なら、苦の前に平等と言うこと。
だとすれば、ヴィドゥーダバ王こそ、お釈迦さまと同じ苦しみを背負っていた。シャカ族は、その対極にいて、お釈迦さまを苦しめる側だったわけだ。
ならば、ヴィドゥーダバがその屈辱を晴そうとすることを、お釈迦さまが止めなかった、シャカ族を見放したのも、分からなくはない。
「仏の顔も三度まで」という言葉は、この時のことを言ったものだそうだ。ちょっと回数が変わっちゃったようだけど。
面白い話を、たくさん読ませてもらった。私たちが小さい頃から聞かされてきた話の中には、仏教による刷り込みと考えられるものが、けっこう混ざっているようだ。
中でも、これは心が痛い。お釈迦様の出身部族、シャカ族は滅んだ。根絶やしにされた。ガウタマ・シッダールタと呼ばれた王子時代、彼は世界の王となる人物と嘱望されたにもかかわらず、父を捨て、妻を捨て、子を捨て、国を捨てて出家する。
苦行の果てにたどり着いた真理とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静。
世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にある。それにも関わらず人間はありとあらゆる物事へ不変を望み、そこへ執着してしまう。しかし世の中はすべてが無常であると言うことが真理であるから、なに一つ思い通りになるものは無く、望んでもなにも手に入らない。それを理解すれば、自分を通り過ぎるあらゆる現象に一喜一憂することはなくなる。
じゃあ、あの時もそうだったのか。あの、シャカ族が根絶やしにされたときも。
お釈迦さまは35歳の時に悟りを開いてブッダとなり、80歳で入滅するまで各地で伝道活動を行なった。マガダ国のビンビサーラ王がすぐに帰依し、竹林精舎の寄進を受けたことで、ブッダの教えは世に知られるようになっていった。
またコーサラ国では、パセーナディ王が帰依し、スダッタという長者がジェータ太子から買い取った土地をブッダに寄進した。この土地は「ジェータの園」と呼ばれ、“祇園”と漢訳された。これが祇園精舎である。
このようにブッダとコーサラ国のつながりは強かったのだが、すでにこの頃、両者の間には恐ろしい事態が発生していた。パセーナディ王が位に就いた頃、王は妃を、服属するシャカ族から迎えようと、大臣を派遣した。しかし、シャカ族首脳は大臣の高圧的な態度に腹を立て、マハーナーマという男は容姿端麗な自分の下女を着飾らせ、自分の娘だと言って王の下に差し出した。
パセーナディ王は何も疑うことなくその女を第一夫人として受け入れ、まもなく生まれた男児がヴィドゥーダバ太子である。太子が8歳になった頃、夫人の実家マハーナーマのもとに送られたときのこと、城の中にある完成したばかりの獅子座に登ったところ、獅子座は神々や王族だけが登るところだとして引きずり下ろされた。さらに門外に追放されて、「お前は下女の産んだ卑しい子だ」とむち打たれた。ヴィドゥーダバ太子は父と母とシャカ族を恨んだ。
ヴィドゥーダバ太子には兄がいたが、その兄を差し置いて王位に就いた。どうやらパセーナディ王を退けて王位を奪ったようだ。王位に就いたヴィドゥーダバはシャカ族を滅ぼそうと軍を動かした。ところがその道中にブッダが現れ、ヴィドゥーダバはブッダのために軍を引揚げた。
しかし恨みを忘れることができず、再び軍を動かすと、またブッダが現れた。ヴィドゥーダバはまたしても、ブッダのために軍を引揚げた。
それでも恨みは忘れられず、ヴィドゥーダバは三度軍を動かした。これを弟子たちから聞いたブッダは、「シャカ族は自分がした悪い行いの報いを受けるときが来た」と言って、シャカ族を見放した。
『本当は怖い仏教の話』 沢辺有司 彩図社 ¥ 1,000 仏教とは、仏になるための教え。それがどうして、こうも怪しげに変貌したのか |
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城に乱入したヴィドゥーダバ王の兵士たちは、シャカ族を片っ端から切り倒し、暴れ象を放って踏み潰した。あたりには大量の血が飛び散り、川のように流れたという。
この悲劇を招いた張本人のマハーナーマは、「私が水に潜っている間だけ、シャカ族の者を逃がして欲しい」と懇願し、水に潜った。彼は、いつまで経っても浮かんでこなかった。水底を調べると、木の根に紙をくくりつけて、死んでいたという。
ヴィドゥーダバ王は城を焼き払い、シャカ族の女500人を捉え、もてあそぼうとした。しかし、女たちは、「下女の産んだ者と、なぜ交わらなければならないのか」と断った。王は群臣に命じ、500人すべての女の手足を切って、深い穴に放り込んだ。
お釈迦さまの教えは、バラモン教の教えの中から生まれた。バラモン教が成立した頃とは社会環境が激しく変わり、身分の高くない者たちの中にも、世の中を支えるほどに力をつけた者たちが現れていた。
にもかかわらず、バラモン僧らは何もしないで世に影響力を行使していた。片や生まれながらに身分が低く、ろくな仕事にもありつけず、成人するまで生きていくのも難しい者たちもいた。
しかし、クシャトリアという階級に生まれながら、お釈迦さまは思っていた。恵まれたヴァルナに生まれようが、低いヴァルナに生まれようが、人として生きることの苦しみは変わらない。
お釈迦さまの思想の原点には、平等思想がある。言うならば、苦の前における平等である。面白いもんで、平等思想を掲げるときには民族性というものが出る。ユダヤ人なら、神の前に平等。ギリシャ人なら哲学において平等。ローマ人なら法の下の平等。日本人なら歌の前には誰もが平等。インド人なら、苦の前に平等と言うこと。
だとすれば、ヴィドゥーダバ王こそ、お釈迦さまと同じ苦しみを背負っていた。シャカ族は、その対極にいて、お釈迦さまを苦しめる側だったわけだ。
ならば、ヴィドゥーダバがその屈辱を晴そうとすることを、お釈迦さまが止めなかった、シャカ族を見放したのも、分からなくはない。
「仏の顔も三度まで」という言葉は、この時のことを言ったものだそうだ。ちょっと回数が変わっちゃったようだけど。
面白い話を、たくさん読ませてもらった。私たちが小さい頃から聞かされてきた話の中には、仏教による刷り込みと考えられるものが、けっこう混ざっているようだ。
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