めんどくせぇことばかり 『鑑賞 季語の時空』 高野ムツオ
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『鑑賞 季語の時空』 高野ムツオ

俳句の本を、なんだか時々読みたくなる。

もちろん、俳句を詠んでみたいという気持ちがあってのこと。「そのうち、そのうち」、本でも読んで、自然とすごい句を詠めるようになったら、「そのうち、本格的に始めよう」なんて絵空事を言ってるうちに、俳句を詠むこともなく、歳だけ取ってしまった。

最初っから上手に詠める状態で、恥をかかずに始めようなんてことを考えていたせいで、この歳になると、もう“恥”の大きさが違う。その巨大な恥を前に、怖じ気づくかというと。・・・それがそうでもない。恥が大きくなっても、恥を恥とも思わないほどに面の皮が厚くなった。

とりあえず、詠まなきゃねぇ。上手になるはずもないよねぇ。今は、テレビで、俳句素人芸能人たちが俳句を詠む番組を、面白く見ることがある。あれ見てると、先生って言うのはすごいもんだね。俳句素人芸能人の詠んだ歌に、先生が少し手を加えるだけで、見違えるような句に変わる。ビックリだ。

よく山を歩くんだけど、おそらく歳を取ったせいで、花を見たくなったりするんだ。若いときの山登りは、できるだけ高く、遠くまで行きたかった。今は、そんじょそこらの山道が、ただそれだけで嬉しかったりする。花なんか咲いてりゃ、自然に口元がほころんだりする。

歳を取るって言うのも、案外悪くなかったりする。

『季語の時空』という題名だけど、徳に“季語”にとらわれることなく、俳句の本として詠ませてもらった。著者が季語にこだわったのは、どうやら訳があるようだ。長い年月の間に培われた文化的価値を尊重しながらも、新暦と旧暦の時間差や、南北に長く、多種にわたる気象条件を有する日本ならば、それに捕らわれすぎると、かえって自らの季節感覚を失ってしまうという現実は、たしかに私にも分かる。

そうか、そうなると、その句を詠んだ人の季節は季節として、その句を鑑賞する人は、詠んだ人の季節を追体験できるとは限らない。鑑賞者は、詠み人の意図を越えて、その句に新たな世界を思い描いて行くしかないわけか。俳句は、詠み人の意図を越えて、人の心を揺さぶることもありうるということか。

なんちゅう、芸術だ。・・・いや、芸術ってのは、そういうものか。

『鑑賞 季語の時空』    高野ムツオ


角川書店  ¥ 1,980

感動の瞬間を永遠化することで俳句は過去から未来へと読み継がれていく
1 異界からの使者
燕来る国 雲雀幻想 鳥は何処へ 眠る胡蝶 ほたるの山河
雁が残したもの こおろぎの闇 海鼠の底力 不滅の狼
2 万象変化
さみだれのあまだれ 氷菓一盞の味 秋風が 二つの月の港 
野分から台風へ 天の川の出会い 時雨西東 枯野の夢、夢の枯野
降る雪 凩の果 雪女あはれ 
3 滅びと再生 
梅の精 桃の花の下 蚕飼の世の終焉 春雪三日 遠田の蛙 
夏草の変転 麦秋と麨 蘆のふところ 蝉時雨 柿食ふや 
葛の花の向う 菌生え クリスマス一夜  


また、どうやら、もう一つのこだわりが感じられる。

2011年3月11日の東日本大震災を、著者は仙台の地下街で経験した。それは著者のその後に、大きな影響を与えたろう。それを意識しないわけにはいかなかっただろう。

文章や俳句に現れる死んでいった者たちへの思い、意識しないとしても、それらの者たちの影が漂うとのは、むしろ当然のことだろう。

それでも、・・・それでもだ。あえて、やはり触れなければならないと思う。アメリカによる銃後への攻撃で、東京で、広島で、長崎で、日本中で老若男女が焼き殺された。東京大空襲では楽に10万を超える人々が、文字通り焼き殺され、12万を超える戦争孤児が残された。広島でも、長崎でも、・・・海外領土に暮らす日本人は、まさに地獄を見た。

震災の記憶が風化するとか、そういう言葉を聞くことがあるが、あの時はむしろ、あえて忘れるように勤めた。語ろうとさえしなかった。語らなくても、まとわりついてくる記憶がある。忘れようとしても、耳に聞こえ、肌に触れ、目に見える人々がいる。

体験を共有できないものには、風化も何も無い。最初から体験がなかったのだから。

山を歩くことがあるんだけど、5月後半あたりから、春セミが鳴く場所がある。夏のセミと違い。その声が身体にぶつかってくるような、そういう力が感じられない。重量感がなくて、身体を通り抜けていくような声。昨年6月、そんな経験をした。あの世から聞こえてくるような声だなと感じた。

たまたま、1匹の蝶が、私の周囲を飛んだ。これまた重量感なく、羽ばたき以上の浮揚感を漂わせ、先導するかのように私の周囲を飛び、いつしか消えた。

山道や あの世の蝶を 先達に

山道や 異界に誘う 春のセミ

しばらく行くと、とある山頂に着いた。バーナーで湯を沸かして昼飯にしようとしたが、ボンベを忘れた。やむを得ず、一番近い駅に向けて、急ぎ下山した。駅について、食道に飛び込んだ。年老いた母らしき女と、息子らしき40代くらいの男がそばをすすっていた。息子の休みに、母を連れてドライブに出た風情だ。

・・・さっきの蝶は、母かも知れないと思った。

福島原発事故を受けて、放射能汚染によって「季語が陵辱された」と語った歌人がいるという。あれ以来、“環境”を看板にして、日本中、あちこちの山で木が切り払われて太陽光パネルが並べられている。陵辱されているのは季語じゃない。四季の移り変わりの中に喜びを感じさせてくれる日本の自然そのものが陵辱されているんだ。


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本












































































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