『反日への最後通告』 池萬元
朝鮮は花の国。
なんて言い出したのは、最近のこと。日本が併合する前のソウルは、とても花を慈しむようなゆとりのあるところではなかった。1392年、李氏朝鮮が誕生して、李という姓を持つ27名の王が、1910年まで518年間統治したが、外国人が描写した首都漢陽、現在のソウルは、不潔で伝染病が蔓延し、嘘と陰謀と収奪が横行する辺境の地だった。女性は男性の奴隷であり、両班のために奴隷を産んでくれる生産道具であった。1割の両班が9割の同族を奴隷としてこき使い、その楽しみに耽っていたが、やがてやってきた弱肉強食の時代の趨勢から取り残されて滅亡した部族国家が、すなわち朝鮮だ。
“朝鮮は花の国”なんて言い出したのは、北朝鮮の金さんたちのようだ。これには対句があって、“日本は悪魔の国”だという。結局、共産主義者が作り上げた虚像に過ぎない。
その虚像を、南朝鮮(北側からはそう呼ばれている)の人たちも受け入れている。
それもそのはず、朝鮮王朝こと李氏朝鮮の李氏を金氏に置き換えたのが、今の北朝鮮である。韓国は戦後、自由民主体制の国家に生まれ変わって、朝鮮王朝時代とは永遠に決別した。しかし北朝鮮は、李氏朝鮮の体制を受け継ぎ、誇るべき朝鮮の伝統を体現していると主張する。南朝鮮はアメリカの植民地のようになってしまったが、北朝鮮は誰の支配も受けずに民族の矜持を守ったと主張し、ゆえに民族の正当性は北朝鮮にあるということだ。
たしかに、李氏朝鮮時代から変わってしまったのは韓国の方で、まがりなりにも自由民主体勢を謳っている。北朝鮮はといえば、金氏王朝が確立されていること、嘘と陰謀と収奪が横行する辺境の地で現在の王は伯父や兄を殺してそれを証明していること、かつての朝鮮王朝時代さながら、1割の労働党員が9割の同族を、奴隷のように支配しているところもそっくりだ。
あんまり酷いので、あの強欲なアメリカでさえ、朝鮮に手を出すのをやめて、体よく日本に押しつけた。《桂・タフト協定》というのがそれだ。
1905年7月、セオドア・ルーズベルト大統領の支持を受けた陸軍長官のウィリアム・タフトは、日本で桂太郎首相と会い、フィリピンに対するアメリカの権益と、朝鮮に対する日本の権益を、相互に承認する協定を結んだ。協定には、アメリカが、日本が大韓帝国を保護国にすることは、日露戦争の論理的帰結であり、極東の平和に貢献することであることを認めることが含まれていた。
ルーズベルトは、同年6月に行なわれたポーツマス講和会談に先立ち、大韓帝国に対する次のような態度を表明していた。それは、「1900年以降、韓国は自治能力がないが、アメリカは韓国に対して責任を負えないので、日本が韓国を支配して、韓国人には不可能だった法と秩序を維持し、能率的に統治するならば、万一のため、よりよいことだと確信する」というものだった。
だけど、時代は変わった。
今の韓国に責任を持つべきは、本質的にアメリカだろう。


1910年の日韓併合以来、日本が朝鮮各地に建設したダム、鉄道、道路、港湾、電気、鉱工業、製造業などさまざまな分野の社会的資本の総額は、52億ドルの及んだ。これを、帰属財産という。そのすべては、1945年に北朝鮮の29億ドルはロシアに、韓国の23億ドルはアメリカに接収された。
韓国を離れて日本に帰る日本人は、民間人なら1000円、将校は500円、兵士は250円の持ち出ししか許されなかった。
日本人が残した数多くの株式会社級の企業は、その企業に関係した朝鮮人たちにただ同然の安価で売り渡された。現在の韓国を代表する大企業のほとんどは、1945年に日本人から取り上げられたものだった。
LGグループは朝鮮精錬。ハンファグループは朝鮮油脂仁川工場朝鮮火薬共販。SKグループは鮮京織物。ヘテは永岡製菓。新世界グループは三越百貨店。CJグループは森永製菓・森永食品。大成グループは朝鮮燃料・三国石炭・聞慶炭鉱。オリオンは豊国製菓。韓進グループは朝鮮重工業。
日韓基本条約が結ばれたのは、1965(昭和40)年。私が5歳の年だ。
これで日韓は、併合時代を精算し、お互いの請求権の完全な解決を確認し、関係を正常化させた。無償の協力金は3億ドル、有償の協力金と民間の借款をあわせれば、11億を超えるそうだ。
徴用に応じて日本の企業で働いたものはいた。だけどそれは、彼らの希望であって、“強制”なんて言葉をつけられるようなものではない。訴えを起こしている個人は、それを承知で「うまく行けば」と目論む恥知らずか。
なんて言い出したのは、最近のこと。日本が併合する前のソウルは、とても花を慈しむようなゆとりのあるところではなかった。1392年、李氏朝鮮が誕生して、李という姓を持つ27名の王が、1910年まで518年間統治したが、外国人が描写した首都漢陽、現在のソウルは、不潔で伝染病が蔓延し、嘘と陰謀と収奪が横行する辺境の地だった。女性は男性の奴隷であり、両班のために奴隷を産んでくれる生産道具であった。1割の両班が9割の同族を奴隷としてこき使い、その楽しみに耽っていたが、やがてやってきた弱肉強食の時代の趨勢から取り残されて滅亡した部族国家が、すなわち朝鮮だ。
“朝鮮は花の国”なんて言い出したのは、北朝鮮の金さんたちのようだ。これには対句があって、“日本は悪魔の国”だという。結局、共産主義者が作り上げた虚像に過ぎない。
その虚像を、南朝鮮(北側からはそう呼ばれている)の人たちも受け入れている。
それもそのはず、朝鮮王朝こと李氏朝鮮の李氏を金氏に置き換えたのが、今の北朝鮮である。韓国は戦後、自由民主体制の国家に生まれ変わって、朝鮮王朝時代とは永遠に決別した。しかし北朝鮮は、李氏朝鮮の体制を受け継ぎ、誇るべき朝鮮の伝統を体現していると主張する。南朝鮮はアメリカの植民地のようになってしまったが、北朝鮮は誰の支配も受けずに民族の矜持を守ったと主張し、ゆえに民族の正当性は北朝鮮にあるということだ。
たしかに、李氏朝鮮時代から変わってしまったのは韓国の方で、まがりなりにも自由民主体勢を謳っている。北朝鮮はといえば、金氏王朝が確立されていること、嘘と陰謀と収奪が横行する辺境の地で現在の王は伯父や兄を殺してそれを証明していること、かつての朝鮮王朝時代さながら、1割の労働党員が9割の同族を、奴隷のように支配しているところもそっくりだ。
あんまり酷いので、あの強欲なアメリカでさえ、朝鮮に手を出すのをやめて、体よく日本に押しつけた。《桂・タフト協定》というのがそれだ。
1905年7月、セオドア・ルーズベルト大統領の支持を受けた陸軍長官のウィリアム・タフトは、日本で桂太郎首相と会い、フィリピンに対するアメリカの権益と、朝鮮に対する日本の権益を、相互に承認する協定を結んだ。協定には、アメリカが、日本が大韓帝国を保護国にすることは、日露戦争の論理的帰結であり、極東の平和に貢献することであることを認めることが含まれていた。
ルーズベルトは、同年6月に行なわれたポーツマス講和会談に先立ち、大韓帝国に対する次のような態度を表明していた。それは、「1900年以降、韓国は自治能力がないが、アメリカは韓国に対して責任を負えないので、日本が韓国を支配して、韓国人には不可能だった法と秩序を維持し、能率的に統治するならば、万一のため、よりよいことだと確信する」というものだった。
だけど、時代は変わった。
今の韓国に責任を持つべきは、本質的にアメリカだろう。
『反日への最後通告』 池萬元 ハート出版 ¥ 1,980 元陸軍大佐、工学博士にして憂国の士反共の先鋒・池萬元が綴る最後の挑戦状 |
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1910年の日韓併合以来、日本が朝鮮各地に建設したダム、鉄道、道路、港湾、電気、鉱工業、製造業などさまざまな分野の社会的資本の総額は、52億ドルの及んだ。これを、帰属財産という。そのすべては、1945年に北朝鮮の29億ドルはロシアに、韓国の23億ドルはアメリカに接収された。
韓国を離れて日本に帰る日本人は、民間人なら1000円、将校は500円、兵士は250円の持ち出ししか許されなかった。
日本人が残した数多くの株式会社級の企業は、その企業に関係した朝鮮人たちにただ同然の安価で売り渡された。現在の韓国を代表する大企業のほとんどは、1945年に日本人から取り上げられたものだった。
LGグループは朝鮮精錬。ハンファグループは朝鮮油脂仁川工場朝鮮火薬共販。SKグループは鮮京織物。ヘテは永岡製菓。新世界グループは三越百貨店。CJグループは森永製菓・森永食品。大成グループは朝鮮燃料・三国石炭・聞慶炭鉱。オリオンは豊国製菓。韓進グループは朝鮮重工業。
日韓基本条約が結ばれたのは、1965(昭和40)年。私が5歳の年だ。
これで日韓は、併合時代を精算し、お互いの請求権の完全な解決を確認し、関係を正常化させた。無償の協力金は3億ドル、有償の協力金と民間の借款をあわせれば、11億を超えるそうだ。
徴用に応じて日本の企業で働いたものはいた。だけどそれは、彼らの希望であって、“強制”なんて言葉をつけられるようなものではない。訴えを起こしている個人は、それを承知で「うまく行けば」と目論む恥知らずか。
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