『日本人が知らない最先端の世界史』 福井義高
習近平の世界観は、勘違いの上に構成されている。
彼はこんなことを言っていた。「中国人民が世界反ファシズム戦争に果たした偉大な貢献を、しっかり記憶しなければならない。」・・・笑わせようとしているのか。
外相の王毅は、さらにネタが豊富である。
「《反ファシズム戦争勝利》を打ち出すのは、世界に向け《中国は国際秩序の擁護者で、挑戦者ではない》と訴える狙いもある」
「七〇年前に日本は戦争に破れた。七〇年後に良識を失うべきではない」
「加害者が責任を忘れずにいて、初めて被害者の傷は癒える」
「日本の政権を握る者は、胸に手を当てて自問すべきだ」
「歴史の重みを今後も背負っていくのか、過去を断ち切るのか」
やはり、笑いを取るには、恥を忘れることが必要だ。
一九三二年一月、中国側の挑発に応じる形で大軍が派遣された第一次上海事変の際、日本軍は停戦交渉が五月に成立するや即座に撤収した。上海は勢力圏外であり、現地法人を保護するという目的を果たした以上、大軍を駐留させておくのは好ましくないというのが、陸軍も含めた日本の国家意思であった。満洲事変勃発以来の軍事的対立も、一九三三年の塘沽停戦協定で終止符が打たれた。蒋介石は、満洲分離独立を事実上黙認することで、共産党と対峙する道を選択した。
海軍は、国民政府の招聘により、中国海軍近代化のため、一九三四年に寺岡謹平大佐を国民政府顧問として派遣し、一九三七年まで滞在した。
一九三五年九月発行の『転換期の国際情勢と我が日本』において陸軍は、「未だ誤れたる国民党部の欧米依存、排日政策より完全に脱却するに至らない」ものの、「支那政権は昨今若干覚醒の機運に在る」としていた。
中国共産党が瑞金から延安に至る「長征」と言う名の逃避行に出たのは、日本との関係が安定したことを背景に、蒋介石の国民政府が主敵とみなしていた共産党を追い詰めていた事の証拠である。
そんな風に、中国共産党は、日本と戦うどころか、蒋介石から逃げ回っていただけだ。
スターリンは一九三〇年代、ヒトラー率いるナチス・ドイツ台頭を受け、それまでの「社会主義対資本主義」という対立軸を表向き引っ込めて、「民主主義対ファシズム」という公式に基づく人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘を基本方針とする。各国の共産主義者は、それまで敵対していた社会民主主義者や自由主義者と、同じ「民主主義者」として共闘することを、スターリンから命じられた。このスターリンに始まる《民主主義=反・反共主義=反ファシズム》という現代リベラルの公式は、冷戦後むしろ純化された。
スターリンは大嫌いだが、その相手に対する汚さが日本の政治家にも欲しい。


フランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領時代のアメリカが、コミンテルンのスパイの巣窟になっていたことが、次第に明らかにされている。
クラウス・フックスは、マンハッタン計画の参加していた英国人物理学者である。もともとはドイツ共産党員で、イギリスに帰化したあともソ連のためにスパイ活動をしていた。1949年にFBIから尋問されて自白している。投獄された後、釈放され、1959年に東ドイツに移住した。
ハリー・ゴールドは、フックスの自白で逮捕された。自白して、刑期30年の半分を残して1965年に出所した。ゴールドの自白で、デービッド・グリーングラスが逮捕。彼の自白で妻のルース、義兄のジュリアス・ローゼンバーグ、その妻のエセル・ローゼンバーグらが逮捕。1953年、ローゼンバーグ夫妻は二人の幼い子を残して処刑された。ローゼンバーグ夫妻は無実の罪で処刑される殉教者を演じきって処刑された。
これら、原爆に関わるスパイ活動は朝鮮戦争に大きな影響を与えた。1949年の原爆実験の成功がなければ、米国との対決に慎重であったスターリンは、北朝鮮軍の南侵にゴーサインを出さなかっただろう。
アメリカの政権に食いついて活動するコミンテルンのスパイの中でも、日本にもっとも関連の深い一人がハリー・デクスター・ホワイトだな。彼は、「ハル・ノート」に直接関わった。KGB幹部ヴィタリー・パヴロフは1941年5月にホワイトに会い、日本の対ソ連攻撃を回避すべく、アメリカが対日強硬策を進めるようホワイトに依頼し、それが最終的にハル・ノートのつながった。
背景にはスターリンがいた。それに比べれば、やはり日本人は純朴だった。
アメリカのケネス・B・パイルという日本研究者が、『新世代の国家像』という書物に、明治以降の日本のエリートたちの思想的分裂を描いている。
徳川時代前の日本では、親から教えられた価値観や伝統・文化を受け継げばよかったのに対し、明治以降の日本では西洋から入ってきた新しい文化を受け入れることを義務付けられた。近代化と称して西洋の文明を取り入れ、経済的にも軍事的にも発展していくことが、日本の独立を守るために必要だと信じた。そうしなければ、日本も他のアジア諸国と同じように、欧米列強の植民地にされてしまうという生々しい危機感がそうさせていた。
その結果、親が教える価値観や伝統・文化を受け継がないことがエリートの条件になってしまった。
ラフカディオ・ハーンは、学生たちに共通する精神的不安定に気がついていたという。ある時、学生たちの親の世代の人々が学校を訪れ、自分たちが受け継いできた先祖のこと、忠義や儀礼、古来の精神について語った。学生たちは心を打たれた様子だったが、そのあとハーンに以下のように語ったという。
「いかに古来の道徳が優れていようが、私たちはそのような道徳律に従うことはできない。そんなことをすれば、国家の独立を守ることも、進歩を達成することもできません。私たちは、自分の過去を捨て去らねばならないのです」
明治時代、まだ維新の元勲が健在で福沢諭吉のような識者もおり、急速な近代化の中で生み出された貧困問題には皇室が政府の仕事を補完するかたちで対応しようとしていた。しかし、現実にロシア革命が成功してしまった大正時代になると、貧困問題に取り組んでいたのはキリスト教とと社会主義者だった。
社会問題に真剣に取り組もうとしたエリートたちも少なくなかった。しかし政府は、それらのエリートを社会主義者とひとまとめにして弾圧した。そうやって、同胞の苦境に心を痛めていたエリートたちの多くを、反体制の側へ追いやってしまった。
そこでもスターリンに利用されてしまったことが、とても悔しい。
彼はこんなことを言っていた。「中国人民が世界反ファシズム戦争に果たした偉大な貢献を、しっかり記憶しなければならない。」・・・笑わせようとしているのか。
外相の王毅は、さらにネタが豊富である。
「《反ファシズム戦争勝利》を打ち出すのは、世界に向け《中国は国際秩序の擁護者で、挑戦者ではない》と訴える狙いもある」
「七〇年前に日本は戦争に破れた。七〇年後に良識を失うべきではない」
「加害者が責任を忘れずにいて、初めて被害者の傷は癒える」
「日本の政権を握る者は、胸に手を当てて自問すべきだ」
「歴史の重みを今後も背負っていくのか、過去を断ち切るのか」
やはり、笑いを取るには、恥を忘れることが必要だ。
一九三二年一月、中国側の挑発に応じる形で大軍が派遣された第一次上海事変の際、日本軍は停戦交渉が五月に成立するや即座に撤収した。上海は勢力圏外であり、現地法人を保護するという目的を果たした以上、大軍を駐留させておくのは好ましくないというのが、陸軍も含めた日本の国家意思であった。満洲事変勃発以来の軍事的対立も、一九三三年の塘沽停戦協定で終止符が打たれた。蒋介石は、満洲分離独立を事実上黙認することで、共産党と対峙する道を選択した。
海軍は、国民政府の招聘により、中国海軍近代化のため、一九三四年に寺岡謹平大佐を国民政府顧問として派遣し、一九三七年まで滞在した。
一九三五年九月発行の『転換期の国際情勢と我が日本』において陸軍は、「未だ誤れたる国民党部の欧米依存、排日政策より完全に脱却するに至らない」ものの、「支那政権は昨今若干覚醒の機運に在る」としていた。
中国共産党が瑞金から延安に至る「長征」と言う名の逃避行に出たのは、日本との関係が安定したことを背景に、蒋介石の国民政府が主敵とみなしていた共産党を追い詰めていた事の証拠である。
そんな風に、中国共産党は、日本と戦うどころか、蒋介石から逃げ回っていただけだ。
スターリンは一九三〇年代、ヒトラー率いるナチス・ドイツ台頭を受け、それまでの「社会主義対資本主義」という対立軸を表向き引っ込めて、「民主主義対ファシズム」という公式に基づく人民戦線路線を掲げ、英米仏との共闘を基本方針とする。各国の共産主義者は、それまで敵対していた社会民主主義者や自由主義者と、同じ「民主主義者」として共闘することを、スターリンから命じられた。このスターリンに始まる《民主主義=反・反共主義=反ファシズム》という現代リベラルの公式は、冷戦後むしろ純化された。
スターリンは大嫌いだが、その相手に対する汚さが日本の政治家にも欲しい。
『日本人が知らない最先端の世界史』 福井義高 祥伝社黄金文庫 ¥ 902 歴史認識の鎖国状態を打破すべく、重要な、しかし見過ごされがちな論点を取り上げる |
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フランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領時代のアメリカが、コミンテルンのスパイの巣窟になっていたことが、次第に明らかにされている。
クラウス・フックスは、マンハッタン計画の参加していた英国人物理学者である。もともとはドイツ共産党員で、イギリスに帰化したあともソ連のためにスパイ活動をしていた。1949年にFBIから尋問されて自白している。投獄された後、釈放され、1959年に東ドイツに移住した。
ハリー・ゴールドは、フックスの自白で逮捕された。自白して、刑期30年の半分を残して1965年に出所した。ゴールドの自白で、デービッド・グリーングラスが逮捕。彼の自白で妻のルース、義兄のジュリアス・ローゼンバーグ、その妻のエセル・ローゼンバーグらが逮捕。1953年、ローゼンバーグ夫妻は二人の幼い子を残して処刑された。ローゼンバーグ夫妻は無実の罪で処刑される殉教者を演じきって処刑された。
これら、原爆に関わるスパイ活動は朝鮮戦争に大きな影響を与えた。1949年の原爆実験の成功がなければ、米国との対決に慎重であったスターリンは、北朝鮮軍の南侵にゴーサインを出さなかっただろう。
アメリカの政権に食いついて活動するコミンテルンのスパイの中でも、日本にもっとも関連の深い一人がハリー・デクスター・ホワイトだな。彼は、「ハル・ノート」に直接関わった。KGB幹部ヴィタリー・パヴロフは1941年5月にホワイトに会い、日本の対ソ連攻撃を回避すべく、アメリカが対日強硬策を進めるようホワイトに依頼し、それが最終的にハル・ノートのつながった。
背景にはスターリンがいた。それに比べれば、やはり日本人は純朴だった。
アメリカのケネス・B・パイルという日本研究者が、『新世代の国家像』という書物に、明治以降の日本のエリートたちの思想的分裂を描いている。
徳川時代前の日本では、親から教えられた価値観や伝統・文化を受け継げばよかったのに対し、明治以降の日本では西洋から入ってきた新しい文化を受け入れることを義務付けられた。近代化と称して西洋の文明を取り入れ、経済的にも軍事的にも発展していくことが、日本の独立を守るために必要だと信じた。そうしなければ、日本も他のアジア諸国と同じように、欧米列強の植民地にされてしまうという生々しい危機感がそうさせていた。
その結果、親が教える価値観や伝統・文化を受け継がないことがエリートの条件になってしまった。
ラフカディオ・ハーンは、学生たちに共通する精神的不安定に気がついていたという。ある時、学生たちの親の世代の人々が学校を訪れ、自分たちが受け継いできた先祖のこと、忠義や儀礼、古来の精神について語った。学生たちは心を打たれた様子だったが、そのあとハーンに以下のように語ったという。
「いかに古来の道徳が優れていようが、私たちはそのような道徳律に従うことはできない。そんなことをすれば、国家の独立を守ることも、進歩を達成することもできません。私たちは、自分の過去を捨て去らねばならないのです」
明治時代、まだ維新の元勲が健在で福沢諭吉のような識者もおり、急速な近代化の中で生み出された貧困問題には皇室が政府の仕事を補完するかたちで対応しようとしていた。しかし、現実にロシア革命が成功してしまった大正時代になると、貧困問題に取り組んでいたのはキリスト教とと社会主義者だった。
社会問題に真剣に取り組もうとしたエリートたちも少なくなかった。しかし政府は、それらのエリートを社会主義者とひとまとめにして弾圧した。そうやって、同胞の苦境に心を痛めていたエリートたちの多くを、反体制の側へ追いやってしまった。
そこでもスターリンに利用されてしまったことが、とても悔しい。
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