『希望の峰マカル-西壁』 笹本稜平
新進気鋭のアルパインクライマー奈良原和志。和志のパートナーで、クライミングの師でもある磯村賢一。和志のスポンサーである日本の山岳用品メーカノースリッジを立ち上げた社長の山際功。ノースリッジの社員で、和志の挑戦を前面サポートすることを仕事とする。広川友梨。
ヨセミテからアラスカへ、磯村賢一に鍛えられた和志が次にめざしたのがヒマラヤ。一時は、ネパールで風来坊のような生活を送りながら、低予算で登れる6000~7000m級のピークを、より困難なルートから登り、次第に名前を知られる存在になりつつあった。
そして、再び磯村賢一に巡り会う。
磯村は、ヒマラヤのトレッキングや一般向けの登山を企画する山岳ガイドの仕事をしていた。和志は、そんな磯村の企画であるバルンツェ登山ツアーに相乗りし、単独でバリエーションルートに向かいバルンツェ南西壁を攻略した。その時、磯村のバルンツェ登山ツアーに、ノースリッジの広川友梨が参加していた。
それ自体は、個人としての参加であったが、彼女の勤務するノースリッジでは、新進気鋭のクライマーを発掘してスポンサーシップを提供し、世界進出の一助にしようという計画が進行中だった。
磯村から和志の力量を聞いた友梨は、さっそく和志に白羽の矢を立てた。かつて、名クライマーとしてヨーロッパアルプスでならした山際も、友梨の話を聞いて和志の可能性を確信した。
とまあ、こんな感じで、ヒマラヤを舞台に、アルピニストたちの生き方が描かれていくわけだ。
なんでこんな人間関係から説明しているかというと、この関係で進められた話は、これで三作目。つまり、シリーズ化していて、この三作目が完結編だった。そんなわけで、基本となる人間関係から入らせてもらった。
新進気鋭のクライマーだった奈良原和志は、典型的なソロクライマーで、シリーズを通しても、クライミングの師である磯村をパートナーとする以外、救助と残を除けば、すべてソロ。それは彼という人間に偏りがあるからというより、自分のやり方を貫きたいという、クライマーとしての真摯な姿勢の表れでもあった。
そんな和志の山に対する姿勢を知る磯村は、なんとか彼を、もうひとランク上のアルピニストの世界に押し上げたいと考えていた。折から、ノースリッジから持ちかけられたスポンサーシップの話を、そのためのバネにするべきだと考えていた。


物語の中で、一番の魅力を発揮するのは、この磯村だ。自身も一流のクライマーでありながら、偏に和志を育て上げようとする。そこには、大きな秘密があった。
磯村と再会したあと、和志はカラコルムのゴールデン・ピラー、続いてローツェ・シャールからローツェ主峰への世界初縦走を磯村と共にした。その世界初縦走に苦しむ中で、その秘密も明らかになった。
これが、シリーズの中でも、大きな柱になっていく。
その秘密の結末も、もちろん、完結編で明らかになる。
アルピニズムの世界にも、競争があり、金の力があり、汚職があり、金儲けがあり、嫉妬や妬みがあり、差別があり、卑怯がある。だけど、同時に愛があり、友情があり、思いやりがあり、助け合いがある。なによりも、私が知らない純粋な生があり、死がある。
そう、山岳小説は、それをどう描くかなんだよね。
なかでも、ここまで先鋭的なアルピニズムの世界を描こうとすると、すこし、主人公の奈良原和志は、性格的にノーマルすぎるような気がする。本人の口から、「僕のように、何本か足りない人間」という言葉が出てくるが、何本か足りないにしては、和志はノーマルだ。もう少し、“何本か足りない”和志を描いて欲しかったところだな。
その“何本か足りない”和志を、友梨や山際が苦労しながら、一流のアルピニズムの世界に押し上げていく。どう、話として、こっちの方が魅力的じゃないかな。
残念ながら、至ってノーマルな正確なので、アブノーマルな世界は、他の者に任されることになる。・・・そのへんが、少し残念なところかな。
それでも、十分、山岳小説の世界では、記憶に残るシリーズになるだろう。
“中国”発の感染症のおかげで、例年とは違う夏を過ごした。長野の山に行ってみたら、拘束から下りた途端に、いろいろな注意書きが登場していた。仕方がないことながら、理性的に考えてあまり意識しないようにと思うんだけど、たくさんそれを見ることで、サブリミナル効果のように、心に染みついてしまう。
もの凄く暑いこともあり、ずいぶん、出不精になってしまった。
先鋭的なアルピニズムの世界とはまったく縁もゆかりもないけれど、山であることは変わりない。登ってみれば、いつもとは違う世界を垣間見ることが出来る。
そろそろ、山に出かけてみようか。
ヨセミテからアラスカへ、磯村賢一に鍛えられた和志が次にめざしたのがヒマラヤ。一時は、ネパールで風来坊のような生活を送りながら、低予算で登れる6000~7000m級のピークを、より困難なルートから登り、次第に名前を知られる存在になりつつあった。
そして、再び磯村賢一に巡り会う。
磯村は、ヒマラヤのトレッキングや一般向けの登山を企画する山岳ガイドの仕事をしていた。和志は、そんな磯村の企画であるバルンツェ登山ツアーに相乗りし、単独でバリエーションルートに向かいバルンツェ南西壁を攻略した。その時、磯村のバルンツェ登山ツアーに、ノースリッジの広川友梨が参加していた。
それ自体は、個人としての参加であったが、彼女の勤務するノースリッジでは、新進気鋭のクライマーを発掘してスポンサーシップを提供し、世界進出の一助にしようという計画が進行中だった。
磯村から和志の力量を聞いた友梨は、さっそく和志に白羽の矢を立てた。かつて、名クライマーとしてヨーロッパアルプスでならした山際も、友梨の話を聞いて和志の可能性を確信した。
とまあ、こんな感じで、ヒマラヤを舞台に、アルピニストたちの生き方が描かれていくわけだ。
なんでこんな人間関係から説明しているかというと、この関係で進められた話は、これで三作目。つまり、シリーズ化していて、この三作目が完結編だった。そんなわけで、基本となる人間関係から入らせてもらった。
新進気鋭のクライマーだった奈良原和志は、典型的なソロクライマーで、シリーズを通しても、クライミングの師である磯村をパートナーとする以外、救助と残を除けば、すべてソロ。それは彼という人間に偏りがあるからというより、自分のやり方を貫きたいという、クライマーとしての真摯な姿勢の表れでもあった。
そんな和志の山に対する姿勢を知る磯村は、なんとか彼を、もうひとランク上のアルピニストの世界に押し上げたいと考えていた。折から、ノースリッジから持ちかけられたスポンサーシップの話を、そのためのバネにするべきだと考えていた。
『希望の峰マカル-西壁』 笹本稜平 祥伝社 ¥ 1,980 ヒマラヤ最難関マカルー西壁の冬季ソロ登攀。余命僅かな登山の師の想いを胸に |
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物語の中で、一番の魅力を発揮するのは、この磯村だ。自身も一流のクライマーでありながら、偏に和志を育て上げようとする。そこには、大きな秘密があった。
磯村と再会したあと、和志はカラコルムのゴールデン・ピラー、続いてローツェ・シャールからローツェ主峰への世界初縦走を磯村と共にした。その世界初縦走に苦しむ中で、その秘密も明らかになった。
これが、シリーズの中でも、大きな柱になっていく。
その秘密の結末も、もちろん、完結編で明らかになる。
アルピニズムの世界にも、競争があり、金の力があり、汚職があり、金儲けがあり、嫉妬や妬みがあり、差別があり、卑怯がある。だけど、同時に愛があり、友情があり、思いやりがあり、助け合いがある。なによりも、私が知らない純粋な生があり、死がある。
そう、山岳小説は、それをどう描くかなんだよね。
なかでも、ここまで先鋭的なアルピニズムの世界を描こうとすると、すこし、主人公の奈良原和志は、性格的にノーマルすぎるような気がする。本人の口から、「僕のように、何本か足りない人間」という言葉が出てくるが、何本か足りないにしては、和志はノーマルだ。もう少し、“何本か足りない”和志を描いて欲しかったところだな。
その“何本か足りない”和志を、友梨や山際が苦労しながら、一流のアルピニズムの世界に押し上げていく。どう、話として、こっちの方が魅力的じゃないかな。
残念ながら、至ってノーマルな正確なので、アブノーマルな世界は、他の者に任されることになる。・・・そのへんが、少し残念なところかな。
それでも、十分、山岳小説の世界では、記憶に残るシリーズになるだろう。
“中国”発の感染症のおかげで、例年とは違う夏を過ごした。長野の山に行ってみたら、拘束から下りた途端に、いろいろな注意書きが登場していた。仕方がないことながら、理性的に考えてあまり意識しないようにと思うんだけど、たくさんそれを見ることで、サブリミナル効果のように、心に染みついてしまう。
もの凄く暑いこともあり、ずいぶん、出不精になってしまった。
先鋭的なアルピニズムの世界とはまったく縁もゆかりもないけれど、山であることは変わりない。登ってみれば、いつもとは違う世界を垣間見ることが出来る。
そろそろ、山に出かけてみようか。
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