『天穹の船』 篠綾子
今、地図で戸田港を見て驚いた。
伊豆半島の西側に、深く切れ込んでいるのが駿河湾。その北東部に三角形に切れ込んだ戸田港がある。特筆すべきは、その戸田港を隠すように、港の入り口の半分を超えて、南から北へと御浜岬が伸びていることだ。この細長く伸びた岬、おそらく砂州だろう。その内側に入ってしまえば、もう、港の外から見ることは不可能だろう。
1854(嘉永7)年7月9日、現在の三重県伊賀市を震源に、死者1500余を出す大きな地震があった。続いて、1954(嘉永7)年11月4日、安政東海地震、死者2000~3000。さらに12月24日に安政南海地震、死者数千~1万。26日、豊予海峡地震、死者不明。1855(安政2)年に入って、3月18日に飛騨地震、死者不明。11月11日に安政江戸地震、死者8000~1万5000。1856(安政3)年に入って、8月23日に安政八戸沖地震、死者90余。ちょっと飛んで、1858(安政5)年4月9日、飛越地震、死者300余。
1854年は、年の瀬も迫ってから安政に改元している。その場合、1月1日にさかのぼって安政に数えるという解釈で、一連の地震を安政の大地震と呼ぶ場合があるみたい。
プチャーチンのディアナ号は、11月4日の安政東海地震で破損し、曳航中に沈んだんだよね。なんの本で読んだのか、そのためにロシア人の技術者と日本の船大工で協力して、外洋を航海できる船を作ったって。
それが主題ではないお話で、その部分を何度か通り過ぎるたび、「これは話になる」という確信があった。いつか、誰かが書くだろうって思ってたら、篠綾子さんだった。
なにしろ、この1854年といえば、3月にペリーの脅迫で日米和親条約が結ばれている。そうそう、私、歴史の教員のくせに、年号を覚えるのが、とても嫌いだった。何十年もやってたから、そりゃ今なら、大半の年は頭に入った。歳を取ったら、頭に入ったまま出てこないものあるけどね。若い頃は、生徒たちと一緒になって、語呂合わせを作って覚えてた。なかでも、ペリー来航は秀逸。
嫌でござんすペリーさん。1853年ね。
この1853年から、ヨーロッパでは、クリミア戦争が始まっている。トルコと、・・・当時はオスマン帝国ね。オスマン帝国とロシアの戦いね。遠く離れた極東といっても、イギリス船とロシア船が遭遇するっていうのは、まずいわけね。ディアナ号が壊れて、新しい船を日ロの協力で作ってるなんてことが分かれば、必ずイギリス船が邪魔しに来るんだから。
だけど、それでもこの戸田港なら、見つからない。



《天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ》
柿本人麻呂の歌だよね。この歌が、物語に関わってくる。月の船、つまりディアナ号が沈んで、新しい船を作る。船は、戸田港の船大工によって、生まれ変わるんだ。
なにしろ、時は1854年、ペリーの恫喝で、日米和親条約を結んだ年だからね。しかも、前年のペリー来航を受け、老中の阿部正弘は、朝廷はじめ、今まで政治に関与させなかった外様大名のみならず、幕臣から市井にいたるまで、広く意見を求めた。
何が明治維新の始まり下って言われれば、やはりこれしかない。パンドラの箱が空いちゃった。
沈んでしまったプチャーチンのディアナ号に変わる船を作るにあたり、韮山代官の江川太郎左衛門が建造取締役を務めることになる。それだって、パンドラの箱が開いたからこそだ。もちろん、江川太郎左衛門も、この物語に重要な役割を果たすことになる。
一気に攘夷熱が高まり、その高まりは水戸藩から、あっという間に全国に広がっていく。まるで、“中国”発の感染症が世界中に広がったみたいに。
そんな攘夷ブームも、この物語に関わってくる。
「阿部正弘があんなことをしなければ・・・」なんて、井伊直弼なんか考えたろう。だけど、江戸幕府は変わるべきだったんだな。たとえ、幕府がつぶれようと、変わらざるをえなかった。それは、実際につぶれちゃったけど、ゴルバチョフが危険を承知でペレストロイカを始めたのと一緒だな。中国共産党みたいに、無理をして押しとどめようとすると、跡形もなく吹っ飛ぶことになるかも。
ロシアの船を作ることで、日本も外洋に飛び出す船を作るようになる。船が生まれ変わる。そして、明治維新という形で、日本も生まれ変わる。
生まれ変わる。
これが、この物語の主要なテーマになる。船大工の平三と攘夷浪人の士郎は、かつて生まれ変わりを体験した。そして、『天穹の船』を作り上げることを通して、もう一度、生まれ変わることを、・・・・いやいや、ここまでにしておこう。
伊豆半島の西側に、深く切れ込んでいるのが駿河湾。その北東部に三角形に切れ込んだ戸田港がある。特筆すべきは、その戸田港を隠すように、港の入り口の半分を超えて、南から北へと御浜岬が伸びていることだ。この細長く伸びた岬、おそらく砂州だろう。その内側に入ってしまえば、もう、港の外から見ることは不可能だろう。
1854(嘉永7)年7月9日、現在の三重県伊賀市を震源に、死者1500余を出す大きな地震があった。続いて、1954(嘉永7)年11月4日、安政東海地震、死者2000~3000。さらに12月24日に安政南海地震、死者数千~1万。26日、豊予海峡地震、死者不明。1855(安政2)年に入って、3月18日に飛騨地震、死者不明。11月11日に安政江戸地震、死者8000~1万5000。1856(安政3)年に入って、8月23日に安政八戸沖地震、死者90余。ちょっと飛んで、1858(安政5)年4月9日、飛越地震、死者300余。
1854年は、年の瀬も迫ってから安政に改元している。その場合、1月1日にさかのぼって安政に数えるという解釈で、一連の地震を安政の大地震と呼ぶ場合があるみたい。
プチャーチンのディアナ号は、11月4日の安政東海地震で破損し、曳航中に沈んだんだよね。なんの本で読んだのか、そのためにロシア人の技術者と日本の船大工で協力して、外洋を航海できる船を作ったって。
それが主題ではないお話で、その部分を何度か通り過ぎるたび、「これは話になる」という確信があった。いつか、誰かが書くだろうって思ってたら、篠綾子さんだった。
なにしろ、この1854年といえば、3月にペリーの脅迫で日米和親条約が結ばれている。そうそう、私、歴史の教員のくせに、年号を覚えるのが、とても嫌いだった。何十年もやってたから、そりゃ今なら、大半の年は頭に入った。歳を取ったら、頭に入ったまま出てこないものあるけどね。若い頃は、生徒たちと一緒になって、語呂合わせを作って覚えてた。なかでも、ペリー来航は秀逸。
嫌でござんすペリーさん。1853年ね。
この1853年から、ヨーロッパでは、クリミア戦争が始まっている。トルコと、・・・当時はオスマン帝国ね。オスマン帝国とロシアの戦いね。遠く離れた極東といっても、イギリス船とロシア船が遭遇するっていうのは、まずいわけね。ディアナ号が壊れて、新しい船を日ロの協力で作ってるなんてことが分かれば、必ずイギリス船が邪魔しに来るんだから。
だけど、それでもこの戸田港なら、見つからない。
『天穹の船』 篠綾子 角川書店 ¥ 2,035 言葉を超え、船を造る者達が胸に抱いた夢とは。気鋭による傑作青春時代小説 |
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《天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ》
柿本人麻呂の歌だよね。この歌が、物語に関わってくる。月の船、つまりディアナ号が沈んで、新しい船を作る。船は、戸田港の船大工によって、生まれ変わるんだ。
なにしろ、時は1854年、ペリーの恫喝で、日米和親条約を結んだ年だからね。しかも、前年のペリー来航を受け、老中の阿部正弘は、朝廷はじめ、今まで政治に関与させなかった外様大名のみならず、幕臣から市井にいたるまで、広く意見を求めた。
何が明治維新の始まり下って言われれば、やはりこれしかない。パンドラの箱が空いちゃった。
沈んでしまったプチャーチンのディアナ号に変わる船を作るにあたり、韮山代官の江川太郎左衛門が建造取締役を務めることになる。それだって、パンドラの箱が開いたからこそだ。もちろん、江川太郎左衛門も、この物語に重要な役割を果たすことになる。
一気に攘夷熱が高まり、その高まりは水戸藩から、あっという間に全国に広がっていく。まるで、“中国”発の感染症が世界中に広がったみたいに。
そんな攘夷ブームも、この物語に関わってくる。
「阿部正弘があんなことをしなければ・・・」なんて、井伊直弼なんか考えたろう。だけど、江戸幕府は変わるべきだったんだな。たとえ、幕府がつぶれようと、変わらざるをえなかった。それは、実際につぶれちゃったけど、ゴルバチョフが危険を承知でペレストロイカを始めたのと一緒だな。中国共産党みたいに、無理をして押しとどめようとすると、跡形もなく吹っ飛ぶことになるかも。
ロシアの船を作ることで、日本も外洋に飛び出す船を作るようになる。船が生まれ変わる。そして、明治維新という形で、日本も生まれ変わる。
生まれ変わる。
これが、この物語の主要なテーマになる。船大工の平三と攘夷浪人の士郎は、かつて生まれ変わりを体験した。そして、『天穹の船』を作り上げることを通して、もう一度、生まれ変わることを、・・・・いやいや、ここまでにしておこう。
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