『ちょこっと、つまみ』
これは、河出書房新社が打ち出している、《おいしい文藝》というシリーズの中の一冊だな。
《おいしい文藝》シリーズは、名前の付け方が上手だね。この『ちょこっと、つまみ』もそうだけど、なんだか、手軽に手を出してしまいそうな、そんなネーミングの本が並ぶ。
『はればれ、お寿司』、『こぽこぽ、珈琲』、『うっとり、チョコレート』、『まるまる、フルーツ』、『こんがり、パン』、『ずっしり、あんこ』、『ひんやりと、甘味』、『ぱっちり、朝ごはん』、『ぐつぐつ、お鍋』、『つやつや、ごはん』、『ずるずる、ラーメン』、『ぷくぷく、お肉』
どうやら、要はリズムだな。
『ちょこっと、つまみ』も、やはり他と同じように、いい調子を持っている。他にいい調子の言葉を“つまみ”に合わせられないかと考えてみたが、それがなかなか見つからない。それもそのはずで、つまみはあらゆる料理が、いや、あらゆる食い物が、それに該当する。あっさり系の言葉でも、こってり系の言葉でもふさわしくない。
人によりけりだけど、大抵は、一仕事終えて、家であろうが、居酒屋であろうが、酒のあるところに駆けつけて、いよいよ酒とともにつまみに向かい合うわけだ。そんなときの私の気持ちは・・・?
「やれやれ、つまみ」、「それじゃあ、つまみ」、「のんびりと、つまみ」、「どれどれ、つまみ」・・・う~、どうにも、こうにも・・・
さて、家で飲むときの話。酒の飲み方、特にどんなつまみと合わせて飲んでるかというのもいろいろで、それなりに人の来し方行く末をさらけ出すようで、どこか恥ずかしいところがある。
もちろん、ごく一般に受け入れられているつまみの取り方というのがあるから、恥ずかしいなんて思うことはない。たとえば、冷や奴。冷や奴で日本酒を飲もうが、ビールを飲もうが、焼酎にしようが、恥ずかしいことなんて何にもない。冷や奴の上に、ネギを乗せようが、茗荷を乗せようが、ショウガ醤油で食おうが、ワサビ醤油にしようが、恥ずかしいことなんてない。
だけど、この豆腐を崩して、「なんかの古漬けを刻んで、崩した豆腐にまぶして食うとうまいんだ」とは、恥ずかしくてなかなか言い出せない。崩した豆腐におからをまぶしておく。それを、なんかの古漬けで巻いて食べるのもおいしいけれど、やはり恥ずかしい。白菜キムチで巻いてもおいしい。私はこれで日本酒を飲むのが、本当に大好き。
チーズだろうが、海苔だろうが、つまみとしてちっとも恥ずかしくない。だけど、「海苔でスライスチーズを挟んで食うと、これがうまいんだ」と言うのも、もしかしたら恥ずかしいことなのかも知れない。連れ合いは、これでワインを飲むのが好き。



文豪たちの語る、つまみの話が面白い。
高くてうまいのは当たり前。それを面白がるやつは、最初っからどこかおかしい。文豪たちにしたって、そんなものでは文は書けない。安くてうまいのが最高レベルだけど、そのあたりのランクには、いろいろなケースが出てくる。
高くはないが、安いわけでもない値段でうまい。どうもこれもつまらない。場合によっては、高くてうまいのよりもつまらないかも知れない。その程度の値段でほどほどだと、なんだか損した気分。やはり、つまみを食って面白いのは、安いことだな。安くてうまいを筆頭に、安くてほどほどなら上々だし、安くてまずいも文は書けそう。
意外と面白そうなのは、高くてまずい。・・・どうしてなの?ってところから、話は始まるかもよ。
料理に関するエッセイをたくさん書いている東海林さだおさん。つまみを題材に、何を書いているのかと思ったら、「𠮷飲み」だって。へー、東海林さだおさんが𠮷飲みしてるの?
JR神田駅高架下の𠮷野屋は、1階がそのまま牛丼屋で、2階は平日の5時以降「ちょい飲み」の店に変わるんだそうだ。東海林さん、とりあえず刺身を頼んで周りを見渡し、𠮷野屋で牛丼を食ってる客がいないことに衝撃を受けている。アサッテ君に書くのかな。
獅子文六さんは、“どじょう”じゃなくて、“どぜう”がお好き。店ですき焼き風や柳川も食べるけど、家でも食べるそうだ。家で食べるのは“どぜう汁”。みそ汁だな。その“どぜう汁”から“どぜう”だけをつまみ上げると、「いかにも死骸になりました」っていう“どぜう”の姿がいいという。
獅子文六さんのところでは、つまみの準備は奥さまのお仕事だったそうで、その“死骸”の姿を見て、「女性はあまりいい顔をしない」と言っておきながら、奥さまに“死骸”作りを任せるって言うんだから酷い人だ。
ただ、“死骸”作りの方法は教える。鍋に生きた“どぜう”を入れて、おもむろに日本酒を振りかける。途端に“どぜう”は大騒ぎだ。ふたをしないと飛び出しちゃうくらい。奥さまが驚いて、「“どぜう”が大変、暴れます」と報告に来たそうだ。
私は大抵、自分でつまみを用意する。恥ずかしいつまみを作るのは、あまり時間がかかるものでもない。それに、朝昼の食事の準備は私の仕事なんだけど、その際に、つまみになりそうなものを、多めに作っておくんだ。それを、酒を飲む時間、夕方の5時になったら冷蔵庫から出してくる。
そのせいか、私の家の、特に朝食のおかずは、どこか酒が飲めそうな、おつまみみたいなおかずが多い。ちなみに今朝は、”きゅうりとしめじの白和え”を多めに作って、残りは冷蔵庫の中に入っている。
《おいしい文藝》シリーズは、名前の付け方が上手だね。この『ちょこっと、つまみ』もそうだけど、なんだか、手軽に手を出してしまいそうな、そんなネーミングの本が並ぶ。
『はればれ、お寿司』、『こぽこぽ、珈琲』、『うっとり、チョコレート』、『まるまる、フルーツ』、『こんがり、パン』、『ずっしり、あんこ』、『ひんやりと、甘味』、『ぱっちり、朝ごはん』、『ぐつぐつ、お鍋』、『つやつや、ごはん』、『ずるずる、ラーメン』、『ぷくぷく、お肉』
どうやら、要はリズムだな。
『ちょこっと、つまみ』も、やはり他と同じように、いい調子を持っている。他にいい調子の言葉を“つまみ”に合わせられないかと考えてみたが、それがなかなか見つからない。それもそのはずで、つまみはあらゆる料理が、いや、あらゆる食い物が、それに該当する。あっさり系の言葉でも、こってり系の言葉でもふさわしくない。
人によりけりだけど、大抵は、一仕事終えて、家であろうが、居酒屋であろうが、酒のあるところに駆けつけて、いよいよ酒とともにつまみに向かい合うわけだ。そんなときの私の気持ちは・・・?
「やれやれ、つまみ」、「それじゃあ、つまみ」、「のんびりと、つまみ」、「どれどれ、つまみ」・・・う~、どうにも、こうにも・・・
さて、家で飲むときの話。酒の飲み方、特にどんなつまみと合わせて飲んでるかというのもいろいろで、それなりに人の来し方行く末をさらけ出すようで、どこか恥ずかしいところがある。
もちろん、ごく一般に受け入れられているつまみの取り方というのがあるから、恥ずかしいなんて思うことはない。たとえば、冷や奴。冷や奴で日本酒を飲もうが、ビールを飲もうが、焼酎にしようが、恥ずかしいことなんて何にもない。冷や奴の上に、ネギを乗せようが、茗荷を乗せようが、ショウガ醤油で食おうが、ワサビ醤油にしようが、恥ずかしいことなんてない。
だけど、この豆腐を崩して、「なんかの古漬けを刻んで、崩した豆腐にまぶして食うとうまいんだ」とは、恥ずかしくてなかなか言い出せない。崩した豆腐におからをまぶしておく。それを、なんかの古漬けで巻いて食べるのもおいしいけれど、やはり恥ずかしい。白菜キムチで巻いてもおいしい。私はこれで日本酒を飲むのが、本当に大好き。
チーズだろうが、海苔だろうが、つまみとしてちっとも恥ずかしくない。だけど、「海苔でスライスチーズを挟んで食うと、これがうまいんだ」と言うのも、もしかしたら恥ずかしいことなのかも知れない。連れ合いは、これでワインを飲むのが好き。
河出書房新社 ¥ 1,760 文筆界の「左党」たちによるつまみエッセイを集めたアンソロジー |
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文豪たちの語る、つまみの話が面白い。
高くてうまいのは当たり前。それを面白がるやつは、最初っからどこかおかしい。文豪たちにしたって、そんなものでは文は書けない。安くてうまいのが最高レベルだけど、そのあたりのランクには、いろいろなケースが出てくる。
高くはないが、安いわけでもない値段でうまい。どうもこれもつまらない。場合によっては、高くてうまいのよりもつまらないかも知れない。その程度の値段でほどほどだと、なんだか損した気分。やはり、つまみを食って面白いのは、安いことだな。安くてうまいを筆頭に、安くてほどほどなら上々だし、安くてまずいも文は書けそう。
意外と面白そうなのは、高くてまずい。・・・どうしてなの?ってところから、話は始まるかもよ。
料理に関するエッセイをたくさん書いている東海林さだおさん。つまみを題材に、何を書いているのかと思ったら、「𠮷飲み」だって。へー、東海林さだおさんが𠮷飲みしてるの?
JR神田駅高架下の𠮷野屋は、1階がそのまま牛丼屋で、2階は平日の5時以降「ちょい飲み」の店に変わるんだそうだ。東海林さん、とりあえず刺身を頼んで周りを見渡し、𠮷野屋で牛丼を食ってる客がいないことに衝撃を受けている。アサッテ君に書くのかな。
獅子文六さんは、“どじょう”じゃなくて、“どぜう”がお好き。店ですき焼き風や柳川も食べるけど、家でも食べるそうだ。家で食べるのは“どぜう汁”。みそ汁だな。その“どぜう汁”から“どぜう”だけをつまみ上げると、「いかにも死骸になりました」っていう“どぜう”の姿がいいという。
獅子文六さんのところでは、つまみの準備は奥さまのお仕事だったそうで、その“死骸”の姿を見て、「女性はあまりいい顔をしない」と言っておきながら、奥さまに“死骸”作りを任せるって言うんだから酷い人だ。
ただ、“死骸”作りの方法は教える。鍋に生きた“どぜう”を入れて、おもむろに日本酒を振りかける。途端に“どぜう”は大騒ぎだ。ふたをしないと飛び出しちゃうくらい。奥さまが驚いて、「“どぜう”が大変、暴れます」と報告に来たそうだ。
私は大抵、自分でつまみを用意する。恥ずかしいつまみを作るのは、あまり時間がかかるものでもない。それに、朝昼の食事の準備は私の仕事なんだけど、その際に、つまみになりそうなものを、多めに作っておくんだ。それを、酒を飲む時間、夕方の5時になったら冷蔵庫から出してくる。
そのせいか、私の家の、特に朝食のおかずは、どこか酒が飲めそうな、おつまみみたいなおかずが多い。ちなみに今朝は、”きゅうりとしめじの白和え”を多めに作って、残りは冷蔵庫の中に入っている。
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