めんどくせぇことばかり 『封印の昭和史』 小室直樹 渡部昇一
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『封印の昭和史』 小室直樹 渡部昇一

連休の間、孫1号2号のお世話をした。

1号は、2号の誕生で、自分を中心にまわっていた世界が、一気に2号中心に回り出したことで大きなショックを受けたようだ。しかも、その2号にまとわりつかれるのが嫌なようで、ずいぶん2号に強くあたっていた。

連休中の様子に、少し変化が感じられた。1号と2号が二人で遊んでいる時間が、ずいぶん長くなった。最後は必ず悲しい出来事で終わることになるが、そこには1号の成長が感じられた。

そうなってくると、今の心配は2号ということになる。1号と2号におやつを出すと、2号は必ず大きい方を取る。同じにしか見えないものでも、瞬時にわずかな違いを感じ取って、大きい方を取る。連れ合いが二人にケーキを出した。対面する二人の前にトレイに乗せて出されたケーキは、身体の大きな1号の方が少し大きめだった。

2号は、おばあちゃんと1号のわずかな隙を盗んで、さっとトレイを入れ替えた。気づいたのは爺ちゃんだけだ。食べ終わったあとで、それを話題にした。おっとりしている1号は、2号はいつもそうなんだと、さしてこだわるでもなかった。

そのあと、『日本昔話』を引っ張り出して、二人に『舌切り雀』の話を読んでやった。「2号は大きなつづらをもらって帰る怖いおばあさんのようだね」と笑い合った。続いて、『花咲かじじい』を読み、「2号は隣の欲張りじいさんのようだね」と笑い合った。

1995年8月に発行された、『封印の昭和史』の新装版だ。

1995年の本も、読んでるはずだけど、あえて、読み直そうと買ってみた。読み直して、正解だった。1995(平成7)年と言えば、今年の2月に結婚をした息子が2歳の時。当時、うちは6人家族で、特に二人の子どもたちのものが、どんどん増えていた。

押し入れにあふれかえっていた私の本は、・・・明らかに邪魔だった。以来、二度にわたって、本を処分した。処分するんなら思い切った方がいい。さだまさしさんも檸檬の中で歌っていた。「捨て去るときにはこうしてできるだけ、遠くに投げ上げるものよ」

義母が亡くなって、娘が嫁ぎ、義父が亡くなって、息子が家を出た。その思い出を残して不必要なものを処分したら、家の中がスカスカになった。もう、死ぬまで本を処分する必要もないだろう。




『封印の昭和史』    小室直樹 渡部昇一

徳間書店  ¥ 1,760

知の巨人"と評される小室直樹氏と渡部昇一氏による国民必修の昭和「正史」
第一章 汚染された昭和史
第二章 東京裁判史観を払拭せよ
第三章 戦争への見えざる手
第四章 戦前・戦中・戦後
何が正しく、何が間違っていたか
第五章 新たなる出発(たびだち)のために


それにしても、あれから25年、四半世紀がたった。長い間頼りにしていた小室直樹さんも、渡部昇一さんも亡くなってしまった。かつて頼りにしていた人たちが、このところ少しずつ鬼籍に入っていく。かといって、その代わりになる人が、そう簡単に見つかるものでもない。

本当は自分が頼りにされるようにならなきゃいけないのに、いい歳をして、今日は西、明日は東と揺れ動き、糸の切れた凧さながらに支点の定まらないのは若い頃と変わらない。

それならば、かつて読んだ、頼りにしていた方々の本を読み直せば良いということになる。ところが、それらの本が今はない。こうなってくると、檸檬のように、遠くに投げ上げてしまったことが悔やまれる。押し入れの下の団に頭を突っ込んでも、今はけっこうスカスカで、そこにあるのは比較的新しいものばかり。

だからこそ、こういう新装版の発行は、大変ありがたい。

それに、読んでみると、細かいところは忘れている。同時に、凧のような私でも、何度も同じ人の本を読んでいるうちに、その人の言葉が私の中で、血となり肉となっていることも確認される。なんだよ、こんな私でも、糸の切れた凧のように、ハラホレヒレハレ~と消えてなくなっているわけでもないようだ。デヘヘヘ・・・。

などと、すぐにいい気になってしまうのが情けない。実は昨日も、連れ合いに“ものの言い方”で怒られた。「なんで、そういう言い方をするのか!」と。

気持ちが何かにとらわれると、それに意識が集中してしまって、周囲のことが疎かになる。人の気持ちを疎かにすると、連れ合いから鉄槌を下される。調子に乗ったときに現れる症状で、子どもの頃から変わらない。反省、反省。

25年前とは、国際情勢も大きく変化した。

なんと言っても、“中国”の存在感が、圧倒的に大きくなった。この本の中でも、南京大虐殺のでっち上げが大きなテーマになっている。25年前に、この本の中でも、完全に論破されている南京大虐殺が、この間に、ユネスコの世界記憶遺産に登録された。

でっち上げであることが分かりきっている南京大虐殺を、ユネスコの世界記憶遺産にしてしまうほどの外交力に、“中国”という国のものすごさを感じさせられる。同時に、ため息が出るほど情けないのが、日本の外務省だ。

かつては、対中国内政不干渉を前提にした軟弱外交で“中国”の侮りを招いて、外交関係をこじらせた。怠慢から対米宣戦布告が遅れ、「卑怯なだまし討ち」という原爆投下の根拠を与えた。

今でもまったく変わってないな。この間、誰かが、外務省と防衛省を入れ替えた方がいいと書いていた。入れ替えた場合、外務省は、間違いなく少しはまともになるだろう。防衛省はどうだろう。

25年後の日本はどうかと言えば、なんだかあまり変わっていない。この本の最後、《第五章 新たなる出発のために》の中に、「大東亜戦争は日本人研究の宝庫」という項目がある。戦争に正面から向き合うことで、私たちは大きな財産を得ることになる。それは、犠牲になった方々に報いることにも通じる。そんなことも行なわれていない。

残念ながら、行なわれているのは、自虐史観にとらわれたあら探しばかり。今求められるのは、そんなことではないはず。一つ一つの決断は、作戦は、遂行は、・・・それを多角的にとらえたときに、そこには自分たちではとらえにくい日本人像が浮かび上がるはず。あの時、日本に足りなかった視点はなんだったのか。どうすれば、あの戦争を防げたのか。

そこには、これから起こるかも知れない戦争を防ぐ手立ても、きっとあるはず。




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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本




















































































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