『平城京のごみ図鑑』 奈良文化財研究所
ずいぶん長い間、奈良に行ってないな。
教員をやっていたから、修学旅行という機会があったんだ。30代半ばまでは踏ん張って、京都奈良の修学旅行に生徒を連れて行った。だけど、京都奈良への修学旅行は、もう私が教員になった時分から、徐々に少なくなってきていた。
なにしろ教員になって最初に行った修学旅行が、四国だったからな。23歳の時か。25歳の時なんて、北陸だよ。その頃はまったく主張できる立場になくてね。そのあと、何とか主張して、京都奈良の修学旅行を3回くらい続けたかな。
学年の担当っていうのは、1,2,3年と担任で持ち上がって、翌年は副担任に下りて、また次の年から1,2,3年と持ち上がる。その副担の時に2年に入れば、修学旅行の機会が増える。副担で2年に入ったとしに、女の担任が産休に入ったりしたら、あるいは担任が転勤したら、そのまま3年の担任をやって、翌年、2年の副担に下りれば、また修学旅行に行ける。
一般的に教員は、修学旅行の引率は好きじゃない。ずっと以前は、旅行社からのいろいろ、・・・いろいろいろなサービスがあって、サービス目当ての人もいたようだけどね。私も教員になった最初の頃は、そういうのがあったけど、すぐに社会的に許されなくなった。そうなると、修学旅行の引率なんて、面倒なだけと考える人が一気に増えた。その分、修学旅行の引率を嫌がらない私にとっては、行く機会が増えたと言うことだ。
私が主張できるようになった頃から、北海道や沖縄の修学旅行が、急激に強くなってくる。その学年を担当する教員の構成にもよるんだけど、京都奈良に関心を示さない教員が、急激に増え始めたんだな。京都奈良の修学旅行3回以降は、もうまわりの教員が言うことを聞かない。
京都奈良なら、移動に金をかけずに、腰をすえて文化財を見ることが出来る。北海道や沖縄は自然体験か。沖縄なら平和学習を組み込めるけど、沖縄の場合はイデオロギーが絡んでくる場合があるんで、私はあまり良いとは思ってない。それに北海道や沖縄は、旅費がかかるので、1泊減るし、宿が落ちる。
もちろん他にも興味深いところは、日本国中どこにでも、たくさんある。だけど、見学しては移動して宿泊、見学しては移動して宿泊となる。無駄が多い。何日間も滞在して、じっくり腰を落ち着けて文化財に触れることができる場所は、やはり京都奈良しかない。
それ以外の場所は、大人になってから、個人の旅行で行けばいい。今でも私、そう思います。


仕方がないから、それ以降は、家族旅行で2度行った。
修学旅行だと京都中心になるが、家族旅行では奈良に絞った。京都は行き帰りに寄っただけ。いずれも3泊4日の激安パックだけど、激安とはいえ、家族4人で行けばそれなりにお金がかかる。本当だったら、3度4度と行きたいところだったんだけど。
もちろん平城京跡にも行った。当時私は、そこにあまり興味を持っていなかった。この本を読んでいれば、打って変わって、非常に興味深く見学できたに違いない。
なんていっても面白いのは、木簡のごみだな。いや、木簡には限らないか。書かれたものが面白い。面白すぎる。
平城京の人口は5万から10万ほど。住民の多くは平城京内の各所で肉体労働・下働き・雑務に従事する人たちとその家族。さらに、労役・兵役で地方からやってきた人たち。中でも、およそ1万ほどいたという官僚・役人、寺院の僧侶が、木簡やその他に、文字やその他をかき込んだ人たちだったろう。
大事なものはごみにならなかっただろうから、ごみとして出てくるのは、大事ではないから捨てられたものだな。“書かれたもの”もそうだけど、何せモノの少ない時代だから、なんでもかんでも、本当に大事に使ったんだな。書くにしたって、なんにだって書いた。
日本最古の猿の絵は、土師器の皿の底面に落書きされたものだったそうだ。それが、うまい。専門の絵師がが本格的な絵を描く前の下書きじゃないかってことだ。
木簡は役人たちが使ったものでしょう。一度書いて、入らないものは削り取って、また書いたんだって。削り取られたものは、ごみにされたんだろうけど、それが面白い。
役人たちは、仕事中に、けっこう落書きをしている。似顔絵がたくさん描かれている。恐ーい顔は、かぶっている冠から役人と分かる。ということは、この絵を描いている役人の上司ということか。目をつり上げて、いかにも怒っている。
もちろん落書きではない、ちゃんとした事が書かれたものもある。
《長屋親王宮鮑大贄 十編》
うおー!長屋王だ。長屋王のところに干し鮑が送られてきたんだ。この木簡が、長屋王の屋敷がここだという決め手になったんだそうだ。
《此所不得小便》
「ここで小便をするな」という、立ち小便禁止の札だそうだ。・・・おそらく日本最古の。・・・だけど、この時代、文字を操るのは、上層階級の役人くらいのものだったんじゃ、・・・いや、そうでもないのか。
少なくとも平城京で暮らす者たちに関しては、ある程度は読めたのか。そういうになると、この日本最古の“立ち小便禁止”は一大発見ということになるのかも。
教員をやっていたから、修学旅行という機会があったんだ。30代半ばまでは踏ん張って、京都奈良の修学旅行に生徒を連れて行った。だけど、京都奈良への修学旅行は、もう私が教員になった時分から、徐々に少なくなってきていた。
なにしろ教員になって最初に行った修学旅行が、四国だったからな。23歳の時か。25歳の時なんて、北陸だよ。その頃はまったく主張できる立場になくてね。そのあと、何とか主張して、京都奈良の修学旅行を3回くらい続けたかな。
学年の担当っていうのは、1,2,3年と担任で持ち上がって、翌年は副担任に下りて、また次の年から1,2,3年と持ち上がる。その副担の時に2年に入れば、修学旅行の機会が増える。副担で2年に入ったとしに、女の担任が産休に入ったりしたら、あるいは担任が転勤したら、そのまま3年の担任をやって、翌年、2年の副担に下りれば、また修学旅行に行ける。
一般的に教員は、修学旅行の引率は好きじゃない。ずっと以前は、旅行社からのいろいろ、・・・いろいろいろなサービスがあって、サービス目当ての人もいたようだけどね。私も教員になった最初の頃は、そういうのがあったけど、すぐに社会的に許されなくなった。そうなると、修学旅行の引率なんて、面倒なだけと考える人が一気に増えた。その分、修学旅行の引率を嫌がらない私にとっては、行く機会が増えたと言うことだ。
私が主張できるようになった頃から、北海道や沖縄の修学旅行が、急激に強くなってくる。その学年を担当する教員の構成にもよるんだけど、京都奈良に関心を示さない教員が、急激に増え始めたんだな。京都奈良の修学旅行3回以降は、もうまわりの教員が言うことを聞かない。
京都奈良なら、移動に金をかけずに、腰をすえて文化財を見ることが出来る。北海道や沖縄は自然体験か。沖縄なら平和学習を組み込めるけど、沖縄の場合はイデオロギーが絡んでくる場合があるんで、私はあまり良いとは思ってない。それに北海道や沖縄は、旅費がかかるので、1泊減るし、宿が落ちる。
もちろん他にも興味深いところは、日本国中どこにでも、たくさんある。だけど、見学しては移動して宿泊、見学しては移動して宿泊となる。無駄が多い。何日間も滞在して、じっくり腰を落ち着けて文化財に触れることができる場所は、やはり京都奈良しかない。
それ以外の場所は、大人になってから、個人の旅行で行けばいい。今でも私、そう思います。
『平城京のごみ図鑑』 奈良文化財研究所 河出書房新社 ¥ 1,760 考古学の最新手法が奈良時代人のプライベートに肉薄、ごみが語る奈良時代 |
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仕方がないから、それ以降は、家族旅行で2度行った。
修学旅行だと京都中心になるが、家族旅行では奈良に絞った。京都は行き帰りに寄っただけ。いずれも3泊4日の激安パックだけど、激安とはいえ、家族4人で行けばそれなりにお金がかかる。本当だったら、3度4度と行きたいところだったんだけど。
もちろん平城京跡にも行った。当時私は、そこにあまり興味を持っていなかった。この本を読んでいれば、打って変わって、非常に興味深く見学できたに違いない。
なんていっても面白いのは、木簡のごみだな。いや、木簡には限らないか。書かれたものが面白い。面白すぎる。
平城京の人口は5万から10万ほど。住民の多くは平城京内の各所で肉体労働・下働き・雑務に従事する人たちとその家族。さらに、労役・兵役で地方からやってきた人たち。中でも、およそ1万ほどいたという官僚・役人、寺院の僧侶が、木簡やその他に、文字やその他をかき込んだ人たちだったろう。
大事なものはごみにならなかっただろうから、ごみとして出てくるのは、大事ではないから捨てられたものだな。“書かれたもの”もそうだけど、何せモノの少ない時代だから、なんでもかんでも、本当に大事に使ったんだな。書くにしたって、なんにだって書いた。
日本最古の猿の絵は、土師器の皿の底面に落書きされたものだったそうだ。それが、うまい。専門の絵師がが本格的な絵を描く前の下書きじゃないかってことだ。
木簡は役人たちが使ったものでしょう。一度書いて、入らないものは削り取って、また書いたんだって。削り取られたものは、ごみにされたんだろうけど、それが面白い。
役人たちは、仕事中に、けっこう落書きをしている。似顔絵がたくさん描かれている。恐ーい顔は、かぶっている冠から役人と分かる。ということは、この絵を描いている役人の上司ということか。目をつり上げて、いかにも怒っている。
もちろん落書きではない、ちゃんとした事が書かれたものもある。
《長屋親王宮鮑大贄 十編》
うおー!長屋王だ。長屋王のところに干し鮑が送られてきたんだ。この木簡が、長屋王の屋敷がここだという決め手になったんだそうだ。
《此所不得小便》
「ここで小便をするな」という、立ち小便禁止の札だそうだ。・・・おそらく日本最古の。・・・だけど、この時代、文字を操るのは、上層階級の役人くらいのものだったんじゃ、・・・いや、そうでもないのか。
少なくとも平城京で暮らす者たちに関しては、ある程度は読めたのか。そういうになると、この日本最古の“立ち小便禁止”は一大発見ということになるのかも。
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