世間の常識『逆説の日本史 25明治風雲編』 井沢元彦
NHKの、朝のドラマを見てる。
古関裕二・金子夫妻を題材とした『エール』というドラマ。もちろん、一番の魅力は古関裕二の作曲した歌。ここのところ、一週間の物語が、一曲の歌を題材にして展開されている。『とんがり帽子』、『長崎の鐘』、今週は『栄冠は君に輝く』だった。ちゃんと作曲された年を調べると、順番に並べられているわけではないようだ。
戦争中、作曲で戦争政策に協力してきたという意識の強い主人公が、その自責の念から解放されて自らを取りもどし、人々に寄り添う曲を作り続けていく。そんな物語の展開には、順番の入れ替えが必要だったようだ。
「本当はあんな戦争には、最初から反対だった」
軍国主義に取り憑かれた一部の人を除いて、誰も戦争なんか望んでいなかった。ドラマの中のあちこちに、それを臭わせることで、主人公の背負った苦悩を浮き彫りにしているかのようだ。NHKにとっては、それが戦前・線虫の真実であったようだ。
“戦争の歴史的評価を、冷静かつ論理的に考えることの困難さ”が、本書の中でも取り上げられている。率直に自分のミスを認めることの出来る人間は、きわめて少ない。とくに、国民が多数犠牲になった“敗戦”については、誰もが自分の責任を逃れたがるし、他人に責任を押しつけようとするということだ。
最初から戦争遂行に大賛成していたのに、負けた瞬間に、「本当はあんな戦争には、最初から反対だった」と言い出すのは、決して珍しいことではない、ごく当たり前のことだというのだ。
この話題は、『逆説の日本史』の中でも、豊臣秀吉の〈唐入り〉、その一環としての朝鮮遠征のところでも取り上げられた話題だな。
まず、大半が反対しているような戦争は、その為政者がどんなに強権を持つ独裁者でも行えることではない。まずは、さまざまな政策を通して国民の心をつかみ、教育や情報操作によって国民の意思を統一することで、ようやくそれが為し得ることとなる。
今、そんなことが出来るのは・・・? ということで、井沢さんは金正恩を、「一般的に考えられているよりずっと危険」と書いている。たしかにそうだな。
そういうことになると、開戦の段階では、日本国民の大半が、それに賛成していたということになる。そして、敗戦に終わった瞬間に、「最初から反対だった」と言い出すことになると。
近代以前では、この嘘を暴くのは難しかったという。そりゃそうだ。インターネットやテレビにラジオどころか、新聞も週刊誌もない。前言を翻すに障害となるものは、手描きの日記や文書しかない。印刷文化が始まる前なら、修正改竄は自由自在。
昭和の戦争に関してだって、NHKは軍部と一部の権威主義者に責任を押しつけて、「国民の大半は戦争に反対だった」という幻想を作り上げていく。
ドラマを見ていても、そういうところはちょっとね。目を背けてしまう。


“人間界の常識”と井沢さんは言うんだけど、“人間界”というと、なんだか振りかぶりすぎのような気がする。だって、人間じゃなければなんだ。猿か。犬か。・・・“世間の常識”くらいでいいんじゃないかな。
第四章に“特別編”というのが設けられている。
井沢さんを厳しく批判した呉座勇一さんという歴史学者への反論が、この第四章特別編ということになっている。呉座勇一さん人は『応仁の乱』を書いた人だな。間が悪くて読んでないけど、機会があれば読もうと思ってた本だな。東京大学文学部歴史文化学科か。いかにも井沢さんとは相性が悪そうだ。
井沢さんが攻撃してきた日本の、プロの歴史学者が実行する歴史解明方法の欠陥の一つ、「社会的常識を無視した権威主義」巣窟みたいなところだろうからな。
呉座さんは、井沢さんが『日本史神髄』で展開した井沢さんの説を、〈論評の必要はない〉と決めつけたんだそうだ。井沢さんが、それは学者の態度としていかがなものかと反論すると、〈人生の大先輩である井沢さんにこれ以上恥をかかせては気の毒であるからと考えたからである〉と述べたんだそうだ。
呉座さんが、〈論評の必要はない〉と決めつけた井沢さんの説は、「いわゆる飛鳥時代には、天皇一代ごとに宮都が移転していた。それは天皇の死がケガレを嫌う、ケガレ忌避という宗教があったからだ」というもの。
呉座さんは、実際には宮都は一代ごとに移転せず建物を使い回していた、という最新の考古学の調査結果を示し、宮都が移転していた事実はなく、本来ならそういった調査結果をちゃんと〈勉強〉しておくべきなのに、それを怠っている。〈もし勉強するのが億劫で、推理だけしていたいというなら、推理小説家に戻られてはいかがだろうか〉ってことなんだそうだ。
学問の世界で求められるのは、真実の追究。自分の研究の結果、間違っていると思う説があれば、論拠を上げてそれを否定するのは学者として当たり前。だけど、否定するのは学説であって、人ではない。
呉座勇一さんは、なぜこんなにも、嫌らしい言い方をする必要があったんだろう。東京大学で歴史を“勉強”した人らしい言い分ということなのかな。
井沢さんがどう反論したかは、この本を読んでね。
実は、私のブログで、「いっぺん大学にでも入って、歴史学を勉強されてはいかがでしょうか。史料を前に、ちゃんと自分の頭で考えてみることが大事ですよ」という、なんだかいやらしいご意見をいただいたことがある。
きっと大学で、史料を前に歴史を勉強した人だったんだろうな。
古関裕二・金子夫妻を題材とした『エール』というドラマ。もちろん、一番の魅力は古関裕二の作曲した歌。ここのところ、一週間の物語が、一曲の歌を題材にして展開されている。『とんがり帽子』、『長崎の鐘』、今週は『栄冠は君に輝く』だった。ちゃんと作曲された年を調べると、順番に並べられているわけではないようだ。
戦争中、作曲で戦争政策に協力してきたという意識の強い主人公が、その自責の念から解放されて自らを取りもどし、人々に寄り添う曲を作り続けていく。そんな物語の展開には、順番の入れ替えが必要だったようだ。
「本当はあんな戦争には、最初から反対だった」
軍国主義に取り憑かれた一部の人を除いて、誰も戦争なんか望んでいなかった。ドラマの中のあちこちに、それを臭わせることで、主人公の背負った苦悩を浮き彫りにしているかのようだ。NHKにとっては、それが戦前・線虫の真実であったようだ。
“戦争の歴史的評価を、冷静かつ論理的に考えることの困難さ”が、本書の中でも取り上げられている。率直に自分のミスを認めることの出来る人間は、きわめて少ない。とくに、国民が多数犠牲になった“敗戦”については、誰もが自分の責任を逃れたがるし、他人に責任を押しつけようとするということだ。
最初から戦争遂行に大賛成していたのに、負けた瞬間に、「本当はあんな戦争には、最初から反対だった」と言い出すのは、決して珍しいことではない、ごく当たり前のことだというのだ。
この話題は、『逆説の日本史』の中でも、豊臣秀吉の〈唐入り〉、その一環としての朝鮮遠征のところでも取り上げられた話題だな。
まず、大半が反対しているような戦争は、その為政者がどんなに強権を持つ独裁者でも行えることではない。まずは、さまざまな政策を通して国民の心をつかみ、教育や情報操作によって国民の意思を統一することで、ようやくそれが為し得ることとなる。
今、そんなことが出来るのは・・・? ということで、井沢さんは金正恩を、「一般的に考えられているよりずっと危険」と書いている。たしかにそうだな。
そういうことになると、開戦の段階では、日本国民の大半が、それに賛成していたということになる。そして、敗戦に終わった瞬間に、「最初から反対だった」と言い出すことになると。
近代以前では、この嘘を暴くのは難しかったという。そりゃそうだ。インターネットやテレビにラジオどころか、新聞も週刊誌もない。前言を翻すに障害となるものは、手描きの日記や文書しかない。印刷文化が始まる前なら、修正改竄は自由自在。
昭和の戦争に関してだって、NHKは軍部と一部の権威主義者に責任を押しつけて、「国民の大半は戦争に反対だった」という幻想を作り上げていく。
ドラマを見ていても、そういうところはちょっとね。目を背けてしまう。
『逆説の日本史 25明治風雲編』 井沢元彦 小学館 ¥ 1,870 明治の「文化大改革」と、大英帝国と同盟してロシアとの開戦へ傾いていった日本 |
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“人間界の常識”と井沢さんは言うんだけど、“人間界”というと、なんだか振りかぶりすぎのような気がする。だって、人間じゃなければなんだ。猿か。犬か。・・・“世間の常識”くらいでいいんじゃないかな。
第四章に“特別編”というのが設けられている。
井沢さんを厳しく批判した呉座勇一さんという歴史学者への反論が、この第四章特別編ということになっている。呉座勇一さん人は『応仁の乱』を書いた人だな。間が悪くて読んでないけど、機会があれば読もうと思ってた本だな。東京大学文学部歴史文化学科か。いかにも井沢さんとは相性が悪そうだ。
井沢さんが攻撃してきた日本の、プロの歴史学者が実行する歴史解明方法の欠陥の一つ、「社会的常識を無視した権威主義」巣窟みたいなところだろうからな。
呉座さんは、井沢さんが『日本史神髄』で展開した井沢さんの説を、〈論評の必要はない〉と決めつけたんだそうだ。井沢さんが、それは学者の態度としていかがなものかと反論すると、〈人生の大先輩である井沢さんにこれ以上恥をかかせては気の毒であるからと考えたからである〉と述べたんだそうだ。
呉座さんが、〈論評の必要はない〉と決めつけた井沢さんの説は、「いわゆる飛鳥時代には、天皇一代ごとに宮都が移転していた。それは天皇の死がケガレを嫌う、ケガレ忌避という宗教があったからだ」というもの。
呉座さんは、実際には宮都は一代ごとに移転せず建物を使い回していた、という最新の考古学の調査結果を示し、宮都が移転していた事実はなく、本来ならそういった調査結果をちゃんと〈勉強〉しておくべきなのに、それを怠っている。〈もし勉強するのが億劫で、推理だけしていたいというなら、推理小説家に戻られてはいかがだろうか〉ってことなんだそうだ。
学問の世界で求められるのは、真実の追究。自分の研究の結果、間違っていると思う説があれば、論拠を上げてそれを否定するのは学者として当たり前。だけど、否定するのは学説であって、人ではない。
呉座勇一さんは、なぜこんなにも、嫌らしい言い方をする必要があったんだろう。東京大学で歴史を“勉強”した人らしい言い分ということなのかな。
井沢さんがどう反論したかは、この本を読んでね。
実は、私のブログで、「いっぺん大学にでも入って、歴史学を勉強されてはいかがでしょうか。史料を前に、ちゃんと自分の頭で考えてみることが大事ですよ」という、なんだかいやらしいご意見をいただいたことがある。
きっと大学で、史料を前に歴史を勉強した人だったんだろうな。
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