めんどくせぇことばかり 『上級国民/下級国民』 橘玲
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『上級国民/下級国民』 橘玲

《自分の人生は、自分が自由に選択する》

第二次世界大戦後、特に1960年代に入り、アメリカを中心とする自由主義諸国は、とてつもない豊かさを手にすることになる。その豊かさを背景にして、価値観の大きな転換が起こる。

かつて、「人生を自由に選択する」などという思想は、存在しなかった。長男なら家を継いだ。次男や三男は軍人になるか、仕事を求めて都会に向かった。娘は親の決めた相手と結婚するか、家のために身を売る場合もあった。

新しい価値観を身につけた若者は、好きな職業を選び、好きな相手と結婚して、自由に生きることを選ぶようになった。自由に自分の人生を選択する者たちは、自分の自由な選択を守るためにも、他者の自由も認められるべきだと考えた。

自由がリバティ、自由を求める思想がリベラル。リベラルにおいては、人種や民族、国籍、性別、宗教などで人が差別されること強く非難する。なぜなら、本人の意思や努力とは関係の無いところで自己実現が阻害されるから。

逆に考えれば、個人の意思や能力で格差が生じることは、やむを得ないことになる。高い能力が評価されて、その人が高い地位や収入を得ることが出来ることは良いことだ。同じように、能力が低いがゆえに地位や収入が低いのも、仕方が無いことになる。

誰もが自己実現が可能となるリベラルの理想は、究極の自己責任の世界でもある。そこでは人は誰も、個として思うように生き、その責任を取る。あらゆるアイデンティティが外されてしまうから、アイデンティティを同じくする者の間でまかり通っていたことが通用しなくなる。

保守主義的な考え方の私には、これは恐ろしい。私はいつも、現在や未来の問題を考えるときに、過去を参考にする。伝統の中に意味を見出そうとする。しかし、人が経験したこともない現代社会の豊かさがリベラルを生んだのならば、過去に答えを見出すことは出来ないことになる。リベラルにしてみれば、伝統なんて何の意味も持たない。それが必然であるなら、人の未来はグロテスクに過ぎる。

相手の国籍に関係なく、年齢に関係なく、性別に関係なく、社会的背景に関係なく、常に差別的ではない、政治的に正しい言行が求められる。これが最近よく言われる、ポリティカル・コレクトネスというやつだな。これまた、性に合わない。

“政治的正しさ”は、さまざまな人たちが共生する社会での振る舞い方だそうだ。それが正しいかどうかにかかわらず、人が共生する社会に生きる者の約束事なんだそうだ。

“人が共生する社会”と言うのも、なんだか新しいアイデンティティになってしまいそうな気がするな。



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「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない
1 「下級国民」の誕生
平成で起きたこと
令和で起きること)
2 「モテ」と「非モテ」の分断
日本のアンダークラス
「モテ」と「非モテ」の進化論
3 世界を揺るがす「上級/下級」の分断
リベラル化する世界
「リバタニア」と「ドメスティックス」
エピローグ 知識社会の終わり


豊かな社会は技術革新によってもたらされた。技術革新は日々続けられていく。これが知識社会化である。人々は、自分の人生を自分で選択していく中で、これまで人を縛っていたさまざまな共同体のくびきから自由になった。これがリベラル化である。進化した技術は、国境を越えたヒト、モノ、カネの移動を可能にした。これがグローバル化である。

知識社会化、リベラル化、グローバル化は三位一体の現象で、止めることの出来ない流れである。

世界のいろいろな地域で、日々進行する知識社会化の流れに乗れず、社会に適応できなくなっている人がいる。知識社会が高度化するにつれて、仕事に要求される知識のハードルが上がる。同時にグローバル化の進行で、工場を人件費の安い国に移転したり、給料の安い移民に仕事を奪われることもある。工場の機械化・ロボット化も、従業員から仕事を奪う。要求される知識のハードルをクリアできないと、たちまち仕事を失い、社会の底辺に沈むことになりかねない。

私が仕事をするようになったのは1980年代の前半。印刷はボールペン原紙の原稿を焼いて、取っ手をぐるぐる回す輪転機で行なったな。そのほんの少し前、大学の時のコピーは青焼きというやつだった。

ワープロなんていうのが現れ、パソコンに変わって、苦労したな。パソコンは悔しかったね。若造たちは最初からそれを使ってるから慣れたもんだけど、違う方法で仕事をしてたこっちにとってはね。頭下げて教えてもらわなきゃいけない。

ともあれ、トランプ大統領を支持するプア・ホワイトと呼ばれる人たちは、そうやって仕事にあぶれていったんだ。そういや、プア・ホワイトの他にも呼び方があるという。“ホワイトトラッシュ”、「白いごみ」っていう意味だそうだ。倒産した工場が放置されるラストベルト(錆びた地域)に吹きだまり、仕事を失い、アルコールやドラッグに溺れ、自殺や身体を壊して死んでいく白人たち。

仕事も家族も有人も、何もかも失った彼らが、最後にすがりつくアイデンティティが、“白人”であるということ。白人はアメリカのマジョリティであるけれど、プア・ホワイトは意識の上では弱者であり、被害者だと思っている。

マジョリティの中流階級が、上層と下層に分断されたわけだな。

人類史上未曾有の繁栄によって自己実現が可能になった社会の影で、ホワイトトラッシュとしてポイ捨てされることになった人々はは、廃棄物処理場にい送られ、リサイクルされ、ごみの山にポイ捨てされる。

これがリベラルという、自己実現と自己責任の世界の完成形。この本にも日本の高校教師の経験が報告されているが、私も定時制高校にいたので、すでに下層に沈んだ社会がどんなものかは、多少は見てきた。大半の生徒にとって定時制高校に通うということは、何とかもう一度、もとの社会に戻ろうという再チャレンジの試みだった。

そしてそれにも失敗し、顔を見せなくなるものが多い。彼らは、誰によって受け入れられるのか。

それを自己責任といって放置するなら、そんなおぞましい社会をリベラルは本当に望むのか。そんなリベラルに、将来があるとは思えない。

なんだか恐ろしいな。


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ジャンル : 本・雑誌

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本


























































































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