めんどくせぇことばかり 『あのころ、うちのテレビは白黒だった』 平野恵理子
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『あのころ、うちのテレビは白黒だった』 平野恵理子

昭和の時代と言っても、昭和は長い。

まだまだ昭和を懐かしむ人は多くても、もはや戦前を知る人は少ない。やはり、今懐かしがられる昭和とは、戦後の経済成長期、1960年代、70年代あたりだろう。1960年生まれの私が、今年還暦。団塊の世代よりも一回りちょい下。私から何年か下までは似たようなもんだろうけど、あまり下過ぎるとオイルショック後の低成長期に入ってしまう。

それに、場所の違いも、だいぶ大きい。都会と田舎では、時代感がかなり異なる。

小学校4年生の時に、西武秩父線が開通し、飯能を廻って東京の池袋に行くことができるようになった。それ以前、東京に向かう鉄道は、秩父線で熊谷に行き高崎線で上野に行くルートしかなかった。

道路にしたって同様で、熊谷から秩父に向かう140号線が一般的で、入間から秩父を通る299号線は正丸峠越えで、大きな車は通れなかった。

つまり、とにかく物流が悪かった。そのせいか、生活習慣であるとか、遊び方であるとか、そういうものにずれがある。秩父の外の都市圏の人とはずれがあって、同世代の人よりも、一回り上の世代の人との方が話があう。

映画もだいぶ遅かった。東京で封切られた映画を、秩父の映画館で見られるのは1年後だった。1973年封切りの映画『燃えよドラゴン』を、私たち秩父の中学生は、当時、町唯一の映画館《革新館》で、1年後に見た。

高校に入って知り合った荒川村の友人は、テレビはNHKしか映らないと言っていた。小鹿野の坂本から出てきた男は、ほとんどテレビも見たことがなかった。

高度経済成長の恩恵が秩父に及ぶのも、だいぶ、外の地域からは遅れたようだ。西武鉄道が秩父まで延びたのも、ほかの地域よりもちょっと遅れて、秩父にも高度経済成長の影響が及んだと言うことなのかも知れない。

この本の著者、平野恵理子さんは静岡生まれの横浜育ちだという。静岡は知らないが、1960年代の横浜と秩父では、環境が激しく違う。うちは祖父母が畑を耕し、乳は会社勤め。生活様式と根性は、百姓のものだった。

この本は身の回りに置かれた用具や調度品、1960年代当時、私たちの周りにあったさまざまなものが紹介されている。とても懐かしい。懐かしいんだけど、私から見ると、どれもちょっと小綺麗で品がある。



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明日は今日より明るい感じ。・・・ビンボーだけど幸せな時代がよみがえる
玄関
居間
客間
子供部屋
台所
寝室
洗面所
浴室とトイレ
縁側

年中行事とお祭り

忘れられないものたち


第一章の玄関からして違う。

私が生まれた頃にはもういなかったが、かつて家には馬がいて、玄関を開けると、とてつもなく広い土間があった。今に入ると天井はなく、そのまま屋根を支える太い柱が縦横に走っている。ごはんを食べているとき、柱からなんかの都合で足を滑らせた蛇が、ちゃぶ台の上に落ちて大惨事となったことがあった。

台所にも土間があって、そこには大きな竈があって、煮炊きは全部、そこでしていた。お風呂の焚き口もそこにあった。火を使う場所は、その一カ所に限定してあったんだろう。

一度、ボヤを出したことがある。

雪が降った火の夕食時、部屋の中に煙が流れ込んできた。かなりの積雪だったようで、積もった雪で煙突が屋根下で折れてしまい、そこから火が出てしまった。運が良かったのは、背戸のひいおばあさんの葬式の日で、母がはだして助けを呼びに走り、たくさんの男手があったことだ。

お勝手の屋根を焼いただけで火を食い止めることが出来、そのあと、きれいで使いやすいガスレンジが入った。母が嬉しそうだったことだけ覚えている。

平野さんが会社勤めをしていた1980年代、同僚の間で幼少期の写真を見せ合うことが流行ったことがあるそうだ。一日一枚ずつ勝負写真を持ち寄り、輪になって一斉に見せ合ったんだという。その瞬間、全員で弾けるように笑い合うのが常だったそうだ。

これは分かる。私の生まれは戦争が終わって、まだ15年しか経っていない。戦争の匂いはまだ残っていたし、父の友人は酔っ払っては戦争の話を聞かせてくれた。お祭りで人が出る日には、必ず傷痍軍人の人たちもいて、アコーディオンを弾いていた。

写真に写る幼い頃の“自分”は、みんなふつうに貧乏だった。『巨人の星』が教えてくれるとおり、つぎあてが当たった服を着ていても、清潔なものであれば何も恥ずかしがる必要はないと信じていた。そう信じていながら、虫を求めて山を駆けずり回り、よその大人や親たちから逃れるために縁の下に隠れた私たちは、見るも無惨に汚らしかった。

ところが、私は違った。

二人の兄は、どこかの山岳民族の習俗を後世に残すために、先進国の民俗学者が奥山には行って撮ってきたような写真が何枚でもある。

しかし、私はと言うと、人より遅れてようやくたち歩きを始めた頃に見つかった股関節脱臼で、しばらくの間ギブスを当てて生活していた。その分、足の弱い子だった私を不憫に思ったのか、二人の兄に比べて、私の子ども時代の写真は極端に少ない。

その後、写真に登場するようになるのは、小学校に入ってからで、何かの記念があると、親はわざわざ私の特別な写真を撮ってくれた。兄たちとは、着ている服が違うのだ。おそらく、そのへんにも高度経済成長の進行がある。180センチ越えの身長の私に対し、160センチと少しの身長の長男は、これも高度経済成長のせいだといつもぼやいている。

懐かしい時代、懐かしい人たちを思い出させてくれる本でした。


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ジャンル : 本・雑誌

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
























































































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