『夏の騎士』 百田尚樹
少年は、昭和最後の夏に手に入れた勇気を頼りに、人生を切り開いてきた。
平成が過ぎ去り令和となり、12歳の少年は43歳の中年男になった。彼は時々、31年前のあの夏の日々を、ずっと彼の人生を支えてくれていたあの夏の日々を思い出しているようだ。
そこから、さらに17年たった、60歳の初老の男が私なわけだ。だけど、43歳の中年男も60歳の初老の男も、認識には大して違いがないということが、あらためてよく分かった。
これは、かなり大きな収穫だった。
子どもっていうのは、本の小さな子とをきっかけに成長したり、あるいはダメになったりする。主人公の少年や少女にとっても、それはどこの教室でも起こりうる、さほど珍しくもない減少だったに違いない。
それはいじめとまでは言い切れないような嫌がらせであったり、他愛ない言い争いであったりする。いつもなら、相手の本気度を測りながら、卑屈な笑顔を作って引き下がったり、ついつい言い過ぎて、逆に自分の方が自責の念に苛まれたりする。
だけど、あるとき、彼らは踏ん張った。嫌がらせや、相手の悪意に立ち向かった。立ち向かったと言っても、戦ったのではない。文字通り、踏ん張ったのだ。引かなかった。それが彼らが、教室全体に示した、はじめての“勇気”だった。
主人公の少年たちと同じように、私も子どもの頃に秘密基地を作ったことがある。冬になると枯れ草と枯れススキが広がるばかりの原っぱに、隣の大工さんからもらった端材を持ち込んで小さな部屋を作り、枯れ草や枯れススキで偽装した。
2~3歳違いの範囲の近所の子どもたち数人で、特にそこで何をやるというわけでもなかった。せいぜいトランプでもするのが関の山。後は、遊び道具の置き場に使っていた程度。
正月は楽しかった。そこでゲームをして遊んだ記憶がある。火を入れた七輪を持ち込んで、餅を焼いて食った。今考えれば恐ろしいな。ほどよく乾いた原っぱが全焼してしまう。


秘密基地は、そう長くは持たなかった。
誰かが人なつこい野犬を拾ってきて、それにポチという名前をつけて、秘密基地で飼い始めた。当然、エサが必要になる。何とか親に内緒で、残り飯を持ち寄ったりした。朝は交代で散歩に連れ出した。学校が終わってからは、ポチを中心に遊んだ。
ただ、秘密基地の中で遊んだり、餅を焼いて食うわけにはいかなくなった。なにしろ、秘密基地は、ポチの犬小屋になってしまったからだ。
しかも、ポチのエサの持ち出しは、まもなく親にバレ、ポチの処遇が問題になった。ポチが殺されると震え上がった私たちは、山に連れて行って離そうと、親の前に行動を起した。山の神の前でエサを食べているうちに走って逃げたが、まもなくポチの追いつかれた。
もう一度、山に離すことを話し合ったが、翌日、仲間の一人の家で飼うことになった。秘密基地は、ポチの糞尿で使い物にならなくなっていた。
落ちこぼれ状態の小学生が、アーサー王物語に憧れて、騎士団を結成する。騎士はレディを守らなければならないと、クラス一の人気の女子を“レディ”に見立てる。
私の感覚でも騎士団まではあり得る。ただし、結成するなら、新撰組か白虎隊あたりだろう。もちろん、レディを守ろうという発想はない。むしろ、遠ざけただろう。それが私の年代の、おそらく大きな弱点だ。
教員の仕事をしていて、平成時代の子どもたちが羨ましいと思ったことはほとんどない。唯一、男子と女子の距離が近くなったことは、いいことだと思った。
私の入学した高校は共学校だけど、共学校なのに男子クラスと女子クラスが分かれていた。それが私たちが3年になるときに、共学クラスになることになった。女子たちがどうだったかは知らないが、男子は激しく動揺した。
私にも小学生の時に好きな子がいた。だけど、関わることなく時が流れただけだった。それに関しては、平成時代の子どもたちは羨ましいと思った。
子どもの頃の成功体験は、掛け替えがない。そのためには、小さな勇気が必要になる。その小さな勇気を支えるのは、誰かを思う気持ちであることが多い。家族であったり、友人であったり、先生であったりする。
私は小学校4年の時の、産休代替の若いきれいな先生だった。クラスのいたずら者が、朝の会にやってきた先生の頬に輪ゴムを飛ばしたのだ。急なことに動転した先生は、顔を押さえて教室から出て行った。気がついたら私は、いたずら者につかみかかっていた。私は、すぐに教室に戻った先生に、引き離された。
40歳を超えたって人生は厳しいが、頑張れヶそれなりの答えが出ることを知ってる人間は、何とかやっていける。余力があれば、それを世の中に返すことも出来るようになる。40代から50代の中頃は、子どもの教育費で何かと大変だったが、その後はだいぶ楽になった。40代よりも、今の私の方が、世の中に返せるものは多いだろう。
そんなことより、あの先生は、関わりを持つことさえ出来なかったあの娘は、その後どんな恋をしたのだろう。
平成が過ぎ去り令和となり、12歳の少年は43歳の中年男になった。彼は時々、31年前のあの夏の日々を、ずっと彼の人生を支えてくれていたあの夏の日々を思い出しているようだ。
そこから、さらに17年たった、60歳の初老の男が私なわけだ。だけど、43歳の中年男も60歳の初老の男も、認識には大して違いがないということが、あらためてよく分かった。
これは、かなり大きな収穫だった。
子どもっていうのは、本の小さな子とをきっかけに成長したり、あるいはダメになったりする。主人公の少年や少女にとっても、それはどこの教室でも起こりうる、さほど珍しくもない減少だったに違いない。
それはいじめとまでは言い切れないような嫌がらせであったり、他愛ない言い争いであったりする。いつもなら、相手の本気度を測りながら、卑屈な笑顔を作って引き下がったり、ついつい言い過ぎて、逆に自分の方が自責の念に苛まれたりする。
だけど、あるとき、彼らは踏ん張った。嫌がらせや、相手の悪意に立ち向かった。立ち向かったと言っても、戦ったのではない。文字通り、踏ん張ったのだ。引かなかった。それが彼らが、教室全体に示した、はじめての“勇気”だった。
主人公の少年たちと同じように、私も子どもの頃に秘密基地を作ったことがある。冬になると枯れ草と枯れススキが広がるばかりの原っぱに、隣の大工さんからもらった端材を持ち込んで小さな部屋を作り、枯れ草や枯れススキで偽装した。
2~3歳違いの範囲の近所の子どもたち数人で、特にそこで何をやるというわけでもなかった。せいぜいトランプでもするのが関の山。後は、遊び道具の置き場に使っていた程度。
正月は楽しかった。そこでゲームをして遊んだ記憶がある。火を入れた七輪を持ち込んで、餅を焼いて食った。今考えれば恐ろしいな。ほどよく乾いた原っぱが全焼してしまう。
『夏の騎士』 百田尚樹 新潮社 ¥ 1,524 百田尚樹、待望の長編小説。勇気――それは人生を切り拓く剣だ。 |
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秘密基地は、そう長くは持たなかった。
誰かが人なつこい野犬を拾ってきて、それにポチという名前をつけて、秘密基地で飼い始めた。当然、エサが必要になる。何とか親に内緒で、残り飯を持ち寄ったりした。朝は交代で散歩に連れ出した。学校が終わってからは、ポチを中心に遊んだ。
ただ、秘密基地の中で遊んだり、餅を焼いて食うわけにはいかなくなった。なにしろ、秘密基地は、ポチの犬小屋になってしまったからだ。
しかも、ポチのエサの持ち出しは、まもなく親にバレ、ポチの処遇が問題になった。ポチが殺されると震え上がった私たちは、山に連れて行って離そうと、親の前に行動を起した。山の神の前でエサを食べているうちに走って逃げたが、まもなくポチの追いつかれた。
もう一度、山に離すことを話し合ったが、翌日、仲間の一人の家で飼うことになった。秘密基地は、ポチの糞尿で使い物にならなくなっていた。
落ちこぼれ状態の小学生が、アーサー王物語に憧れて、騎士団を結成する。騎士はレディを守らなければならないと、クラス一の人気の女子を“レディ”に見立てる。
私の感覚でも騎士団まではあり得る。ただし、結成するなら、新撰組か白虎隊あたりだろう。もちろん、レディを守ろうという発想はない。むしろ、遠ざけただろう。それが私の年代の、おそらく大きな弱点だ。
教員の仕事をしていて、平成時代の子どもたちが羨ましいと思ったことはほとんどない。唯一、男子と女子の距離が近くなったことは、いいことだと思った。
私の入学した高校は共学校だけど、共学校なのに男子クラスと女子クラスが分かれていた。それが私たちが3年になるときに、共学クラスになることになった。女子たちがどうだったかは知らないが、男子は激しく動揺した。
私にも小学生の時に好きな子がいた。だけど、関わることなく時が流れただけだった。それに関しては、平成時代の子どもたちは羨ましいと思った。
子どもの頃の成功体験は、掛け替えがない。そのためには、小さな勇気が必要になる。その小さな勇気を支えるのは、誰かを思う気持ちであることが多い。家族であったり、友人であったり、先生であったりする。
私は小学校4年の時の、産休代替の若いきれいな先生だった。クラスのいたずら者が、朝の会にやってきた先生の頬に輪ゴムを飛ばしたのだ。急なことに動転した先生は、顔を押さえて教室から出て行った。気がついたら私は、いたずら者につかみかかっていた。私は、すぐに教室に戻った先生に、引き離された。
40歳を超えたって人生は厳しいが、頑張れヶそれなりの答えが出ることを知ってる人間は、何とかやっていける。余力があれば、それを世の中に返すことも出来るようになる。40代から50代の中頃は、子どもの教育費で何かと大変だったが、その後はだいぶ楽になった。40代よりも、今の私の方が、世の中に返せるものは多いだろう。
そんなことより、あの先生は、関わりを持つことさえ出来なかったあの娘は、その後どんな恋をしたのだろう。
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