『骸骨巡礼』 養老孟司
昨日の調べでは、新型コロナウイルスで、新たに8人死んだ。
そんな報道を見て、なんだかおかしな気持ちになる。今日は何人死んだ。昨日は何人で、明日は何人。そんな風に、この感染症で死んだ人の数を数えていく毎日に、なんだか不思議なものを感じる。
昨年1年間で、137万6000人死んでいる。1日平均にすると、3770人。毎日3770人が死んでいる。「そのうち、新型コロナウイルスで死んだ人は8人でした」という報道なら分かる。
それが、「新型コロナウイルスで8人死にました」と言われても、おかしな気持ちになるばかり。「オレは言った。言ったからな。もう、伝えたからには、オレには責任はない」と突っぱねられているようで、感じるのは・・・、そうだ。寂しさだ。放り出されたような、寂しさだ。もともと守られてもいないのに、放り出されるはずはないのに、それなのに放り出され角は理不尽だ。
別に、自分の死に方を、謂われもなく誰かのせいにしようとは思わない。だから、毎日毎日、さほど取り立てて多いとも思えない感染症の死者数を、まるで天気予報でも伝えるかのようにニュースに載せるのはやめてもらえないか。
先日、叔母が亡くなった。
埼玉大学で行なわれた教員採用試験を受けるとき、秩父からでは朝が忙しいと、父の弟夫婦、叔父叔母の家に厄介になった。父は7人兄弟で、一番下の弟で、夫婦で若々しく、きれいな叔母だった。叔父はすでに10年ほど前に亡くなり、この秋、叔母も逝った。残念なことに、感染症流行の折から、長男に代表してもらい、自ら見送ることは出来なかった。
父母に兄弟が多かったこともあって、すでにずいぶん見送った。祖父母、父母の時も合わせて、見送るたびに教えられた。ここまで来れば、後は身内の者に、死んでみせればいいってことが。
『フランス史』を著したジュール・ミシュレが、死について、次のように述べているという。
「信仰が活発であった初期キリスト教徒の時代には、人々は苦しみに対して忍耐強かった。死は短い別離であって、再びまみえるために人と人との別れさせるのだと思われていた。霊魂とその再会に対するこのような信仰の証しとして、12世紀までは肉体ー遺骸ーは今ほど重要性を持っていなかった。それはまだ、壮麗な墓を要求してはいなかった。教会の一隅に埋められ、一枚の敷石がそれをおおっていただけである。復活のためには、次のように記すだけで十分だった。《此処から彼女は甦り・・・》。」


さらに、ジュール・ミシュレの弁を続ける。
我々がその歴史を書いている時代(15世紀)には、明言されないものの、それだけ一層奥深いところで変化がすでに始まっていた。見た目の形式は同じでも、信仰は活気を失いつつあった。意識はされないものの、心の奥深くにおいて希望は弱まっていた。苦しみが未来の約束によって癒やされることはもはやなかったのである。敬虔なる慰めに代えて、苦しみはヴァレンティナ(オルレアン公未亡人)の言葉を対置する。《つと敵の大将を殺し私にはもはや何もなく、来世も私には無でしかない》。
彼女になにかが残されていたとすれば、それは悲しき遺骸を飾り立て、その亡骸を褒め称え、その墓を礼拝堂に、教会に変え、死者を神として祀るくらいであろう」
死をどう受け入れるかは、時代により変遷する。それにしても、「死は短い別離」という慰めが、儚い希望に過ぎなかったと、心の奥底で受け入れ始めたとき、人は死を特別なものとして扱わざるを得なくなっていったわけだな。
個人的なものとしての死が意識されたのは近代のことで、そもそも“個人”はルネッサンスによって発生した。そういうものがなければ、死は別に何でもない。自分にとっては、死はそもそも存在しない。自分の死を、自分の死後に確認することは出来ないからである。
生きているうちに成し遂げたい仕事があるかも知れないが、自分が死んでも、それが必要なものであるならば、やがて誰から成し遂げる。死は、いつか成し遂げられるべき業績の障害にはならない。
日本では、このような状態がさらに長く続いた。死が、明確に個人的なものとして捉えられないまま、日本は近大に突入した。75年前までは、日本人の間に暗黙の了解があった。「人生は自分のためのものではない」。だから、神風特攻隊だった。戦後はそれが逆転した。アメリカから、“個人”という考え方が流れ込んできた。自己実現、本当の自分、個性を追求するようになった。
多くの日本人が、個人や個性、自分探しに勤しむようになった。自分探しという以上、現存する自分は仮の自分ということになる。本当の自分ではない自分が、自分として生きている。そして、もっと価値の高い本当の自分を探しながら生きている。そのように“仮の自分”を設定すると、人生そのものが仮のものとなってしまう。そして、本当の自分ではない自分が、本当に送るべき人生ではなかった価値の低い人生を送って、年老いて、死んでいく。
このようにして人を訪れる死は、かなり残酷なものになるな。
そんな報道を見て、なんだかおかしな気持ちになる。今日は何人死んだ。昨日は何人で、明日は何人。そんな風に、この感染症で死んだ人の数を数えていく毎日に、なんだか不思議なものを感じる。
昨年1年間で、137万6000人死んでいる。1日平均にすると、3770人。毎日3770人が死んでいる。「そのうち、新型コロナウイルスで死んだ人は8人でした」という報道なら分かる。
それが、「新型コロナウイルスで8人死にました」と言われても、おかしな気持ちになるばかり。「オレは言った。言ったからな。もう、伝えたからには、オレには責任はない」と突っぱねられているようで、感じるのは・・・、そうだ。寂しさだ。放り出されたような、寂しさだ。もともと守られてもいないのに、放り出されるはずはないのに、それなのに放り出され角は理不尽だ。
別に、自分の死に方を、謂われもなく誰かのせいにしようとは思わない。だから、毎日毎日、さほど取り立てて多いとも思えない感染症の死者数を、まるで天気予報でも伝えるかのようにニュースに載せるのはやめてもらえないか。
先日、叔母が亡くなった。
埼玉大学で行なわれた教員採用試験を受けるとき、秩父からでは朝が忙しいと、父の弟夫婦、叔父叔母の家に厄介になった。父は7人兄弟で、一番下の弟で、夫婦で若々しく、きれいな叔母だった。叔父はすでに10年ほど前に亡くなり、この秋、叔母も逝った。残念なことに、感染症流行の折から、長男に代表してもらい、自ら見送ることは出来なかった。
父母に兄弟が多かったこともあって、すでにずいぶん見送った。祖父母、父母の時も合わせて、見送るたびに教えられた。ここまで来れば、後は身内の者に、死んでみせればいいってことが。
『フランス史』を著したジュール・ミシュレが、死について、次のように述べているという。
「信仰が活発であった初期キリスト教徒の時代には、人々は苦しみに対して忍耐強かった。死は短い別離であって、再びまみえるために人と人との別れさせるのだと思われていた。霊魂とその再会に対するこのような信仰の証しとして、12世紀までは肉体ー遺骸ーは今ほど重要性を持っていなかった。それはまだ、壮麗な墓を要求してはいなかった。教会の一隅に埋められ、一枚の敷石がそれをおおっていただけである。復活のためには、次のように記すだけで十分だった。《此処から彼女は甦り・・・》。」
『骸骨巡礼』 養老孟司 新潮文庫 ¥ 781 骨と墓だけの欧州旅行!死体と格闘する修行を通じて、辿りついた解剖学者の新境地 |
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さらに、ジュール・ミシュレの弁を続ける。
我々がその歴史を書いている時代(15世紀)には、明言されないものの、それだけ一層奥深いところで変化がすでに始まっていた。見た目の形式は同じでも、信仰は活気を失いつつあった。意識はされないものの、心の奥深くにおいて希望は弱まっていた。苦しみが未来の約束によって癒やされることはもはやなかったのである。敬虔なる慰めに代えて、苦しみはヴァレンティナ(オルレアン公未亡人)の言葉を対置する。《つと敵の大将を殺し私にはもはや何もなく、来世も私には無でしかない》。
彼女になにかが残されていたとすれば、それは悲しき遺骸を飾り立て、その亡骸を褒め称え、その墓を礼拝堂に、教会に変え、死者を神として祀るくらいであろう」
死をどう受け入れるかは、時代により変遷する。それにしても、「死は短い別離」という慰めが、儚い希望に過ぎなかったと、心の奥底で受け入れ始めたとき、人は死を特別なものとして扱わざるを得なくなっていったわけだな。
個人的なものとしての死が意識されたのは近代のことで、そもそも“個人”はルネッサンスによって発生した。そういうものがなければ、死は別に何でもない。自分にとっては、死はそもそも存在しない。自分の死を、自分の死後に確認することは出来ないからである。
生きているうちに成し遂げたい仕事があるかも知れないが、自分が死んでも、それが必要なものであるならば、やがて誰から成し遂げる。死は、いつか成し遂げられるべき業績の障害にはならない。
日本では、このような状態がさらに長く続いた。死が、明確に個人的なものとして捉えられないまま、日本は近大に突入した。75年前までは、日本人の間に暗黙の了解があった。「人生は自分のためのものではない」。だから、神風特攻隊だった。戦後はそれが逆転した。アメリカから、“個人”という考え方が流れ込んできた。自己実現、本当の自分、個性を追求するようになった。
多くの日本人が、個人や個性、自分探しに勤しむようになった。自分探しという以上、現存する自分は仮の自分ということになる。本当の自分ではない自分が、自分として生きている。そして、もっと価値の高い本当の自分を探しながら生きている。そのように“仮の自分”を設定すると、人生そのものが仮のものとなってしまう。そして、本当の自分ではない自分が、本当に送るべき人生ではなかった価値の低い人生を送って、年老いて、死んでいく。
このようにして人を訪れる死は、かなり残酷なものになるな。
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