『食王』 楡周平
子どもの頃は、怖いものがたくさんあった。
なんだか、怖いものだらけだった。なんて言ってもノストラダムスの大予言。「1999年の7の月に人類は滅亡する」という予言。1999年と言えば、自分は39歳。40歳目前で死ぬのか。だけど、その歳なら、滅亡してもいいかな。もう結婚しているだろうし、子どももいるだろう。自分は良くても、子どもはかわいそうだな。そんなことを考えていた。
自分が大人になる頃には、お爺ちゃんとお婆ちゃんは死んじゃうだろうな。お父さんやお母さんが早く死んじゃったらどうしよう。
石油はあと30年でなくなるって言ってたな。石油がなくなっても石炭なら取れるみたいだし、いざとなったら、山に行けばいくらでも木が生えているから大丈夫だろう。
水俣病っていうのはずいぶん酷いらしい。四日市ぜんそくも酷い。向上の煙が悪いんだろう。あんなの塞いじゃえばいいのに。そう言えば、修学旅行で東京に行った真ちゃんが、光化学スモッグで息が出来なくなったって言ってたな。息が出来ないのに、東京の人はどうして大丈夫なんだろう。公害って、そのうち秩父にも来るのかな。
武甲山は、石灰の取り過ぎでなくなるらしい。酷い話だ。向こう側が見えちゃったりしたら、どんなことになっちゃうんだろう。
チクロって毒なの?だって、この間までジュースに入ってたのが、禁止になったらしいよ。発ガン性?ガンになるの?え~、もの凄いたくさん飲んじゃったよ。僕はガンになって死ぬのかな。
あんなにたくさん怖いことがあったのに、本当にそうなったのは、二つ。祖父母と父母は、たしかにみんな死んだ。武甲山は、まだあるにはあるが、向こう側が見えつつある。
さて、この本。今の日本は、さまざまな問題に直面しつつあり、その困難の度合いは、まさにこれから高まっていくことになることを、つくづく感じさせられた。


北陸の小京都と称される金沢にある会席料理の老舗料亭《万石》も、大きな課題を抱えていた。それはかつて隆盛を極めた西陣の織物、京友禅などにも共通する問題であった。
私たちの生活環境は、伝統技能が隆盛を極めた頃とは大きく変わった。消費者にとってそれらの伝統技能は、その重要性は認めつつも、実生活の中に取り入れるには及ばない。つまり買わない。敬して遠ざける対象となってしまった。
完全にそうなってしまってから慌てても遅い。伝統技能が自ら変わっていかなければならない。しかし、そこには数多くの抵抗が予想される。
抵抗があっても、今始めなければ、もう間に合わない。
2011年3月11日、あの地震の時、私は定時制高校の職員室にいた。前の晩に、その歳の卒業式を終えたばかりだった。その後、テレビで見た津波に言葉を失った。被災の様子が明らかにされるに至って、自分のその後の人生が、この出来事によって決定づけられたと感じた。
被災地の復興は進んだが、町がもとの活気を取りもどしたわけではない。若者は仕事を求めて都会へ移住し、仕事のない被災地を去って行った。その傾向が現れ始めると、徐々に速度をあげていく。
今、何か手を打たなければ、もうその流れは止められない。
割烹料理の老舗料亭《万石》の花板を務める森川順平。彼は築地で仲卸を仕事にする桶増の次男に生まれ、料理人を志して《万石》の門をくぐった。
3・11の津波は、小学校6年生だった滝沢由佳の町にも押し寄せた。高台の学校で難を逃れた由佳だが、3歳年下で、早い時間に下校していた弟と、祖父母が自宅にいて、津波にのみ込まれた。由佳は父母の頑張りで東京の大学に進み、バイトをこなしつつ就職活動の年を迎えていた。
二人をつなぐことになるのが、梅森大介。彼は全国に110店舗を展開する外食チェーンのオーナー社長。成功を収めた彼も、人生の終盤を迎えて、事業の新たな展開を必要としていた。
森川は父を通して梅森に結びつき、由佳は森川の店舗の一つでアルバイトをしていた。
生き馬の目を抜くような世界で事業を成功させていくためには、甘いことは言っていられない。だけど、義理人情を抜きにして、世の中を語っても意味がない。
なんだか、怖いものだらけだった。なんて言ってもノストラダムスの大予言。「1999年の7の月に人類は滅亡する」という予言。1999年と言えば、自分は39歳。40歳目前で死ぬのか。だけど、その歳なら、滅亡してもいいかな。もう結婚しているだろうし、子どももいるだろう。自分は良くても、子どもはかわいそうだな。そんなことを考えていた。
自分が大人になる頃には、お爺ちゃんとお婆ちゃんは死んじゃうだろうな。お父さんやお母さんが早く死んじゃったらどうしよう。
石油はあと30年でなくなるって言ってたな。石油がなくなっても石炭なら取れるみたいだし、いざとなったら、山に行けばいくらでも木が生えているから大丈夫だろう。
水俣病っていうのはずいぶん酷いらしい。四日市ぜんそくも酷い。向上の煙が悪いんだろう。あんなの塞いじゃえばいいのに。そう言えば、修学旅行で東京に行った真ちゃんが、光化学スモッグで息が出来なくなったって言ってたな。息が出来ないのに、東京の人はどうして大丈夫なんだろう。公害って、そのうち秩父にも来るのかな。
武甲山は、石灰の取り過ぎでなくなるらしい。酷い話だ。向こう側が見えちゃったりしたら、どんなことになっちゃうんだろう。
チクロって毒なの?だって、この間までジュースに入ってたのが、禁止になったらしいよ。発ガン性?ガンになるの?え~、もの凄いたくさん飲んじゃったよ。僕はガンになって死ぬのかな。
あんなにたくさん怖いことがあったのに、本当にそうなったのは、二つ。祖父母と父母は、たしかにみんな死んだ。武甲山は、まだあるにはあるが、向こう側が見えつつある。
さて、この本。今の日本は、さまざまな問題に直面しつつあり、その困難の度合いは、まさにこれから高まっていくことになることを、つくづく感じさせられた。
『食王』 楡周平 祥伝社 ¥ 1,980 食の世界から日本の抱えるさまざまな問題と、未来に向けての明るい展望を探る |
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北陸の小京都と称される金沢にある会席料理の老舗料亭《万石》も、大きな課題を抱えていた。それはかつて隆盛を極めた西陣の織物、京友禅などにも共通する問題であった。
私たちの生活環境は、伝統技能が隆盛を極めた頃とは大きく変わった。消費者にとってそれらの伝統技能は、その重要性は認めつつも、実生活の中に取り入れるには及ばない。つまり買わない。敬して遠ざける対象となってしまった。
完全にそうなってしまってから慌てても遅い。伝統技能が自ら変わっていかなければならない。しかし、そこには数多くの抵抗が予想される。
抵抗があっても、今始めなければ、もう間に合わない。
2011年3月11日、あの地震の時、私は定時制高校の職員室にいた。前の晩に、その歳の卒業式を終えたばかりだった。その後、テレビで見た津波に言葉を失った。被災の様子が明らかにされるに至って、自分のその後の人生が、この出来事によって決定づけられたと感じた。
被災地の復興は進んだが、町がもとの活気を取りもどしたわけではない。若者は仕事を求めて都会へ移住し、仕事のない被災地を去って行った。その傾向が現れ始めると、徐々に速度をあげていく。
今、何か手を打たなければ、もうその流れは止められない。
割烹料理の老舗料亭《万石》の花板を務める森川順平。彼は築地で仲卸を仕事にする桶増の次男に生まれ、料理人を志して《万石》の門をくぐった。
3・11の津波は、小学校6年生だった滝沢由佳の町にも押し寄せた。高台の学校で難を逃れた由佳だが、3歳年下で、早い時間に下校していた弟と、祖父母が自宅にいて、津波にのみ込まれた。由佳は父母の頑張りで東京の大学に進み、バイトをこなしつつ就職活動の年を迎えていた。
二人をつなぐことになるのが、梅森大介。彼は全国に110店舗を展開する外食チェーンのオーナー社長。成功を収めた彼も、人生の終盤を迎えて、事業の新たな展開を必要としていた。
森川は父を通して梅森に結びつき、由佳は森川の店舗の一つでアルバイトをしていた。
生き馬の目を抜くような世界で事業を成功させていくためには、甘いことは言っていられない。だけど、義理人情を抜きにして、世の中を語っても意味がない。
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