虎秀川周辺『秩父の地名の謎 99を解く』 髙田哲郎
先日、埼玉県飯能市の東吾野駅近くのパーキングに車を置いて、周囲の山々を歩いてきた。
まずは、東吾野駅から虎秀川を遡るように歩いて行く。虎秀川はここで高麗川に合流することから、落合という地名がある。虎秀川の両岸はすぐに山が迫っており、川沿いに、ずいぶん上流まで点々と集落がついている。集落の名前を落合から追っていくと、中居、虎秀、新田、間野と続き、しばらく途切れてその上に、阿寺という地名が見える。
この日は、中居から川の右岸を登り、虎秀山山頂に上がり、尾根伝いに阿寺に向かった。これがまた良い道で、なにより人がいない。人はいないけど、熊はいるようで、未消化の柿の種(煎餅ではない柿の種)が混ざった黒いウンコが登山道に転がっていた。
樹林に囲まれた低山ではあるけれど、植林や伐採の都合で、ときどき景色が広がるところがある。もとから山の中のことだから、景色が広がるとこれがすごい。良い場所なんだ。
ここは関東平野の終わるところだから、山を見るなら西側がいい。このルートでは西から南にかけての景色が広がるところがあり、秩父の山から埼玉と東京の境をなす長沢背稜はじめ奥武蔵の山々。南に目を向けていくと奥多摩の山と、その向こうに富士山が頭をのぞかせている。
関東平野から立ち上がる最初の壁は、南は日高市の日和田山に始まり、北は寄居町の釜伏山まで続いていく。ずっと、奥武蔵グリーンラインという舗装された道が走る。山襞はいくつもの谷や入に隔てられ、主立った谷や入には川沿いに集落が作られた。山はまさに生活の場だった。
そういった谷あいを谷津という。先日読んだ、『龍神の子どもたち』という小説は、とても面白い物語だった。都会からさほど遠くない龍神伝説を持つ山里が、ニュータウンとして開発されていく中での話だった。
ニュータウンに立つ都会的な住居に住む子どもたちと、谷津流という山里の旧住民の子どもたちが、同じ中学校に通う中で起こるさまざまな出来事を通し、地域の抱える問題に直面していく話。
ニュータウンに住む人たちと、谷津流に住む人たちが、まさに典型的な形で描かれる。谷津流地区はくみ取り式のボットン便所で、ニュータウンは水洗トイレ、もちろん腰掛け式。谷津流の子どもたちが、そのトイレの使い方が分からずに恥をかいたりする。ニュータウンの子どもたちは優越感を隠そうともせず、谷津流の子どもたちは劣等感に苛まれ、粗暴な行動に出る者もいる。それをニュータウンの親たちは、野蛮と非難がましく言い立てる。
学校でも対立することばかりの子どもたちだが、ある時、ニュータウンの子どもたちと谷津流の子どもたちが、一緒になって、地域が抱える本質的な問題に立ち向かうことになる。



この谷津流という地域も、古くから水害、土砂災害と戦い続けてきた地域だった。そして先日、虎秀川にそった地域を歩いているとき、地域の掲示板に、《虎秀谷津》という文字を見た。おそらく、落合、中居、虎秀、新田、間野と続き、阿寺に至る谷筋を、《虎秀谷津》と呼ぶのだろうと思われた。
虎秀谷津の話ではないが、以前読んだ『埼玉の川を歩く』という本に、虎秀川より8キロほど北を、同じ尾根筋から流れ落ちる北川という川の話が載っていた。北川は、檥峠付近から流れ出し、西吾野駅近くで高麗川に合流する。その途中に全昌寺という寺がある。この境内のお地蔵さまは、昭和43年の大洪水で行方不明になった。この時、一人の子どもも流されたが、木の枝に引っかかり無事だった。、その後、夜になると、子どもが救出された川の付近から泣き声が聞こえるようになる。川底を掘ってみると、行方不明だったお地蔵さまが出てきた。
お地蔵さまは、子どもの身代わりになって、川に沈んでくれたと考えられるようになり、それ以後、「夜泣き地蔵」と呼ばれるようになったという。
虎秀川沿いの水害・土砂災害を現わす話というわけではないのだが、北川沿いの風景と、虎秀川沿いの風景は、本当にうり二つなのだ。
下流から地名を確認していくと、落合は川の合流部であることを意味し、合流により水量が増えることを意識させる。
中居は、ナカイと読むが、ヌクイからの転化の可能性がある。ヌクは“貫く”の意で、土砂崩れや山崩れがあった場所を現わす。
虎秀を飛んで、新田は新田開発を思わせるが、この山の中には田んぼはない。アラキダと読んで新しく開墾された畑を現わす場合もあるが、ニタはヌタと同じで、湿地や沢を現わす。
間野はマノと読むが、ママ、マメからの転化の可能性がある。ママは崩れたところや崖を現わす古語。
一番上部に位置する阿寺はアジと読む。アズからの転化の可能性があり、アズは谷川に沿った険しい崖か、土砂崩れのあった場所を現わす。実際、《阿寺の岩場》という、クライマーが訪れる岩場がある。
どこもかしこも、地形との戦いの場だった。
さて、飛ばしておいた虎秀だが、これが分からない。著者の、髙田さんの意見を聞いてみたい。
まずは、東吾野駅から虎秀川を遡るように歩いて行く。虎秀川はここで高麗川に合流することから、落合という地名がある。虎秀川の両岸はすぐに山が迫っており、川沿いに、ずいぶん上流まで点々と集落がついている。集落の名前を落合から追っていくと、中居、虎秀、新田、間野と続き、しばらく途切れてその上に、阿寺という地名が見える。
この日は、中居から川の右岸を登り、虎秀山山頂に上がり、尾根伝いに阿寺に向かった。これがまた良い道で、なにより人がいない。人はいないけど、熊はいるようで、未消化の柿の種(煎餅ではない柿の種)が混ざった黒いウンコが登山道に転がっていた。
樹林に囲まれた低山ではあるけれど、植林や伐採の都合で、ときどき景色が広がるところがある。もとから山の中のことだから、景色が広がるとこれがすごい。良い場所なんだ。
ここは関東平野の終わるところだから、山を見るなら西側がいい。このルートでは西から南にかけての景色が広がるところがあり、秩父の山から埼玉と東京の境をなす長沢背稜はじめ奥武蔵の山々。南に目を向けていくと奥多摩の山と、その向こうに富士山が頭をのぞかせている。
関東平野から立ち上がる最初の壁は、南は日高市の日和田山に始まり、北は寄居町の釜伏山まで続いていく。ずっと、奥武蔵グリーンラインという舗装された道が走る。山襞はいくつもの谷や入に隔てられ、主立った谷や入には川沿いに集落が作られた。山はまさに生活の場だった。
そういった谷あいを谷津という。先日読んだ、『龍神の子どもたち』という小説は、とても面白い物語だった。都会からさほど遠くない龍神伝説を持つ山里が、ニュータウンとして開発されていく中での話だった。
ニュータウンに立つ都会的な住居に住む子どもたちと、谷津流という山里の旧住民の子どもたちが、同じ中学校に通う中で起こるさまざまな出来事を通し、地域の抱える問題に直面していく話。
ニュータウンに住む人たちと、谷津流に住む人たちが、まさに典型的な形で描かれる。谷津流地区はくみ取り式のボットン便所で、ニュータウンは水洗トイレ、もちろん腰掛け式。谷津流の子どもたちが、そのトイレの使い方が分からずに恥をかいたりする。ニュータウンの子どもたちは優越感を隠そうともせず、谷津流の子どもたちは劣等感に苛まれ、粗暴な行動に出る者もいる。それをニュータウンの親たちは、野蛮と非難がましく言い立てる。
学校でも対立することばかりの子どもたちだが、ある時、ニュータウンの子どもたちと谷津流の子どもたちが、一緒になって、地域が抱える本質的な問題に立ち向かうことになる。
『秩父の地名の謎 99を解く』 髙田哲郎 埼玉新聞社 ¥ 1,210 秩父の地名は、一つ一つに秩父ならではの生活や文化、歴史が深く刻まれている |
この谷津流という地域も、古くから水害、土砂災害と戦い続けてきた地域だった。そして先日、虎秀川にそった地域を歩いているとき、地域の掲示板に、《虎秀谷津》という文字を見た。おそらく、落合、中居、虎秀、新田、間野と続き、阿寺に至る谷筋を、《虎秀谷津》と呼ぶのだろうと思われた。
虎秀谷津の話ではないが、以前読んだ『埼玉の川を歩く』という本に、虎秀川より8キロほど北を、同じ尾根筋から流れ落ちる北川という川の話が載っていた。北川は、檥峠付近から流れ出し、西吾野駅近くで高麗川に合流する。その途中に全昌寺という寺がある。この境内のお地蔵さまは、昭和43年の大洪水で行方不明になった。この時、一人の子どもも流されたが、木の枝に引っかかり無事だった。、その後、夜になると、子どもが救出された川の付近から泣き声が聞こえるようになる。川底を掘ってみると、行方不明だったお地蔵さまが出てきた。
お地蔵さまは、子どもの身代わりになって、川に沈んでくれたと考えられるようになり、それ以後、「夜泣き地蔵」と呼ばれるようになったという。
虎秀川沿いの水害・土砂災害を現わす話というわけではないのだが、北川沿いの風景と、虎秀川沿いの風景は、本当にうり二つなのだ。
下流から地名を確認していくと、落合は川の合流部であることを意味し、合流により水量が増えることを意識させる。
中居は、ナカイと読むが、ヌクイからの転化の可能性がある。ヌクは“貫く”の意で、土砂崩れや山崩れがあった場所を現わす。
虎秀を飛んで、新田は新田開発を思わせるが、この山の中には田んぼはない。アラキダと読んで新しく開墾された畑を現わす場合もあるが、ニタはヌタと同じで、湿地や沢を現わす。
間野はマノと読むが、ママ、マメからの転化の可能性がある。ママは崩れたところや崖を現わす古語。
一番上部に位置する阿寺はアジと読む。アズからの転化の可能性があり、アズは谷川に沿った険しい崖か、土砂崩れのあった場所を現わす。実際、《阿寺の岩場》という、クライマーが訪れる岩場がある。
どこもかしこも、地形との戦いの場だった。
さて、飛ばしておいた虎秀だが、これが分からない。著者の、髙田さんの意見を聞いてみたい。
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