『地政学世界地図』 バティスト・コルナバス
社会科の教員をしていた頃、教科書会社の人が、よく学校を廻ってきた。
うちの会社の教科書を使ってくれってね。新しい教科書を持って、アピールポイントを説明して、売り込みして学校を廻るのが、その人たちの仕事だ。私の専門は世界史だったんだけど、戦後日本の歴史教科書は、東京裁判を前提に書かれているからね。「そうじゃない教科書ができたら、採用するよ」って言うと、「また、また~」ってね。
お茶入れてあげて、仕事で色々と大変な話を聞いてあげるんだ。中には、そのために、わざわざ私の空き時間を調べてくる人もいた。お茶菓子を持ってきちゃうんだよ。「賄賂?」ってね。話を聞くと、嫌な思いをすることもあるらしい。上司からだったり、学校の教員からだったりね。
会社が出している面白い資料なんかあると、持ってきてくれたな。特に、地図帳を出している会社の人が持ってきてくれた白地図帳は、実際に授業でずいぶん使わせてもらった。
マッカーサー地図って言うやつ。ごく当たり前のメルカトル図法の地図なんだけど。南極が上で、北極が下になってる地図ね。若い時に、神田の古本屋街を歩いていて、たまたま手に入れたんだ。
私が勤務した4つの高校は、学力の面で、いずれも県内で真ん中よりも下の学校だった。そういう学校だと、専門が世界史だからといって、結局はどんな科目でもやることになる。「どんな科目でも」っていうのは、世界史の他、日本史でも、地理でも、現代社会でも、倫理でも、政経でもね。
どんな科目をやることになっても、1年の授業の最初には、その地図を見せて、「何を見ようとするかによって、使う地図が変わる」ってこと、「地図が変わると、世界の見え方が変わる」ってことを話した。
この本の序文を書いたバンジャマン・ブリヨーさんは、「地図は権力の道具だ」という。自分の国が世界の中心にあるならば、自分の国はきっと世界の注目の的であり、政治と経済の中心であるに違いないと、心地よい幻想に浸ることができる。フランス人にとって、ヨーロッパを世界の中心に置くことは、精神的な安定につながるのだという。
しかし、残念ながら、地球の中心は、地球の地表にはない。心地よい幻想に浸るのはかまわないが、どのような地図をとってみても、地球の一定の地点は歪んで表わされることになる。
また、そこに暮らしている人たちの生活を知れば、地図をのぞくことがもっと面白くなる。ところが、日本のようなわずかな例外を除いて、世界はあまりにも複雑な歴史を繰り返してきた。その地域に、なぜ現在のような生活が存在するのか。実は、これはきわめて難しく、かつ重大な問題なわけだ。



著者のバティスト・コルナバスさんは、30代前半のフランス人だそうだ。中学校で歴史と地理を教えるかたわら、YouTubeで現在の世界で起きているさまざまな問題の歴史的、地政学的背景を発信するようになったもののようだ。んん、たとえば中東、紛争が絶えないパレスティナ、ロシアによるクリミア併合、緊張をはらむ朝鮮半島って、そんな感じ。
まあ、目次に呈示されているようなテーマも、もともとはYouTubeで取り上げたテーマで、それをふくらませたのが本書だという。
《アルザスはフランスなのか、ドイツなのか》は、ずいぶん深く掘り下げられている。第二次世界大戦、第一次世界大戦、普仏戦争、30年戦争。このあたりまでは、なんとなく分かるんだけど、メルセン条約まで行くのか。そうか、メルセン条約で、アルザスは東フランクの領有になるのか。ドイツのもとだな。
ところが、もっとさかのぼる。クローヴィス?・・・メロヴィング朝の創始者じゃないか。そこまで行くのか。クローヴィスがアルザスを奪取してフランク王国に編入した。そうだ。じゃあ、もとはローマ帝国に支配されたはずだ。ということは、ユリウス・カエサルがスエヴィ族からアルザスを奪ったんだ。スエヴィ族は、ゲルマンとも、ケルトとも言われているらしいけど、まあ、これがアルザスの初出だという。
アルザスはあっちに行ったり、こっちに行ったりするだけの、価値のある場所だったと言うことか。屈しなければならないときは身をかがめるが、決して完全に屈服することはない。そういう気性なんだそうだ。つまり、ドイツ人でも、フランス人でもない、アルザス人だと言うことだな。
著者のバティスト・コルナバスさんは、10年を超えてアルザスに住み、アルザス人になりきってしまった、非アルザス人なんだという。
一つ一つの地域を深く掘り下げて、なぜ、この地域で、こんな問題が発生しているのかを追求していくっていうのは、とても困難で、とても大切なこと。
おもしろい本なんだけど、アジアに関する理解が薄い。
「日本の支配下の朝鮮では日本語のみが使用を許され」、「日本にとって朝鮮は資源と農産物の供給源」、「朝鮮の農業生産の40パーセントは日本向けのものだったが、朝鮮では栄養失調が蔓延していた」、「日本に動員・徴用された者も多く、日本の工場や炭鉱で厳しい条件で働かされる場合もあった」
フランスにとっての植民地とは違うんだけどな。
まあ、それは、ヨーロッパを世界地図の中心に置くことは、精神的な安定につながるというフランス人。日本は、その世界地図の右の端に、おまけのように描かれている国。その世界地図を広げた壁の都合によっては、後ろ側に織り込まれてしまって、世界から消えることもあるかも知れない。
フランス人にとっての日本は、あくまでも、その地図に書かれている通りの日本なんだろう。
著者のバティスト・コルナバスさんの、とても困難で、とても大切な取り組みにとって、世界の近代史を見つめ直すことが、とても重要なのではないかと、極東の私は思うわけだ。
うちの会社の教科書を使ってくれってね。新しい教科書を持って、アピールポイントを説明して、売り込みして学校を廻るのが、その人たちの仕事だ。私の専門は世界史だったんだけど、戦後日本の歴史教科書は、東京裁判を前提に書かれているからね。「そうじゃない教科書ができたら、採用するよ」って言うと、「また、また~」ってね。
お茶入れてあげて、仕事で色々と大変な話を聞いてあげるんだ。中には、そのために、わざわざ私の空き時間を調べてくる人もいた。お茶菓子を持ってきちゃうんだよ。「賄賂?」ってね。話を聞くと、嫌な思いをすることもあるらしい。上司からだったり、学校の教員からだったりね。
会社が出している面白い資料なんかあると、持ってきてくれたな。特に、地図帳を出している会社の人が持ってきてくれた白地図帳は、実際に授業でずいぶん使わせてもらった。
マッカーサー地図って言うやつ。ごく当たり前のメルカトル図法の地図なんだけど。南極が上で、北極が下になってる地図ね。若い時に、神田の古本屋街を歩いていて、たまたま手に入れたんだ。
私が勤務した4つの高校は、学力の面で、いずれも県内で真ん中よりも下の学校だった。そういう学校だと、専門が世界史だからといって、結局はどんな科目でもやることになる。「どんな科目でも」っていうのは、世界史の他、日本史でも、地理でも、現代社会でも、倫理でも、政経でもね。
どんな科目をやることになっても、1年の授業の最初には、その地図を見せて、「何を見ようとするかによって、使う地図が変わる」ってこと、「地図が変わると、世界の見え方が変わる」ってことを話した。
この本の序文を書いたバンジャマン・ブリヨーさんは、「地図は権力の道具だ」という。自分の国が世界の中心にあるならば、自分の国はきっと世界の注目の的であり、政治と経済の中心であるに違いないと、心地よい幻想に浸ることができる。フランス人にとって、ヨーロッパを世界の中心に置くことは、精神的な安定につながるのだという。
しかし、残念ながら、地球の中心は、地球の地表にはない。心地よい幻想に浸るのはかまわないが、どのような地図をとってみても、地球の一定の地点は歪んで表わされることになる。
また、そこに暮らしている人たちの生活を知れば、地図をのぞくことがもっと面白くなる。ところが、日本のようなわずかな例外を除いて、世界はあまりにも複雑な歴史を繰り返してきた。その地域に、なぜ現在のような生活が存在するのか。実は、これはきわめて難しく、かつ重大な問題なわけだ。
『地政学世界地図』 バティスト・コルナバス 東京書籍 ¥ 2,420 今、世界で起きている33の国際問題を、仏人歴史教師が平易に読み解く |
著者のバティスト・コルナバスさんは、30代前半のフランス人だそうだ。中学校で歴史と地理を教えるかたわら、YouTubeで現在の世界で起きているさまざまな問題の歴史的、地政学的背景を発信するようになったもののようだ。んん、たとえば中東、紛争が絶えないパレスティナ、ロシアによるクリミア併合、緊張をはらむ朝鮮半島って、そんな感じ。
まあ、目次に呈示されているようなテーマも、もともとはYouTubeで取り上げたテーマで、それをふくらませたのが本書だという。
《アルザスはフランスなのか、ドイツなのか》は、ずいぶん深く掘り下げられている。第二次世界大戦、第一次世界大戦、普仏戦争、30年戦争。このあたりまでは、なんとなく分かるんだけど、メルセン条約まで行くのか。そうか、メルセン条約で、アルザスは東フランクの領有になるのか。ドイツのもとだな。
ところが、もっとさかのぼる。クローヴィス?・・・メロヴィング朝の創始者じゃないか。そこまで行くのか。クローヴィスがアルザスを奪取してフランク王国に編入した。そうだ。じゃあ、もとはローマ帝国に支配されたはずだ。ということは、ユリウス・カエサルがスエヴィ族からアルザスを奪ったんだ。スエヴィ族は、ゲルマンとも、ケルトとも言われているらしいけど、まあ、これがアルザスの初出だという。
アルザスはあっちに行ったり、こっちに行ったりするだけの、価値のある場所だったと言うことか。屈しなければならないときは身をかがめるが、決して完全に屈服することはない。そういう気性なんだそうだ。つまり、ドイツ人でも、フランス人でもない、アルザス人だと言うことだな。
著者のバティスト・コルナバスさんは、10年を超えてアルザスに住み、アルザス人になりきってしまった、非アルザス人なんだという。
一つ一つの地域を深く掘り下げて、なぜ、この地域で、こんな問題が発生しているのかを追求していくっていうのは、とても困難で、とても大切なこと。
おもしろい本なんだけど、アジアに関する理解が薄い。
「日本の支配下の朝鮮では日本語のみが使用を許され」、「日本にとって朝鮮は資源と農産物の供給源」、「朝鮮の農業生産の40パーセントは日本向けのものだったが、朝鮮では栄養失調が蔓延していた」、「日本に動員・徴用された者も多く、日本の工場や炭鉱で厳しい条件で働かされる場合もあった」
フランスにとっての植民地とは違うんだけどな。
まあ、それは、ヨーロッパを世界地図の中心に置くことは、精神的な安定につながるというフランス人。日本は、その世界地図の右の端に、おまけのように描かれている国。その世界地図を広げた壁の都合によっては、後ろ側に織り込まれてしまって、世界から消えることもあるかも知れない。
フランス人にとっての日本は、あくまでも、その地図に書かれている通りの日本なんだろう。
著者のバティスト・コルナバスさんの、とても困難で、とても大切な取り組みにとって、世界の近代史を見つめ直すことが、とても重要なのではないかと、極東の私は思うわけだ。
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