『山とあめ玉と絵具箱』 川原真由美
そうか、山で絵を描くというのも、ひとつだな。
山の楽しみ方には色々ある。《山をたのしむひと》という項目で、著者が書いている。
百名山を目指して山に登る人。名もないひっそりとした山に登る人。ただ山道を歩く人。同じ山を何百回と登る人。ひたすら高い山を目ざす人。登山ルートをすべて制覇しようと試みる人。高山植物をたのしむ人。花の名所を巡る人。バードウォッチングをたのしむ人。キャンプを目的とする人。山小屋を満喫する人。
「山の楽しみは、行くほどに増えていく。この先、定まっていくのか。それとももっと広がるのか、もしかしたら山には登らずに、麓から眺めるようになるかも知れない。山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」
そう書いている。
私は、・・・どうだろう。山にはじめて登ったのは、・・・山頂をめざしたのは武甲山だけど、それ以前に、遊び場が山だった。自分では記憶にないのだが、幼稚園から帰った後、一人で山、そのまま登山道を詰めれば武甲山山頂に至るのだが、その山に入り、帰れなくなったことがあるそうだ。地域の人に、山狩りされて助けられてしまったらしい。
そんなわけで、“山のいる”ということが、なにより好きなのかも知れない。高校で山岳部に入り、あちこちふらつくようになるわけだけど、記憶に残る多くのことは、極めた山頂よりも、そこに至る行程が多い。あの頃は、友達と山を歩けることが嬉しくて仕方がなかった。いつの頃からか、どうも性格が歪んでしまったようで、人と一緒に歩くことが苦手になってしまったが。
そうだな。それから人がたくさんいる山は、ちょっと避けてるな。土日は出かけないようにしているしね。もちろん、気持ちが広がるような、雄大な景色には出逢いたい。そのためには、高い山に登りたい。深い山を彷徨いたい。
それでも、いろいろなものをそぎ落として、最後に残るのは何かなって考えると、残るのは“山にいる”ってことのような気がする。



あめ玉と小ぶりの手帳とペンを、いつもポシェットに入れて持って行くんだという。あめ玉は疲れを癒やす糖分として、手帳とペンは、道中であったことや天気、歩いた時間やルートをメモするんだという。
山岳部出身の者なら、誰もがそういう登山を知っている。最近は、便利なものがあるからね。だけどこの間、久し振りにタイムを記録している人を見たな。
何泊かするときは、スケッチブックと色鉛筆、絵具箱がプラスされるんだそうだ。この本には川原真由美さんが描いた絵がたくさん紹介されている。
いいなぁ、山で絵を描くって。
高山植物を描いたものもある。ハクサンフウロ、ニッコオウキスゲ、キンガサソウ、クロユリは荒川だけのカール、ミヤマキンポウゲは千枚小屋と、それを見た場所も描かれている。
うらやましいな。だけど、私は絵が下手だから無理だな。
この本は、山のエッセイ集。山に登るようになったのは40を過ぎてからで、どんどん山に惹かれていったようだ。テントをかついで行くこともあれば、山小屋を利用することもある。ソロもあれば、仲間と一緒のこともある。形にとらわれず、思うがままに山をたのしんでいる感じだな。
私がいつも持っていくものって、なんかあるかな。・・・せいぜいカメラくらいのものか。
今年から泊登山を始めようと思ってた。感染症の流行で、だいぶ気持ちがしぼんじゃったけど。それでも何度か出かけたけど、そんなとき、ついつい酒を飲んでしまう。
三ツドッケにいったときは、避難小屋の前に宴会場を設定して、日が暮れるまで、そこで呑んだ。ときどき、鹿が現れる。何してるんだって顔でこっちを見て、やがて平然と去って行く。寄っていってくれればいいのにね。あれは楽しかった。
あれは、感染症が下火になって、久し振りに電車とバスを使って、日原に入ったんだ。今また、感染症の流行がひどくなって、遠出する気になれない。
やむを得ず、行き慣れた地元、奥武蔵の低山に出かける。「なんかワクワクしないな~」なんて思いつつ、無理やり出かけることもある。それでも山を歩いているうちに、なんだかいい気分になってくるんだから、不思議なもんだ。
著者が、「山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」って言ってるのと同じかな。
山の楽しみ方には色々ある。《山をたのしむひと》という項目で、著者が書いている。
百名山を目指して山に登る人。名もないひっそりとした山に登る人。ただ山道を歩く人。同じ山を何百回と登る人。ひたすら高い山を目ざす人。登山ルートをすべて制覇しようと試みる人。高山植物をたのしむ人。花の名所を巡る人。バードウォッチングをたのしむ人。キャンプを目的とする人。山小屋を満喫する人。
「山の楽しみは、行くほどに増えていく。この先、定まっていくのか。それとももっと広がるのか、もしかしたら山には登らずに、麓から眺めるようになるかも知れない。山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」
そう書いている。
私は、・・・どうだろう。山にはじめて登ったのは、・・・山頂をめざしたのは武甲山だけど、それ以前に、遊び場が山だった。自分では記憶にないのだが、幼稚園から帰った後、一人で山、そのまま登山道を詰めれば武甲山山頂に至るのだが、その山に入り、帰れなくなったことがあるそうだ。地域の人に、山狩りされて助けられてしまったらしい。
そんなわけで、“山のいる”ということが、なにより好きなのかも知れない。高校で山岳部に入り、あちこちふらつくようになるわけだけど、記憶に残る多くのことは、極めた山頂よりも、そこに至る行程が多い。あの頃は、友達と山を歩けることが嬉しくて仕方がなかった。いつの頃からか、どうも性格が歪んでしまったようで、人と一緒に歩くことが苦手になってしまったが。
そうだな。それから人がたくさんいる山は、ちょっと避けてるな。土日は出かけないようにしているしね。もちろん、気持ちが広がるような、雄大な景色には出逢いたい。そのためには、高い山に登りたい。深い山を彷徨いたい。
それでも、いろいろなものをそぎ落として、最後に残るのは何かなって考えると、残るのは“山にいる”ってことのような気がする。
『山とあめ玉と絵具箱』 川原真由美 リトル・モア ¥ 1,980 あの色、あの匂い、あの音。山を歩くのは、なんてたのしいのだろう。 |
あめ玉と小ぶりの手帳とペンを、いつもポシェットに入れて持って行くんだという。あめ玉は疲れを癒やす糖分として、手帳とペンは、道中であったことや天気、歩いた時間やルートをメモするんだという。
山岳部出身の者なら、誰もがそういう登山を知っている。最近は、便利なものがあるからね。だけどこの間、久し振りにタイムを記録している人を見たな。
何泊かするときは、スケッチブックと色鉛筆、絵具箱がプラスされるんだそうだ。この本には川原真由美さんが描いた絵がたくさん紹介されている。
いいなぁ、山で絵を描くって。
高山植物を描いたものもある。ハクサンフウロ、ニッコオウキスゲ、キンガサソウ、クロユリは荒川だけのカール、ミヤマキンポウゲは千枚小屋と、それを見た場所も描かれている。
うらやましいな。だけど、私は絵が下手だから無理だな。
この本は、山のエッセイ集。山に登るようになったのは40を過ぎてからで、どんどん山に惹かれていったようだ。テントをかついで行くこともあれば、山小屋を利用することもある。ソロもあれば、仲間と一緒のこともある。形にとらわれず、思うがままに山をたのしんでいる感じだな。
私がいつも持っていくものって、なんかあるかな。・・・せいぜいカメラくらいのものか。
今年から泊登山を始めようと思ってた。感染症の流行で、だいぶ気持ちがしぼんじゃったけど。それでも何度か出かけたけど、そんなとき、ついつい酒を飲んでしまう。
三ツドッケにいったときは、避難小屋の前に宴会場を設定して、日が暮れるまで、そこで呑んだ。ときどき、鹿が現れる。何してるんだって顔でこっちを見て、やがて平然と去って行く。寄っていってくれればいいのにね。あれは楽しかった。
あれは、感染症が下火になって、久し振りに電車とバスを使って、日原に入ったんだ。今また、感染症の流行がひどくなって、遠出する気になれない。
やむを得ず、行き慣れた地元、奥武蔵の低山に出かける。「なんかワクワクしないな~」なんて思いつつ、無理やり出かけることもある。それでも山を歩いているうちに、なんだかいい気分になってくるんだから、不思議なもんだ。
著者が、「山の匂いを吸い込んだときに体中に広がるもの、それが今の楽しみだ」って言ってるのと同じかな。
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