『いつもの明日』 熊谷達也
『邂逅の森』と『荒蝦夷』を読んで以来、ずいぶん長いこと熊谷達也さんの本を読んでなかったんだな。
自分に合わなかったとか、嫌いだとか、そういうことではまったくない。むしろ、どちらもすごく興奮しながら読んだ記憶がある。理由を探すのは、時間の無駄でしかない。何事にせよ、“たまたま”だ。
平成28年から、毎週火曜日、河北新報の夕刊に、177回にわたって書いてきたエッセーから厳選して、一冊の本にしたものだそうだ。
この方は仙台に住んでおられる。書いている新聞が仙台の河北新報。さらには、連載が始まったのが平成28年という、東日本大震災からの復興途上にあった年であることから考えても分かる。『いつもの明日』という題名は、もう、“明日が来ない”たくさんの人たち、残されたご家族はじめ、周辺の人たちに寄り添ってつけたもののようだ。
しかも、この本が日の目を見たのが、昨年2020年10月、まもなく、あの日から10年目を迎えるというタイミングで出された本でもある。その前に読んでおく意義は、決して小さくはない。
毎週火曜日、下の目次にあるような、さまざまなテーマで、本にしてみれば、見開きの2ページくらいの分量で書かれている。新聞掲載時には、同じテーマが続いたとしても週に1回、途中に違うテーマが入れば、またそのテーマに戻るのが2週間目かもしれないし、1ヶ月以上、間が空くこともあり得るだろう。
しかし、それを本にして、同じテーマごとにまとめれば、・・・なにをごちゃごちゃ言っているのかって、思うでしょ。そりゃ仕方がない。こういうことだ。
第1章に、《震災と復興》というテーマのエッセイがまとめられている。週に1回、このテーマについて考える、あるいは2週に1回、3週に1回、震災のことを考える貴重な時間を得ることができるだろう。だけど、第1章には、それが15本まとめられている。
天邪鬼なもんだから、《第3章 歴史の中の東北》を読んでから、第1章に取りかかったが、こう言うと語弊があるかもしれないが、5本ほど読んだところで息苦しさを感じ、1度本を閉じた。
10年間、ずっと直視せざるを得ない人たちもいることを思えば申し訳ない。だけど、その続きは他のページに立ち寄ってからまた開くという、私はそういう立場で被災地のことを考えていくことになるだろう。


だけど、震災の話題は、第1章だけじゃなくて、他の話題の中でも取り上げられている。
《第3章 歴史の中の東北》を先に読んだとさっき書いたけど、ここでは主に、明治維新が取り上げられている。ということになれば、当然、奥羽越列藩同盟の話となり、東北戦争の話となる。
そうなりゃもう、官軍と朝敵だ。「白河以北一山百文」などという言葉も発せられた。
そうそう、今村雅弘復興大臣が、「これは、まだ東北で、あっちの方だったから良かった」って言っちゃった話が書かれていた。東大法学部卒業ってくらいだから、頭が悪いんじゃないんだ。あくまでも、“人間”がそうできているってことで、“一山百文”だと思ってるから、つい、「あっちで良かった」って口をついちゃったんだ。
ちなみにこの人、佐賀県だから、肥前、官軍の側だな。はーん、・・・だからだな。
趣味というわけではない。ものの見方というか、関心の傾向と言えばいいかな。著者は、〈CO2の排出による地球温暖化〉という、国も、マスコミも、常識のように温暖化対策を国民に求めるやり方に、なんだか釈然としないものを感じているようだ。
私もそう。こと、環境問題に関して偉そうなことを言う人を、私は信じない。
天気予報をやたらとチェックするというのも、私も同様。そして、「それにしても近年の天候は・・・」と言いながら、また温暖化の話を始める。
「これはやっぱりCO2の温室効果がもたらす地球温暖化が原因に違いない。誰しもそう思うのが普通だろう。だが、・・・」となれば、もう疑っているとしか思えない。強い味方を得た思いだ。
あれはもはや、政治であり、経済の話だから、誰も本当のことなんか語らない。だらしないのは、気象予報士だな。
熊谷さんは1958年生まれ。私の2年先輩だ。ほぼ、同じ時代を生きてきた。コロナ流行後、マスクが街から姿を消したのを見て、オイルショックのことを思い出すなんてところも、まったく同じ。
「もの心ついた頃にはテレビがあり、前回の東京オリンピックと歩調を合わせて高度経済成長が始まり、やがてモータリゼーションの波がやってきて、明日は今日よりも豊かになるという、実はたいした根拠もない神話を疑うことなく信じていた。今の若者から見たら、羨ましいを通り越して、まったくもって能天気なまま大人になって社会に出た。どうしようもなくお気楽な人々の集団が、私の世代だと言って間違いなさそうだ」
まったくもって、その通り。後のことは、一生懸命生きる道を模索している若い人たちに任せた方がいい。ただし、私は熊谷さんと違って、「未来が不透明な時代に生きる若者たちに、ごめんなさいと」謝るつもりはさらさらない。
《第3章 歴史の中の東北》で、明治維新について勉強して、『我は景祐』という話を書いたという。とりあえず、これを読んでみよう。
自分に合わなかったとか、嫌いだとか、そういうことではまったくない。むしろ、どちらもすごく興奮しながら読んだ記憶がある。理由を探すのは、時間の無駄でしかない。何事にせよ、“たまたま”だ。
平成28年から、毎週火曜日、河北新報の夕刊に、177回にわたって書いてきたエッセーから厳選して、一冊の本にしたものだそうだ。
この方は仙台に住んでおられる。書いている新聞が仙台の河北新報。さらには、連載が始まったのが平成28年という、東日本大震災からの復興途上にあった年であることから考えても分かる。『いつもの明日』という題名は、もう、“明日が来ない”たくさんの人たち、残されたご家族はじめ、周辺の人たちに寄り添ってつけたもののようだ。
しかも、この本が日の目を見たのが、昨年2020年10月、まもなく、あの日から10年目を迎えるというタイミングで出された本でもある。その前に読んでおく意義は、決して小さくはない。
毎週火曜日、下の目次にあるような、さまざまなテーマで、本にしてみれば、見開きの2ページくらいの分量で書かれている。新聞掲載時には、同じテーマが続いたとしても週に1回、途中に違うテーマが入れば、またそのテーマに戻るのが2週間目かもしれないし、1ヶ月以上、間が空くこともあり得るだろう。
しかし、それを本にして、同じテーマごとにまとめれば、・・・なにをごちゃごちゃ言っているのかって、思うでしょ。そりゃ仕方がない。こういうことだ。
第1章に、《震災と復興》というテーマのエッセイがまとめられている。週に1回、このテーマについて考える、あるいは2週に1回、3週に1回、震災のことを考える貴重な時間を得ることができるだろう。だけど、第1章には、それが15本まとめられている。
天邪鬼なもんだから、《第3章 歴史の中の東北》を読んでから、第1章に取りかかったが、こう言うと語弊があるかもしれないが、5本ほど読んだところで息苦しさを感じ、1度本を閉じた。
10年間、ずっと直視せざるを得ない人たちもいることを思えば申し訳ない。だけど、その続きは他のページに立ち寄ってからまた開くという、私はそういう立場で被災地のことを考えていくことになるだろう。
『いつもの明日』 熊谷達也 河北新報出版センター ¥ 1,760 直木賞作家がつづるエッセー集。今日と同じように、また明日がやってくる幸せ |
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だけど、震災の話題は、第1章だけじゃなくて、他の話題の中でも取り上げられている。
《第3章 歴史の中の東北》を先に読んだとさっき書いたけど、ここでは主に、明治維新が取り上げられている。ということになれば、当然、奥羽越列藩同盟の話となり、東北戦争の話となる。
そうなりゃもう、官軍と朝敵だ。「白河以北一山百文」などという言葉も発せられた。
そうそう、今村雅弘復興大臣が、「これは、まだ東北で、あっちの方だったから良かった」って言っちゃった話が書かれていた。東大法学部卒業ってくらいだから、頭が悪いんじゃないんだ。あくまでも、“人間”がそうできているってことで、“一山百文”だと思ってるから、つい、「あっちで良かった」って口をついちゃったんだ。
ちなみにこの人、佐賀県だから、肥前、官軍の側だな。はーん、・・・だからだな。
趣味というわけではない。ものの見方というか、関心の傾向と言えばいいかな。著者は、〈CO2の排出による地球温暖化〉という、国も、マスコミも、常識のように温暖化対策を国民に求めるやり方に、なんだか釈然としないものを感じているようだ。
私もそう。こと、環境問題に関して偉そうなことを言う人を、私は信じない。
天気予報をやたらとチェックするというのも、私も同様。そして、「それにしても近年の天候は・・・」と言いながら、また温暖化の話を始める。
「これはやっぱりCO2の温室効果がもたらす地球温暖化が原因に違いない。誰しもそう思うのが普通だろう。だが、・・・」となれば、もう疑っているとしか思えない。強い味方を得た思いだ。
あれはもはや、政治であり、経済の話だから、誰も本当のことなんか語らない。だらしないのは、気象予報士だな。
熊谷さんは1958年生まれ。私の2年先輩だ。ほぼ、同じ時代を生きてきた。コロナ流行後、マスクが街から姿を消したのを見て、オイルショックのことを思い出すなんてところも、まったく同じ。
「もの心ついた頃にはテレビがあり、前回の東京オリンピックと歩調を合わせて高度経済成長が始まり、やがてモータリゼーションの波がやってきて、明日は今日よりも豊かになるという、実はたいした根拠もない神話を疑うことなく信じていた。今の若者から見たら、羨ましいを通り越して、まったくもって能天気なまま大人になって社会に出た。どうしようもなくお気楽な人々の集団が、私の世代だと言って間違いなさそうだ」
まったくもって、その通り。後のことは、一生懸命生きる道を模索している若い人たちに任せた方がいい。ただし、私は熊谷さんと違って、「未来が不透明な時代に生きる若者たちに、ごめんなさいと」謝るつもりはさらさらない。
《第3章 歴史の中の東北》で、明治維新について勉強して、『我は景祐』という話を書いたという。とりあえず、これを読んでみよう。
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