めんどくせぇことばかり 『日本人と山の宗教』 菊地大樹
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『日本人と山の宗教』 菊地大樹

私の生まれた家は、武甲山という山の北側の山麓にある。

駅から離れているが、庭先を登山者が、山に向かうことも憶えている。日曜日の午前中に、山に正対する日当たりのいい縁側で武甲山を見ていると、登っている人が見えた。壁のようにしか見えない斜面を、アリのようにゆっくり登っていく登山者を見つけるのが、なんだか面白かった。武甲山

登山道は山頂の西側で尾根を越えて南側に回り込み、直下にトラバースして最後の急登となる。 何十回も登ったから、今でも時々夢に見る。 大学2年の時に山頂が崩された。 それ以来、一度も登っていない。

薮という小字から武甲山に向かって、滝という小字を過ぎると、河原を渡り、やがて山道になる。 さらに進むと、そこに山の神さまが祀られていた。 子どもの頃、神さまよりも先に行っちゃいけないと言われていた。

じつは一度、山の神の先に行って、帰れなくなって、山狩りをされたことがあるらしい。 自分の記憶にはないんだけど、「お前は、そういう子だから」と、母から何度も言われた。

山の中には、生活もあるし、信仰もあった。 うちは、結局、そういうものの権利を、すべて秩父セメントに譲り渡すことになった。

国土の7割が山っていう国だから、日本人は山と共に生きてきた。 だから、そこに生活があるのも、信仰があるのも、むしろ当然。 なにしろ山は、大きな恵みであった。 薪を拾い、材木を切り出し、炭を焼く。 また、狩猟や、栗や胡桃を拾ったりといった食料の採集の場であった。

ただし、それは、山の神さまのお許しがあるあたりまで。 そこから先は、異界。 そこから先に入るのは、特別な力を持った者たちだった。 なにしろそこは、通常の生活圏とは違う、自然の秩序に支配されている場所だった。 その秩序は、時に人には、生存すらままならないほど過酷なものだった。

しかし、人々が、その先の“山”を意識しなかったわけではない。 火山の噴火、土石流に土砂崩れといった災害は、人々の目を山の高見に向けさせた。 それ故に山は、恵みと共に、畏怖の対象でもあった。

恵みと畏れ、まさに、「山の宗教の発生モデル」と著者は言っている。



講談社現代新書  ¥ 1,100

日本人と山のつきあいの歴史を、新たな視点から辿る、ユニークな山と人との宗教誌
序章
第1章 山の宗教の原像
第2章 山の宗教の変質
第3章 山の宗教と中世王権
第4章 山の宗教の裾野のひろがり
第5章 山の宗教の定着と近代化
終章


古代社会が成長し、人々の生活圏が拡大すると、生活圏と山の領域は近接し、摩擦を頻発させるようになっていく。 やがて仏教が伝わると、恵みと畏怖の対象である山に、彼らは目を向けるようになる。

そして、そこに進んで入っていく者たちが現れる。 時には人の生存すら許されない、自然の秩序の支配する山という領域に自らの身をさらす。 そうすることで、その先にある大きな力に触れることで、自らの精神性を高めようとする者たちだった。

仏教が取り入れられた当時、日本には古来からの八百万の神々による導きがあった。 人々は、古来からの神々の導きに、仏の教えを重ね合わせて、独自の信仰を成立させていった。

それは国の信仰であり、あるいは有力貴族の私物であり、あるいは武人の拠り所であり、庶民の救いであり、さまざまに姿を変えながら人々の心を支配した。

それは、日本の歴史そのものでもある。 その、時代に合わせて形を変えていった信仰のすべてが、里との境界を越えて、山にも持ち込まれた。

この本は、前半の三章までで、“山の宗教”の成立の過程を概念化、あるいは類型化することによって説明している。 当初、私は、この本の内容を、近代までの人々と山の関わりについて述べたものと勘違いしていた。 そこにいきなり、“基層信仰論”だの、“梵網教”に見られる戒律の大乗的特性だの、“化他の時代”だのと抽象的な説明が続く。

正直なところ、あっけにとられた。 気を取り直して食らいつこうと努力したが、ノックダウン寸前まで追い込まれた。 ようやく四章から展開が変わる。 中世における山の宗教の成立期を以て、ここからは事例を追って、山の宗教のリアルな姿が描き出されていく。

ここからは面白い。期待以上だった。そして、私自身の勉強不足を恥じた。

第五章には、具体的な事例として、自分の生活圏の“山の宗教”が取り上げられている。《黒山・山本坊》は埼玉県越生町にある、黒山三滝で有名な場所である。昨年夏の暑い日に、孫1号2号を連れて訪れた。参道の茶店によって、かき氷を食べた。

《大宮大明神社(高麗神社)》もおなじみの神社で、毎年、初詣に出かけて家内安全のお札をいただいている。今年の初詣に関しては、幸先詣でと言うことで、12月のうちにお参りを済ませた。参道の脇からちょっとした山道を登ると、そちらには水天宮が祀られている。息子のところの必要があって、そちらにもお参りをした。

そちらの“山の宗教”に関しては、いつか別に紹介させてもらおうと思う。



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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

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イーグルス16

Author:イーグルス16

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火山の噴火、土石流に土砂崩れといった災害は、人々の目を山の高見に向けさせた。
それ故に山は、恵みと共に、畏怖の対象でもあった。
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こんな本、あんな本


この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本


























































































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