越生の山に山本坊の痕跡を訪ねる
昨日の続きで、今日も越生の山を歩いてきた。
黒山三滝に山本坊を開いた栄円は、違う場所に根拠地を求めたという。なんとそれが、“嶽岩“という場所だったと知って驚いた。
三滝入り口にある熊野神社から、龍ヶ谷の龍穏寺を最短で結ぶ道のちょうど真ん中あたりから、これまた最短で関八州見晴台に向かう道がある。四寸道と呼ばれている。この四寸道を中において、周囲をのたうつように林道がグリーンラインまで上っていく。猿岩林道という。
四寸道は猿岩林道と二度交差する。二度目に交差したところから先、しばらくすると急な登りが始まり、そのピークが岳岩である。熊野ヶ嶽とも呼ばれたという。岳岩のピークを越えても、さらに登りが急になる。嫌というほどの坂を登り切ったところが関八州見晴台で、高山不動奥の院が祀られている。
そこから30分ほど下ったところが高山不動だが、そこからさらに高畑林道の側に下ると、大滝、白滝、不動の滝からなる“不動三滝”がある。
もしも栄円が岳岩に、修験の根拠地を求めようとしたなら、当然、その辺りまで視野に入っていたんじゃないだろうか。
今日は龍穏寺に車を置かせてもらい、龍ヶ谷川沿いの舗装された梅本林道から飯盛峠に向かい、関八州見晴台を経て岳岩を通るルートで周回してみる。最後に龍穏寺をお参りさせてもらって、帰る予定で出かけてみた。
梅本林道は、ずっと龍ヶ谷川に沿って登っていくが、この龍ヶ谷川がいい。夏場は、是非一度歩いてみたい。色々な形の巨石があって、あちこちの沢筋から滝が流れ落ちてくる。それらのいくつもの沢筋の先に、四寸道がある。
(恋人岩と滝不動の滝。色々な巨石があって飽きない道。巨石をもっと撮っておけば良かった)
巨石を楽しみながら進んでいくと、道が塞がれている。遠くからでも、通行止めと分かる。歩きなら大丈夫だろうと思いつつ近づくと、〈歩行者も通れません〉とのこと。
がっかりして、戻りつつ、地図と格闘。北側の斜面の先には、戸神から羽賀山を経て野末張見晴台に向かう道がある。そこに通じる道が、一つだけある。今も通じている道がどうか不安もあるが、ダメなら龍穏寺に戻って、今日の山は中止にするつもりで行ってみた。・・・うまく行った。最後は藪こぎになったが、良く踏まれた登山道に出られて嬉しかった。
野末張見晴台に出たが、きれいな青空だが、地平は霞んで遠望はない。それでも、この見晴台は清々しい。
(野末張見晴台。「のずばり」と読む。地平が霞んで遠望はない)
(関東平野の側)
(堂平山と笠山)
コース変更で時間を使ったので、飯盛峠や飯盛山にこだわらず、関八州見晴台に向かった。誰もいなかった。この天気、11時頃、この場所で一人というのは、いくら平日でも珍しい。
(関八州見晴台より)
さて、気合いを入れて、岳岩に向かう。こっちから行くと、もの凄い下り。ゾッとするけど、だんだん慣れてくる。やがて、嶽岩。岩場を登って蟻の門渡りがあるが、そのすぐ脇を、木や根をつかみながら登った。山頂部分は全体に岩場になっていて、〈武巖琴宮〉と刻んだ石碑が建っている。やはり、修験が入っているのは間違いないんだろう。
(蟻の戸渡と呼ばれる岩場。向こうは関八州見晴台)
(岳岩の山頂部分)
それ以降、梅本林道に向けて、ショートカットできそうな道を探るが、残念ながら、下りで無理を押したくないので諦めた。
龍穏寺に戻って、お参りさせてもらった。やはり、山本坊の影響のもとにあったようで、道場では厳しい修行が行なわれていたそうだ。太田道真・道灌父子の墓も見学できた。
(立派な山門には四天王像、獅子や象の彫刻もいい)(本堂では、般若心経を唱えるお年寄りがいた)
(境内には太田道真・道灌父子の墓や熊野神社があり、何かと見どころが多い)
この日歩いたのは、以下のようなコース。

黒山三滝に山本坊を開いた栄円は、違う場所に根拠地を求めたという。なんとそれが、“嶽岩“という場所だったと知って驚いた。
三滝入り口にある熊野神社から、龍ヶ谷の龍穏寺を最短で結ぶ道のちょうど真ん中あたりから、これまた最短で関八州見晴台に向かう道がある。四寸道と呼ばれている。この四寸道を中において、周囲をのたうつように林道がグリーンラインまで上っていく。猿岩林道という。
四寸道は猿岩林道と二度交差する。二度目に交差したところから先、しばらくすると急な登りが始まり、そのピークが岳岩である。熊野ヶ嶽とも呼ばれたという。岳岩のピークを越えても、さらに登りが急になる。嫌というほどの坂を登り切ったところが関八州見晴台で、高山不動奥の院が祀られている。
そこから30分ほど下ったところが高山不動だが、そこからさらに高畑林道の側に下ると、大滝、白滝、不動の滝からなる“不動三滝”がある。
もしも栄円が岳岩に、修験の根拠地を求めようとしたなら、当然、その辺りまで視野に入っていたんじゃないだろうか。
今日は龍穏寺に車を置かせてもらい、龍ヶ谷川沿いの舗装された梅本林道から飯盛峠に向かい、関八州見晴台を経て岳岩を通るルートで周回してみる。最後に龍穏寺をお参りさせてもらって、帰る予定で出かけてみた。
梅本林道は、ずっと龍ヶ谷川に沿って登っていくが、この龍ヶ谷川がいい。夏場は、是非一度歩いてみたい。色々な形の巨石があって、あちこちの沢筋から滝が流れ落ちてくる。それらのいくつもの沢筋の先に、四寸道がある。


巨石を楽しみながら進んでいくと、道が塞がれている。遠くからでも、通行止めと分かる。歩きなら大丈夫だろうと思いつつ近づくと、〈歩行者も通れません〉とのこと。
がっかりして、戻りつつ、地図と格闘。北側の斜面の先には、戸神から羽賀山を経て野末張見晴台に向かう道がある。そこに通じる道が、一つだけある。今も通じている道がどうか不安もあるが、ダメなら龍穏寺に戻って、今日の山は中止にするつもりで行ってみた。・・・うまく行った。最後は藪こぎになったが、良く踏まれた登山道に出られて嬉しかった。
野末張見晴台に出たが、きれいな青空だが、地平は霞んで遠望はない。それでも、この見晴台は清々しい。



コース変更で時間を使ったので、飯盛峠や飯盛山にこだわらず、関八州見晴台に向かった。誰もいなかった。この天気、11時頃、この場所で一人というのは、いくら平日でも珍しい。

さて、気合いを入れて、岳岩に向かう。こっちから行くと、もの凄い下り。ゾッとするけど、だんだん慣れてくる。やがて、嶽岩。岩場を登って蟻の門渡りがあるが、そのすぐ脇を、木や根をつかみながら登った。山頂部分は全体に岩場になっていて、〈武巖琴宮〉と刻んだ石碑が建っている。やはり、修験が入っているのは間違いないんだろう。


それ以降、梅本林道に向けて、ショートカットできそうな道を探るが、残念ながら、下りで無理を押したくないので諦めた。
龍穏寺に戻って、お参りさせてもらった。やはり、山本坊の影響のもとにあったようで、道場では厳しい修行が行なわれていたそうだ。太田道真・道灌父子の墓も見学できた。




この日歩いたのは、以下のようなコース。

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