『カレーライス』 重松清
教室は、つらいところなのか。
高校の教員をしていて、最後の年が3年の担任だった。最後まで担任をやるつもりも無かったんだけど、その学年で1年2年と担任をしてきた教員が転勤をする都合で、急遽、年寄りが引っ張り出されることになった。
「はい、このクラスです」ということになって、授業ですら関わったことの無い学年だったので、他の先生が気にして、気になる生徒について色々と教えてくれようとする。
何人かの話は聞いたけど、結局、あってみなきゃ分からないし、名前の出なかった中にくせ者がいるケースもいくらでもある。話は聞いたものの、先入観を持たないようにして初日を迎えた。
初日というのは、つまり3年1学期の始業式と言うことだ。始業式が終わったら、生徒指導の教員が私のクラスの一員である、ある男子生徒を呼んでくれという。始まった早々、問題発生のようだ。
春休み中のバイト先で、年長者とビールを飲んだらしい。その写真をネットに上げたところ、それに気づいてご注進に及んだ者がいたらしい。自己紹介が生徒指導上の事情聴取の席となり、処分申し渡しのために保護者に来校いただき、数日後には家庭訪問。他のどの生徒よりも、その生徒と濃密な日々を過ごした。
彼は、“気になる生徒”の筆頭に上がっていた生徒だった。「つかみ所が無い」という。「友人もない」という。・・・3年に進級する段階で、なんともあり得ない話。その進級も、赤点がついて、追試を受けての進級だったらしい。
彼の中学からうちの高校に進学してきた者は、彼の他に誰もいない。距離が離れている。その間に、うちの高校と同レベルで、似たような雰囲気の学校が2つはある。彼は、うちの高校への進学を自分で決めたという。しかも、かなり離れた距離を、2年間、自転車通学してきた。
なんて単純な話なんだ。中学時代にいじめられたんだ。中学の同級生と同じ学校には行けないし、電車で一緒になるのも嫌なんだ。
「中学でつらい思いをしてますね」って親に聞いたら、「分かりません」って、暗い顔をされた。
高校に入ってからは、虐められることはなかったんだろう。あれば、とっくにやめている。ただ、誰とも、友人の関係を築くことができなかったようだ。2年で行く修学旅行では、担任が他の生徒に話して、無難な班に入っていたようだ。友人はいないが、激しく嫌われたり、虐められるようなことはない。
〈中学の同級生が誰もいない高校に進学する〉って言うのは、彼が考えた最良の選択だったに違いない。


進級して、新しいクラスになって、今まで知らなかった者とも同じクラスになる。当初の一週間は、虐められた経験を持つ者にとっては、戦々恐々とした日々を過ごすことになる。座席の前後左右にチラチラと目をやったり、委員や係を決めながら、人の言葉や視線、表情に一喜一憂する。
高校も、それも3年にもなれば、踏んだ場数も数多い。担任が卒業に向けてのイメージを持たせてやれば、あとは生徒だけでも何とかやってくれる。
これが、中学生や小学生となると、大変なんだろう。
どうして著者の重松清さんは、その機微に、ここまで敏感なんだろう。子どもの弱さ、子どものもろさ、子どもの未熟さ、子どものずるさをよく知っている。それを純真さ、一途さに織り交ぜて、描き出している。
この人の書いたお話は、教科書や、問題集、模擬試験や、入試の問題として使われることが多いんだそうだ。受験勉強をすれば、もれなくついてくる作家さんなんだそうだ。誰でも共感できるような話であることも、その理由の一つだろう。
還暦を過ぎた、この私でも共感できたんだから、すごいもんだ。だけど、私は、未熟者たちの一喜一憂というのが、実は嫌いだ。あんまり、心の細かいひだの中まで入り込んでいく話はちょっと苦手だ。
だから、この本に収められた重松清さんの9個の短編のなかで3つほど、苦手な種類の話があった。
さて、私のところの問題児。心機一転、新しいクラスに馴染みたい最初の一週間を謹慎で棒に振り、完全に意気消沈。授業でも後れを取り、中間試験で、自ら結論を出してしまった。中間試験開けの金曜日がディズニーランドの遠足。穏やかな生徒のそろう無難な班に、彼との付き合いを頼んでおいたんだけど、欠席。それきり、学校に来なくなった。
定時制にいた時期があるので知っててあたりまえなんだけど、高校を卒業するのに必要なのは74単位。だけど通信制でもないと、その年の単位を全部修得しないと、その年度を修了したことを認めない。
彼は全日制の2年まで終えているのだから、74単位に残る単位はごくわずか。全日の高校から私立の通信制に転校すれば、不足している分の授業だけを集中して行ない、おそらくほんのひと月、ふた月で、不足単位分を補って、全日制の卒業式前に、高校卒業にこぎ着けられる。
あるいは、1科目、2科目ならば、高校卒業程度認定試験を受けてもいい。試験に合格すれば、大学や専門学校の受験資格が得られる。
彼は、学校に行けなくなったことがやはりショックだったようで、しばらくグズグズしていた。電話にも出なかったんだけど、親を説得して何度か面会し、高卒認定試験を受けさせた。
赤点で追試認定だけど、英語の単位を2年で取っていたのが大きかった。なんと、高卒認定試験は現代社会の1科目だけで、何とか合格。今は、大学3年生。
何とかなるもんだ。
高校の教員をしていて、最後の年が3年の担任だった。最後まで担任をやるつもりも無かったんだけど、その学年で1年2年と担任をしてきた教員が転勤をする都合で、急遽、年寄りが引っ張り出されることになった。
「はい、このクラスです」ということになって、授業ですら関わったことの無い学年だったので、他の先生が気にして、気になる生徒について色々と教えてくれようとする。
何人かの話は聞いたけど、結局、あってみなきゃ分からないし、名前の出なかった中にくせ者がいるケースもいくらでもある。話は聞いたものの、先入観を持たないようにして初日を迎えた。
初日というのは、つまり3年1学期の始業式と言うことだ。始業式が終わったら、生徒指導の教員が私のクラスの一員である、ある男子生徒を呼んでくれという。始まった早々、問題発生のようだ。
春休み中のバイト先で、年長者とビールを飲んだらしい。その写真をネットに上げたところ、それに気づいてご注進に及んだ者がいたらしい。自己紹介が生徒指導上の事情聴取の席となり、処分申し渡しのために保護者に来校いただき、数日後には家庭訪問。他のどの生徒よりも、その生徒と濃密な日々を過ごした。
彼は、“気になる生徒”の筆頭に上がっていた生徒だった。「つかみ所が無い」という。「友人もない」という。・・・3年に進級する段階で、なんともあり得ない話。その進級も、赤点がついて、追試を受けての進級だったらしい。
彼の中学からうちの高校に進学してきた者は、彼の他に誰もいない。距離が離れている。その間に、うちの高校と同レベルで、似たような雰囲気の学校が2つはある。彼は、うちの高校への進学を自分で決めたという。しかも、かなり離れた距離を、2年間、自転車通学してきた。
なんて単純な話なんだ。中学時代にいじめられたんだ。中学の同級生と同じ学校には行けないし、電車で一緒になるのも嫌なんだ。
「中学でつらい思いをしてますね」って親に聞いたら、「分かりません」って、暗い顔をされた。
高校に入ってからは、虐められることはなかったんだろう。あれば、とっくにやめている。ただ、誰とも、友人の関係を築くことができなかったようだ。2年で行く修学旅行では、担任が他の生徒に話して、無難な班に入っていたようだ。友人はいないが、激しく嫌われたり、虐められるようなことはない。
〈中学の同級生が誰もいない高校に進学する〉って言うのは、彼が考えた最良の選択だったに違いない。
『カレーライス』 重松清 新潮文庫 ¥ 649 「カレーライス」をはじめとする、教科書や問題集でおなじみの九編の名作集 |
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進級して、新しいクラスになって、今まで知らなかった者とも同じクラスになる。当初の一週間は、虐められた経験を持つ者にとっては、戦々恐々とした日々を過ごすことになる。座席の前後左右にチラチラと目をやったり、委員や係を決めながら、人の言葉や視線、表情に一喜一憂する。
高校も、それも3年にもなれば、踏んだ場数も数多い。担任が卒業に向けてのイメージを持たせてやれば、あとは生徒だけでも何とかやってくれる。
これが、中学生や小学生となると、大変なんだろう。
どうして著者の重松清さんは、その機微に、ここまで敏感なんだろう。子どもの弱さ、子どものもろさ、子どもの未熟さ、子どものずるさをよく知っている。それを純真さ、一途さに織り交ぜて、描き出している。
この人の書いたお話は、教科書や、問題集、模擬試験や、入試の問題として使われることが多いんだそうだ。受験勉強をすれば、もれなくついてくる作家さんなんだそうだ。誰でも共感できるような話であることも、その理由の一つだろう。
還暦を過ぎた、この私でも共感できたんだから、すごいもんだ。だけど、私は、未熟者たちの一喜一憂というのが、実は嫌いだ。あんまり、心の細かいひだの中まで入り込んでいく話はちょっと苦手だ。
だから、この本に収められた重松清さんの9個の短編のなかで3つほど、苦手な種類の話があった。
さて、私のところの問題児。心機一転、新しいクラスに馴染みたい最初の一週間を謹慎で棒に振り、完全に意気消沈。授業でも後れを取り、中間試験で、自ら結論を出してしまった。中間試験開けの金曜日がディズニーランドの遠足。穏やかな生徒のそろう無難な班に、彼との付き合いを頼んでおいたんだけど、欠席。それきり、学校に来なくなった。
定時制にいた時期があるので知っててあたりまえなんだけど、高校を卒業するのに必要なのは74単位。だけど通信制でもないと、その年の単位を全部修得しないと、その年度を修了したことを認めない。
彼は全日制の2年まで終えているのだから、74単位に残る単位はごくわずか。全日の高校から私立の通信制に転校すれば、不足している分の授業だけを集中して行ない、おそらくほんのひと月、ふた月で、不足単位分を補って、全日制の卒業式前に、高校卒業にこぎ着けられる。
あるいは、1科目、2科目ならば、高校卒業程度認定試験を受けてもいい。試験に合格すれば、大学や専門学校の受験資格が得られる。
彼は、学校に行けなくなったことがやはりショックだったようで、しばらくグズグズしていた。電話にも出なかったんだけど、親を説得して何度か面会し、高卒認定試験を受けさせた。
赤点で追試認定だけど、英語の単位を2年で取っていたのが大きかった。なんと、高卒認定試験は現代社会の1科目だけで、何とか合格。今は、大学3年生。
何とかなるもんだ。
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