めんどくせぇことばかり 若者言葉『日本語の奥深さを日々痛感しています』 朝日新聞校閲センター
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若者言葉『日本語の奥深さを日々痛感しています』 朝日新聞校閲センター

分からない言葉は、辞書で引いて調べた。

そういう世代。だけど、“若者言葉”というのは、そう言うのとは違う。自分が若い頃にも、“若者言葉”などと言うものがあったんだろうか。まあ、仲間内で通じる“隠語”のようなものは存在したが、それを楽屋の外では使わない。

自分が若者と言われなくなった頃、若い連中の話す言葉に、分からないものがあることに気がついた。高校の教員をしていたから、そういう言葉に触れる機会は、他の“大人”より多い。よく、放課後の教室で、生徒たちにその意味を教えてもらった。

大半は一時的流行で、その言葉を使っていた人たちも、いつしか使わなくなる。だけど、その中のいくつかは、後々までその世代によって使い続けられるものもあるそうだ。その場合、年長者が、それに煩わされることはない。

さらには、その世代の間で生き残った言葉が、それに続く若い世代でも使われていく言葉もある。こうなると、年長者も、多少の影響が出てくることは間違いない。このあたりの言葉になると、私なんか、若者たちの話し言葉にイライラしてしまう。

さらには、若者たちが使う言葉が一般化してしまって、いつの間にか年長者も使っている。私はイライラを、世の中に向けることになる。そのくせ、ちょっと前まで「なんだ、その言葉は!」なんて怒っていたのに、いつのまにか、自分まで使うようになってしまっている。

“イライラ”以降の言葉でも、たとえ一般化しても、自分はまず絶対使わないだろうというものも多い。「ディスる」なんて絶対使わないな。これは、世の中であたりまえに使われるようになっても、なにを言ってるのかまったく分からなかった。『翔んで埼玉』を見て喜んでいる埼玉県民なのに。「なんで埼玉県民はディスられて喜んでるの?」って、なにを言われているか分からなかった。

だいたい、dis~なら、disarmだって、distrustだって、disableだって、いくらでもある。なのになんで、disrespectだけに限定してるの。わけが分からない。

だいたい、「ディスる」って、音が良くない。・・・ぼやくのは、このくらいにしよう。特定の言葉に「る」をつけて、特定の動きを意味するってのは、江戸時代からあったという。「ちゃづる」、漢字込みで書くと「茶漬る」。つまり、「お茶漬けを食べる」。「おい、〆にその辺りで、茶漬ってかえろうぜ」なんて酔っ払いが、お江戸の町を歩いていたかも。

「~る」言葉なら、私たちの時代にもあった。「江川る」、これは「ずるをして他人に迷惑をかける」こと。「田淵る」、これは「太り気味である」こと。「ジュリる」、これは「気取る」こと。「バドる」、これはバドリオ政権が連合軍に寝返ったように、「仲間を裏切る」こと。



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日常語・新語・難語から言い回し・使い方まで、ことばの最前線から、その核心に迫る
1 ことばは生き物。変身もする、盛衰もある(
2 ことばの最前線!新語が生まれるとき
3 知るたのしみ、使うたのしみ…語彙力で心豊かになる
4 ことばは物語をもっている。歴史の断面が語られる
5 語感、言い回し、使い方…日本語はおもしろい


最近は、人の顔色を気にしすぎることから生まれた、特殊な言葉の使い方を、多く耳にするような気がする。

この本の中で取り上げられているのは、「大丈夫です」という言葉。それを書いている校正員の方も、スーパーで「箸をおつけしますか」と聞かれたとき、自分が口癖のように「大丈夫です」と答えているのに気づいたという。・・・若い人だろうか。

本来、大丈夫は、「立派な男子」のこと。そこから、「健康であるようす、危なげないようす、心配いらないようす」の意味でも使われるようになる。

「箸をつけますか」もそうだけど、何らかのサービスの提供を申し出られたとき、何らかの勧誘を受けた時に、この「大丈夫です」が使われているようだ。

「箸をつけますか」「大丈夫です」・・・つけなくても大丈夫なのか、つけても大丈夫なのか。

「コーヒー、お注ぎしましょうか」「大丈夫です」・・・注いでいいのか、悪いのか。

「飲みに行こう」「大丈夫です」・・・行くのか、行かないのか。

今の若い人は、人に迷惑をかけることに敏感で、相手から自分への働きかけに対して、「問題ありません」と気遣っている配慮が、「大丈夫です」と言わせているようだ。

だとすれば、一概に、“拒否”と受け取っていいのか。コーヒーはもう欲しくないし、飲みにも行かないのか。遠回しな断りなら、「結構です」という言い方がある。一時、強引なセールスに対して、「結構です」では、「結構」という言葉にある“満足なさま”と揚げ足取りをされる危険があると言う話があった。「いりません」って言った方がいいって。

だけど、サービスの提供や勧誘に対して、「結構です」は、「いりません」と同義。その、「結構です」にも、相手を突き放してしまっているように、若い人たちは感じてしまうらしい。それじゃあ、「いりません」とか、「行けません」と、はっきり断わるのは難しいだろうな。

校正員の方は、「相手を不快にさせないよう慎重な人が多い」で済ませているが、「大丈夫です」には危うさを感じる。若い人たちは、どこでそこまでの処世を身につけなければならなかったのか。

「・・・っとか」、「・・・って言うか」、「・・・みたいな」、これらの、なんだか曖昧な言い回しは、“とか弁”って言われるそうだ。

「オガワ製作所という会社から電話がありました」と伝えた場合、それが“トガワ製作所”だったら責任を問われる気がするが、「オガワ製作所とかいう会社から電話がありました」なら、責任を問われないような気がするらしい。

つまり、逃げ道を作っておかないと、不安なようだ。・・・いったい、誰に対して?

これって、心配してやった方がいいんじゃないだろうか。



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ジャンル : 本・雑誌

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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本


























































































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