『中野京子の西洋奇譚』 中野京子
イエスが十字架を背負わされてエルサレムの町を歩かされていた時、疲れ果てて靴屋の壁にもたれかかろうとして拒まれた。イエスは、そのユダヤ人に言った。「自分は死して安らぐが、お前は永遠に彷徨い続けなければならない」
このようにして、彼は“さまよえるユダヤ人”になった。
喜望峰の沖合で、オランダの帆船が嵐に遭遇した。思うように舵を切ることができず業を煮やした船長が、南十字星の十字に向けてピストルを発射した。神を罵り、悪魔に助けを求めたのだ。そのために船長は呪いを受け、死ぬことも許されず、未来永劫、幽霊船と共に海を漂泊しなければならなくなった。
さまよえるオランダ人船長は、7年に1度だけ陸に上がることを許される。そこで真実の愛を捧げてくれる乙女に出会えれば、呪いは説かれ、救済され、死を許される。
日本の場合、無念を残して亡くなったものは怨霊と化し、自分を死へと陥れたものに祟った。人々は恐れおののき、その霊を慰め、崇めて、祀った。怨霊の怒りを静めたとき、御霊はその力を世を守護する神に変わる。
だけど、西洋の場合、どうやら、祟るのは最初から神らしい。そうなると、その祟りはかなり質が悪い。
あの《エクソシスト》という映画は1973年か。13歳の時だ。本当に怖かったな~。それに続いて、《オーメン》なんていう悪魔ものの映画が続いた。
大学の時、同じサークルに、6月6日生まれの友人がいた。オーメンの主人公悪魔のデミアンは、頭に6・6・6のアザを持っていた。友人は4年間、オーメンと呼ばれていた。
あの映画の3年後のドイツで、20代の娘に悪魔が憑いたと信じた両親が、エクソシストに悪魔払いを依頼した。エクソシストは娘にルシファーが憑依していると、10ヶ月にわたる過酷な儀式を行なった。その結果、娘は栄養失調で死んだ。
世界中がこの出来事に震撼し、以後、悪魔払いに対する規制が厳しくなった。
消滅したかに思われたエクソシストだったが、2005年にベネディクト16世が教皇になると、彼は悪魔払いの儀式を支持し、以来、エクソシストの需要が急増しているという。教皇はフランシスコ1世に代わったが、今でも需要は増え続け、エクソシストの数が足りなくなって困っているという。
なにしろ、イエスが悪魔払いをしている。


イエスが弟子と共にガダラの地に到着すると、墓場に住んでいた2人の男が近づいてきた。2人は汚れた悪霊に取り憑かれており、町の人は誰も近づけないひどい有様だった。しかし、イエスに面と向かうと、憑依していた霊は怯えだし、こう頼んだ。「人間の身体から出されて底知れぬ場に追放されるより、近くの豚の群れに取り憑かせて欲しい」と。
イエスは言った。「行け!」
すると、それまでおとなしくしていた豚(ユダヤ人にとっては不浄の家畜)が突然パニックに陥って暴れ出し、狂乱して走り出した。その数、2000頭の豚が、高い崖からはるか下の湖に飛び込み、ことごとく溺れ死んだ。
エクソシストは、まさに神の行為。
実際に、そういうことがあったのかと思わされるのが、ディカプリオが主役を演じた映画の“鉄仮面”。その男1703年にがバスティーユ牢獄で息を引き取ると、所持品はじめ、彼に関連するすべてのものが焼却され、彼の生きた証しはすべて消されてしまった。にもかかわらず、この男への関心は、今に至るも消えていない。
なにしろルイ14世自らの指示で、男は34年の長きにわたって幽閉されたのだ。なぜか監獄長からも丁重に扱われ、衣食の贅沢を許され、楽器まで与えられ、定期的に医師の診断も受けていた。ただし、人前では仮面、あるいはベールを強制され、外したら即死刑と厳命されていた。
常識を越えて敬意を払わなければならない存在であり、絶対にその顔を見せてはならない人物だったことになる。
ルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュは、ハプスブルク家からブルボン家に嫁いだ。後の、マリー・アントワネットと同じだな。次の王を生むことは国民の大きな期待であり、ルイ13世とドートリッシュの寝室は、大きな関心事だったはず。
だけど、数回妊娠したものの、流産し、もともと女嫌いのルイ13世は、その後、妃を顧みなくなったそうだ。そんなドートリッシュの頼りは宰相のマザランで、二人の関係は以前から公然たる秘密だった。
彼と同じ顔をした、双子、もしくは年の近い兄弟がいたとしたら・・・。これは昔からささやかれ続けた仮説の一つで、映画の《鉄仮面》も、その仮説を前提としたものだったそうだ。
太陽王と呼ばれるルイ14世だけに、光が強すぎる分だけ、闇も深い。
西洋が世界で光り輝くのは、大航海時代を迎えてだいぶ時間が経ってからのこと。世界の富をかき集め、それを原資として発展の道をたどり始める。
産業革命がイギリスに始まり、その波が西ヨーロッパに広がり、西洋の世界進出が始まる。その後のヨーロッパが、私たちの印象には強いわけだ。しかし、それ以前の、輝きを放ち始める前の西洋にこそ、今の西洋の精神を支える奥深さがあるように感じる。
それに比べて、中世を持たないアメリカは軽い。
このようにして、彼は“さまよえるユダヤ人”になった。
喜望峰の沖合で、オランダの帆船が嵐に遭遇した。思うように舵を切ることができず業を煮やした船長が、南十字星の十字に向けてピストルを発射した。神を罵り、悪魔に助けを求めたのだ。そのために船長は呪いを受け、死ぬことも許されず、未来永劫、幽霊船と共に海を漂泊しなければならなくなった。
さまよえるオランダ人船長は、7年に1度だけ陸に上がることを許される。そこで真実の愛を捧げてくれる乙女に出会えれば、呪いは説かれ、救済され、死を許される。
日本の場合、無念を残して亡くなったものは怨霊と化し、自分を死へと陥れたものに祟った。人々は恐れおののき、その霊を慰め、崇めて、祀った。怨霊の怒りを静めたとき、御霊はその力を世を守護する神に変わる。
だけど、西洋の場合、どうやら、祟るのは最初から神らしい。そうなると、その祟りはかなり質が悪い。
あの《エクソシスト》という映画は1973年か。13歳の時だ。本当に怖かったな~。それに続いて、《オーメン》なんていう悪魔ものの映画が続いた。
大学の時、同じサークルに、6月6日生まれの友人がいた。オーメンの主人公悪魔のデミアンは、頭に6・6・6のアザを持っていた。友人は4年間、オーメンと呼ばれていた。
あの映画の3年後のドイツで、20代の娘に悪魔が憑いたと信じた両親が、エクソシストに悪魔払いを依頼した。エクソシストは娘にルシファーが憑依していると、10ヶ月にわたる過酷な儀式を行なった。その結果、娘は栄養失調で死んだ。
世界中がこの出来事に震撼し、以後、悪魔払いに対する規制が厳しくなった。
消滅したかに思われたエクソシストだったが、2005年にベネディクト16世が教皇になると、彼は悪魔払いの儀式を支持し、以来、エクソシストの需要が急増しているという。教皇はフランシスコ1世に代わったが、今でも需要は増え続け、エクソシストの数が足りなくなって困っているという。
なにしろ、イエスが悪魔払いをしている。
『中野京子の西洋奇譚』 中野京子 中央公論新社 ¥ 1,870 事件や伝承に隠された、最も恐ろしい真実。中野京子が贈る、21の「怖い話」 |
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イエスが弟子と共にガダラの地に到着すると、墓場に住んでいた2人の男が近づいてきた。2人は汚れた悪霊に取り憑かれており、町の人は誰も近づけないひどい有様だった。しかし、イエスに面と向かうと、憑依していた霊は怯えだし、こう頼んだ。「人間の身体から出されて底知れぬ場に追放されるより、近くの豚の群れに取り憑かせて欲しい」と。
イエスは言った。「行け!」
すると、それまでおとなしくしていた豚(ユダヤ人にとっては不浄の家畜)が突然パニックに陥って暴れ出し、狂乱して走り出した。その数、2000頭の豚が、高い崖からはるか下の湖に飛び込み、ことごとく溺れ死んだ。
エクソシストは、まさに神の行為。
実際に、そういうことがあったのかと思わされるのが、ディカプリオが主役を演じた映画の“鉄仮面”。その男1703年にがバスティーユ牢獄で息を引き取ると、所持品はじめ、彼に関連するすべてのものが焼却され、彼の生きた証しはすべて消されてしまった。にもかかわらず、この男への関心は、今に至るも消えていない。
なにしろルイ14世自らの指示で、男は34年の長きにわたって幽閉されたのだ。なぜか監獄長からも丁重に扱われ、衣食の贅沢を許され、楽器まで与えられ、定期的に医師の診断も受けていた。ただし、人前では仮面、あるいはベールを強制され、外したら即死刑と厳命されていた。
常識を越えて敬意を払わなければならない存在であり、絶対にその顔を見せてはならない人物だったことになる。
ルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュは、ハプスブルク家からブルボン家に嫁いだ。後の、マリー・アントワネットと同じだな。次の王を生むことは国民の大きな期待であり、ルイ13世とドートリッシュの寝室は、大きな関心事だったはず。
だけど、数回妊娠したものの、流産し、もともと女嫌いのルイ13世は、その後、妃を顧みなくなったそうだ。そんなドートリッシュの頼りは宰相のマザランで、二人の関係は以前から公然たる秘密だった。
彼と同じ顔をした、双子、もしくは年の近い兄弟がいたとしたら・・・。これは昔からささやかれ続けた仮説の一つで、映画の《鉄仮面》も、その仮説を前提としたものだったそうだ。
太陽王と呼ばれるルイ14世だけに、光が強すぎる分だけ、闇も深い。
西洋が世界で光り輝くのは、大航海時代を迎えてだいぶ時間が経ってからのこと。世界の富をかき集め、それを原資として発展の道をたどり始める。
産業革命がイギリスに始まり、その波が西ヨーロッパに広がり、西洋の世界進出が始まる。その後のヨーロッパが、私たちの印象には強いわけだ。しかし、それ以前の、輝きを放ち始める前の西洋にこそ、今の西洋の精神を支える奥深さがあるように感じる。
それに比べて、中世を持たないアメリカは軽い。
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