アメリカにとっての大東亜戦争 近衛・ルーズベルト首脳会談の顛末
1941(昭和16)年9月6日、日本の運命を左右する御前会議が開かれている。ここで決定された「帝国国策遂行要領」によれば、イギリス、アメリカに対する最低限の要求内容を定め、交渉期限を10月上旬に区切り、この時までに要求が受け入れられない場合、アジアに植民地を持つイギリス、アメリカ、オランダに対する開戦方針が定められた。
御前会議の終わった9月6日の夜、首相の近衞文麿はようやく日米首脳会談による解決を決意し、駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーと極秘のうちに会談し、危機打開のため日米首脳会談の早期実現を強く訴えた。
この後、日本により提案された首脳会談の計画は、両国政府の間で、その意義を巡り意見が交わされることになった。この外交上の意見交換は二ヶ月近く、1941(昭和16)年19月16日に第三次近衛内閣が崩壊するまで続いた。日本の提案に対して、ルーズベルト大統領とハル長官が最終的にとった態度をどう正当化しても、彼らがこの期間にとった手法は時間稼ぎの引き延ばしであり、意見交換が始まった時点と、それが終わったおよそ二ヶ月後の彼らの結論は、まったく同じものでしかなかったと考えざるを得ない。
この間近衛は、グルー駐日大使から持ちかけられたワシントンの要求を受け入れたが、ワシントンは不信を理由に明確な回答を拒んだ。近衛はその不信を解くために、首脳会談の席に帝国陸海軍高官を同席させることを提案したが、ワシントンは変わることなくただ時間の浪費を選んだ。
9月29日の、ワシントンに対するグルー駐日大使の報告書(概略)
グルー駐日大使は日本政府が大統領との平和会談の実現をますます切望していることを力説した。大使は日本によりよい秩序と対米関係の新しい礎を築かぬまま「このあまりに絶好の時期を」逸することが許されないよう望むとの希望を表明した。日本が独伊枢軸同盟に加わったのはソ連に対する安全保障を確保し、ソ連と合衆国の狭間で危機的状況に陥るのを避けるためであり、日本はいま、期の危険な立場から抜け出そうとしているのだと大使は述べた。大使は日本においてリベラルな勢力が君臨する時が到来したと考えた。また、大使は大西洋会談でルーズベルト大統領とチャーチル首相が共同宣言で予言した世界を再構築するための計画が推進されれば、日本が共同歩調をとる可能性は十分にあると見た。合衆国の日本への対応策として二つの方策から一つを選べばよいとグルー大使は考えた。それが日本経済を漸進的に圧迫して絞殺するか、「いわゆる妥協とは違う」より建設的な懐柔策をとるか、だった。懐柔策が失敗すれば、いつでももう一つの方策-圧迫と戦争-をとればよいと論じた。
大使はこの報告の中で、日本政府がすでに伝達された文書に記された内容以外の約束も交わす用意があることを次のように伝えた。「近衛公はルーズベルト大統領との直接交渉にあたって、その遠大な内容のために間違いなく、合衆国を満足させられるような保証を大統領に提示できる立場にある。」これは、枢軸国との関係を公然と破棄することはできないまでも、有名無実化させる意向をみせたことは確かであるとつけ足した。
大使は合衆国がいまという機会を融和のために活用することに失敗すれば、武力衝突の可能性を高めることにつながると見ていた。
ロバート・クレイギー駐日イギリス大使も、この時期動いている。グルー大使と会談したグレイギー大使はイギリス本国政府とハリファックス駐米大使に文書を送っている。「クレイギーの意見の要点」と呼ばれるものである。
第一
松岡洋右前外務大臣の辞任によって「枢軸側の政策に背を向けて民主主義に転じる可能性が大いに高まった」
第二
日本にとって、ルーズベルト大統領と近衛首相の会談を急ぐことが重要だ。ことを不当に先延ばしにすれば、日本国内に枢軸国との関係を破棄することに反対意見があるため近衛内閣を危険な立場に置くことになるからだ。
第三
引き伸ばし政策をとっている合衆国は、いかなる合意にも不可欠な前提として、あらゆる単語、あらゆる文節について議論している。日本人の性格からして、また日本の国内状況からして、会談を先延ばしにすることは決して許されないことを、合衆国は明らかに理解していないようだ。わたしが現在の職に就任して以来、極東問題を解決する最大の好機がこのような形で失われてしまうとすれば、実に非常に残念なことだ。駐日米国大使も私も不当に疑わしい態度をとることによってこの絶好の機会を逃すことを許すのは愚かな政策だとの強い意見を共有している。
第四
イギリスの経済制裁措置は「近衛原則が実際に現実となる」まで継続されるべきだ。
米英駐日大使の共有する考えは、この時こそ和平をまとめる最大の好機であるということであった。この時、ワシントンはこの日本の申し出に対してどのような態度をとったか。1946年4月5日、連邦議会真珠湾委員会委員ファーガソン上院議員に提出されたハル長官の文書にはこうある。
大統領と私はワシントンにあって極東問題の顧問らとともに世界中から情報が送られてくる中で情勢をみていた。われわれは日本が侵略と征服の政策に頑なに固執し、これを推進する一方で、合衆国政府がその基本的立場を譲歩しない限り、日本政府が[太平洋で]会談して合意に到達できると真剣に期待して提案しているわけではないと判断した。われわれは事前の審問で日本政府を十分に試した結果として日本がその立場を頑なに譲るつもりのない事を知っていた。
換言すれば、大統領とハル長官は、日本の、太平洋で会談することの提案を、本質的に誠意を欠いた、いい加減なものとみなしたのだった。日本が侵略と征服を続ける間、合衆国を欺く一種の口実であるかのようにみなしたのである。

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