めんどくせぇことばかり 大東亜戦争回避は可能であった 駐日イギリス大使ロバート・クレイギーの見解
fc2ブログ

大東亜戦争回避は可能であった 駐日イギリス大使ロバート・クレイギーの見解

《クレイギーの最終報告書とは・・・》
1942年交換船で帰国したクレイギーは、アンソニー・イーデン外相あてに報告書(1943年2月4日付)を提出し、英国政府の極東政策を痛烈に批判したのである。この報告書を読んだチャーチルは激怒し、厳秘を命じて国王を含むイギリス政府内部のごく少数者にしか閲覧の機会を与えずクレイギーの報告書を封殺した。そしてクレイギー自身も1945年に在日大使時代(1937ー1941年)の経験を綴った回顧録『BEHIND THE JAPANESE MASK』を世に送るが、報告書に一言半句もふれることなく、報告書で示唆した点については屈折した表現でしか述べるところがなかった。

そのような背景を経て報告書はイギリス公文書館の中で埃をかぶり、1971年にイギリスの戦時中の文書が30年ルールにより一括公開されるまで歴史家の目に触れる事はなかったのである。同報告書が世に初めて紹介されたのは1972年7月15日の『デイリー・テレグラフ』であり、「対日戦争は必然であったのか」とする論文をイギリスの外交史家ドナルド・キャメロン・ワットが同紙に寄稿し掲載した事によるものである。同論文は太平洋戦争は回避が可能であったとするクレイギーの見解に与するワット教授自身の立場を明らかにした上で、「チャーチルはアメリカを戦争に引き入れるべく、極東で戦争を意図的に引き起こそうとしたのではなかったのかとの疑念を提起し、イギリスが戦争によっyてアジアで支払った高価な代償は、チャーチルの政策を誤りを立証するものである」と、暗にチェンバレンの宥和政策を肯定し、チャーチルを批判したのである。
[wikipediaより]

《「最終報告書」にみられるクレイギーの見解》
1941年の年間を通じて、本職から送った警告は、要するに、日本の軍事攻撃が外交的手段によって回避できなければ、それは、多くの英国当局が予期していたように思われるものよりも、大きな規模で、かつ早い時期になされるだろう、ということだ。[wikipediaより]
イーデン外相、チャーチル首相は、「多くの英国当局が予期」したことに基づいて政策決定をしたわけだから、それはわれわれが知っている歴史の実際であろう。では、「予期」しえなかった「大きな規模で、かつ早い時期になされ」たことは何だろうか。

戦後まもなく、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国の、アジアにおける植民地はつぎつぎに独立し、その波はアフリカにも波及した。結果、大英帝国は瓦解し、世界におけるヨーロッパの相対的地位は急速に低下した。さらに、共産主義の猛威はドイツ、日本という歯止めを失い、数十年にわたり世界を脅かし続けた。それこそが、クレイギーが「予期」し、イーデン外相、チャーチル首相が「予期」できなかった世界である。[もちろんクレイギーが、ここまでドラスティックな変動を予期していたかどうかは疑問だが・・・]

〈日本の南部インドシナ進駐、それに対する米英蘭による経済制裁を経て、日米交渉が始まった時、英国政府がこの交渉に直接噛まないことにしたことに私は批判的であった。〉私が英外務省に、成り行きがよろしくないと指摘し、交渉がうまく行かなかった場合に攻撃の矢面に立つのは米国よりむしろ英国であると考えられることから、英国政府はこの枢要なる交渉に関し、〈せめて〉その詳細を完全に〈米国から〉教えてもらうべきだと訴えた時、私はこれに同情的な回答を得たが、結局のところ、英国政府は、〈日本との〉議論は、全幅の信頼を寄せているところの、米国政府の手にだけ委ねられるべきであるというものだった。[wikipediaより]
この時アメリカには、イギリスとは明確に違うアジア戦略である“日本に軍事的方法によって打撃を加えることで支那の市場から完全に排除し、アメリカ主導の支那市場を再構築する。日本がふたたび支那市場に進出することを許さない”という意志を強固にしていた。いわばそれは、アジアにおけるイギリス以上の地位である。しかも、その過程において、日本の攻撃の矢面に立つのはイギリスやオランダである。つまり、アメリカのアジア戦略遂行のために、イギリスはうまく利用されたことになる。

〈1941年〉11月20日に日本政府は妥協的提案をした〈が、〉・・・それは、南インドシナからの撤退の提案であって、少し前の現状への復帰を意図したものだった。 私は、英国政府に対し、一定の修正を施す・・それについて、日本政府の同意を得ることを信じるに足る理由があった・・ことを前提に、この提案の線における一時的妥協がなされるべきことを強く促した。私の見解では、日本軍部隊を、南インドシナから撤退させ、北インドシナにおいて1~2個師団に制限することは、日本の陸軍のマライ、あるいは更なる南方への前進のための諸計画を完全に脱線させるものであったので、日本の戦争能力を文字通り増進させるには不十分な分量の石油その他の天然資源を〈日本に〉供給するという代償を払ってでも追求する価値があったのだ。〈米国務長官の〉ハル氏は、実際、この線に沿った日本への回答案を準備した。それは、一定の外形的な修正を施せば、日本政府にも受容できるものにすることができた。 しかし、この建設的な反対提案は、どうやら支那政府の反対があったためのようだが、日本政府に提出されることはなかった。[wikipediaより]
「支那政府の反対」は、もちろん強く行われていた。しかし、クレイギー自身も見誤っているが、ルーズベルト大統領、ハル国務長官は、アメリカのアジア政策を実行したに過ぎない。このころのアメリカは、完全に日本のコントロールに成功していた。それは、「太平洋で日本と闘う準備が整った段階で、日本から先に手を出させる」というものであった。
 
〈ドイツとの〉2年と4分の1年にわたる闘争を経て、英国とその連合諸国は、東京から見ていると、ようやくドイツに対する優位を得つつあった。すなわち、ドイツ軍前線に向かってロシア軍は着実に圧力をかけつつあったし、我々のリビアにおける軍はベンガジを越えて押し出しつつあったし、米国からは我々は既に気前良く、物資と積極的な支援を得ていた。〈この最後の点だが、〉それは、我々にとって最も枢要なこと、つまり、〈米国による、〉大西洋を横切る〈英国の〉船舶群の護衛及びドイツの潜水艦群や水上襲撃船群に対する「宣戦なき」戦争だった。東京から見ている限り、我々は大西洋における戦いに勝利を収めようとしており、他の諸前線では防勢から攻勢へと転じつつあった。すなわち、この戦争は、初めて、日本人の偏見を持った眼から見てさえも、ドイツの勝利の展望に疑問符が付くという段階に達していたのだ。もちろん、これは危険な段階でもあった。というのは、日本の軍事主義者達は、ドイツの攻勢力が明確な崩壊の兆候を示す前に彼等の効果的軍事介入の最後の機会が訪れると自覚するであろうからだ。[wikipediaより]
ドイツの劣勢が明らかになりつつある段階で、つまり、ヨーロッパ戦線へのアメリカの本格的介入を待たずに、イギリスは勝利の手応えを手にしつつあった。つまり、アジアにおいてアメリカに一辺倒に追随する危険を回避すべき段階に来ていたと言うことだろう。「イギリスのアジアにおける植民地をすべて失う危険を侵してまでも、アメリカをヨーロッパにおける戦争に荷担させる」ことに何の意味があるのか。それをクレイギーは訴えたわけだが、クレイギーの「予期」した未来は、イーデン外相やチャーチル首相を動かすことができなかった。

人気ブログランキングへ
関連記事

テーマ : 大東亜戦争の本当のこと
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとうございました



「《めんどくせぇことばかり》は、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。」
よくお越し下さいました

イーグルス16

Author:イーグルス16

息も絶え絶えです、ぜひ応援してください

スクリーンショット 2024-01-25 135720
腹を探れば世界の動きがよく分かる!
知れば、もう騙されない!
変化の激しい時代だからこそ、変わらぬ原理・原則を見抜け!
カウンター
カテゴリ
こんな本、あんな本
スクリーンショット 2024-01-04 093839

この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。

スクリーンショット 2024-01-04 093904

中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。

スクリーンショット 2024-01-04 093932

高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。

スクリーンショット 2024-01-04 101026

今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
やられた本
スクリーンショット 2024-01-05 142731

スクリーンショット 2024-01-06 021227

スクリーンショット 2024-01-06 032248

スクリーンショット 2024-01-18 143105

スクリーンショット 2024-01-18 143445

スクリーンショット 2024-01-18 143650

スクリーンショット 2024-01-25 134638

スクリーンショット 2024-01-25 135025

スクリーンショット 2024-01-25 135252

スクリーンショット 2024-01-25 135418

スクリーンショット 2024-01-25 135540

スクリーンショット 2024-01-29 090133

スクリーンショット 2024-01-29 090446

スクリーンショット 2024-01-29 090655

スクリーンショット 2024-02-15 131650

スクリーンショット 2024-02-15 131850

スクリーンショット 2024-02-15 132226

スクリーンショット 2024-02-15 132416

スクリーンショット 2024-02-15 132605

スクリーンショット 2024-02-15 132740

スクリーンショット 2024-02-15 132951

スクリーンショット 2024-02-22 120032

スクリーンショット 2024-02-22 120254

スクリーンショット 2024-02-22 120959

スクリーンショット 2024-02-22 121156

スクリーンショット 2024-02-22 123949











































































スクリーンショット 2024-01-25 135720

検索フォーム
RSSリンクの表示
最新記事