めんどくせぇことばかり 

『本当の中国の話をしよう』 余華

もともと、2012年の本で、その時読んで、ブログにもしつこく書いた。

最近、この本が文庫で出ているのを見つけた。とても影響を受けた本なので、かつまた、習近平がこの秋に行われる共産党大会で、毛沢東の高みに挑もうとしている状況において、この本を見直す必要がある。文庫版が、このタイミングで出版されたのも、おそらくそのへんに関係しているんだろう。
著者の余華は支那の作家。1960年生まれといから、私と同じ歳。私も支那に生まれていれば、同様の体験をした可能性があるということか。

6才から17才までが文化大革命に重なり、改革開放後、29歳で天安門事件。そしてその後のいびつな経済成長。作家活動の中で精神の危機もあったようだが、考えてみればそれも当然のことと思える。この本は、そんな支那近代史とともに生きてきた著者が、自らと、自らの生きた支那を振り返り、支那社会の本質をえぐったた随筆。

次の文章には背筋に電流が走りました。同時に、今の支那社会の激変の一端がかいま見えたような思いがしました。
なぜ私は、今の中国を語るとき、いつも文化大革命にさかのぼるのだろう?それは二つの時代が密接につながっているからだ。社会形態はまったく違うが、精神の中身は驚くほど似ている。たとえば、国民総動員で文化大革命を行った我々は、またも国民総動員で経済発展を進めているではないか。

ここで強調したいのは、民間経済の急激な発展が文革初期に突如登場した無数の造反司令部に類似しているということだ。一九八〇年代の中国人は、革命の熱狂を金儲けの熱狂に置き替え、またたく間に無数の民間会社を登場させた。(中略)数えきれないほどの民間会社は一方ですぐ消滅するが、また一方ですぐ登場する。革命と同じで、先人の屍を乗り越え、勢いよく前進を続けた。唐の白居易の詩句を引用するなら、「野火焼けども尽きず、春風吹いてまた生ず」である。中国経済の奇跡は、このようにして引き起こされた。

文化大革命が完全に終わって改革開放が始まったことは、支那がまったく正反対の方向へ進み始めたことを意味している。これまでそう信じきっていた。そのように見えて、“革命の熱狂が金儲けの熱狂に置き替えられた”のであり、本質は変わらないという著者の考えは、大変新鮮である。たしかに現在の“金儲けの熱狂”のいびつさは、文革のいびつさを引きずっていないか。そういえば、二つのイメージはピッタリ重なるように思える。

この本の中に紹介されている“金儲けの熱狂”が生み出すいびつさは、あとで、別記事で紹介したいと思う。たしかにそこに見られるいびつさ、社会の歪みは、文化大革命の時に表現された生徒が先生を、年少者が年長者を、子が親を、愚者が賢者を引きずり下ろして袋叩きにしたあの頃に、見事なまでに重なるように思える。

周恩来が死に、毛沢東が死に、四人組が引きずり降ろされて文革は終わったはずだった。でもまだ、あの頃の熱狂の本質が今も引きずられているなら、支那は一体どこまで走り続けるのだろう。その先にもう、道が続いているようには思えないのだが・・・。
 
文化大革命の中、人びとはどう日常生活を送っていたのでしょう。人々は壁新聞を恐れた。反革命の告発は、この壁新聞で行われていたという。
私は学校の友達の父親が何人か打倒されるのを目撃した。「資本主義の道を歩む実権派」というのが罪名で、造反派に殴られて顔が腫れていた。胸の前には大きな札を下げ、頭には紙で作った三角帽子をかぶっている。彼らは一日じゅう箒を手にして、おどおどしながら通りを清掃していた。通行人はいつでも彼らを蹴飛ばしたり、彼らの顔に唾を吐いたりしてよかった。彼らの子供にも当然類が及び、たえず学校の友達から侮辱と蔑視を受けていた。

これは『ほんとうの中国の話をしよう』に書かれている、著者余華氏の体験である。
いったい、このような状況で、本好きたちは、どうやって本を読んでいたのでしょうか。

余華の『ほんとうの中国の話をしよう』に、文革時代、著者たち読書好きが、必死にその読書欲を満足させた様子が書かれています。
私の家には当時、両親が仕事で使う十数冊の医学書を除くと、四巻本の『毛沢東選集』と赤い宝の本と呼ばれる『毛沢東語録』しかなかった。赤い宝の本は、『毛沢東選集』から抽出された言葉を集めたものである。私は元気なく、それらの本のページをめくった。読書欲という化学反応が起こることを期待したが、いくらページをめくっても、まったく読む気になれない。
(中略)
私は赤い宝の本を選択せず、『毛沢東選集』の第一巻を手に取り、じっくり読み始めた。そして、読書の新大陸を発見した。『毛沢東選集』の注釈に引きこまれたのだ。それ以降、私は片時も休むことなく『毛沢東選集』を読んだ。
(中略)
しかし、私は毛沢東思想を学んでいたわけではない。読んでいたのは『毛沢東選集』の注釈だ。歴史的事件や人物に関するこれらの注釈は、町の図書館の小説よりもずっと面白かった。注釈の中に感情はないが、ストーリーがあり、人物もいた。
(中略)
2つ目の読書体験は中学時代で、私は毒草とされた一部の小説を読み始めた。これらの焼却の運命を免れた生き残りの文学は、ひそかに我々の間で流通していた。おそらく、本当に文学を熱愛する人たちが慎重に保管し、その後こっそり回し読みされるようになったのだろう。どの本も千人以上の人の手を経て、私のところに回ってきた時にはもうボロボロだった。最初と最後の十数ページが欠けている。私が当時読んだ毒草の小説は、一冊も完全な形を保っていなかった。書名も作者名もわからない。ストーリーの始まりと結末も、わからなかった。

ストーリーの始まりがわからないのはまだ我慢できるが、結末がわからないのは大変つらかった。いつも頭と尻尾のない小説を読んで、私は熱い鍋の上のアリのようにのた打ち回った。人にこの物語の結末を尋ねたが、誰も知らない。彼らが読んだのも、頭と尻尾のない小説だった。(中略)

結末のない物語が私を苦しめても、助けてくれる人はいない。私は自分で物語の結末を考えることにした。(中略)毎晩、明かりを消してベッドに入ってから、私は暗闇の中でまばたきして想像の世界に浸った。あれらの物語の結末を考えると同時に、自分の創作に感動して熱い涙を流した。

後に少年は、完全な形のこの小説に巡りあう。しかし、彼にはわずかな時間しか与えられなかった。友人が人から借りたその本は、翌日が返却の約束日。彼と友人は、世を徹して一文字一文字をノートに書き写す。写本。彼らは、こうして“本”を読んだ。

これが文化大革命という革命。あの郭沫若でさえ、それまでの自分の文学活動を「今日の基準からいえば、私が以前書いたものにはいささかの価値もない。すべて焼き尽くすべきである」と全否定しなければならなかったそうだ。
われわれは、左右いずれのイデオロギー的立場をも超えて、ここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、中国の学問芸術が(その古典研究も含めて)本来の自律性を快復するためのあらゆる努力に対して、支持を表明するものである。・・・学問芸術を終局的には政治権力の具とするが如き思考方法jに一致して反対する。
これは、文革の“文化弾圧”に対する川端康成、安部公房、石川淳、三島由紀夫連名の抗議声明である。



河出文庫  ¥ 994

体験的中国論。毛沢東、文化大革命、天安門事件から、魯迅、格差、コピー品まで。
人民
領袖
読書
創作
魯迅
格差
革命
草の根
山寨(シャンチャイ)
忽悠(フーヨウ)
失業生活を長く続けている夫婦が幼い子供を連れて、帰宅途中に露天の果物屋の前を通りかかった。

息子は多くの果物のうち値段の安いバナナに目をつけ、両親に一本だけでいいから買ってくれと頼んだ。

しかし貧しい両親は有り金を全部はたいても、バナナ一本買うことができなかった。

子どもを強引に露店の前から連れ去るしかない。

子供は大声で泣いた。

もう長いことバナナを食べていないので、どんな味だったかも忘れかけていた。

両親に家まで連れ戻されても、子供の悲しげな泣き声は止まらなかった。

泣き止まないことに腹を立て、父親は子どもを殴打した。

母親が駆け寄って父親を押しのけ、夫婦喧嘩が始まった。

次第に言い争いが激しくなり、子どもは「バナナ」と泣き叫んだ。

突然、父親は悲哀を感じ、悲哀はすぐに憎悪に変わった。

父親は自分を憎悪し、自分の無能さを憎んだ。

仕事も収入もなく、バナナを食べたいという息子の願いをかなえることすらできないのだ。

憎悪の気持ちが彼をベランダに導いた。

彼は振り返ることもなく身を躍らせ、マンションの十数階から飛び降りた。

妻は大声を上げてドアから飛び出し、階段を駆け下りた。

夫はコンクリートの上の血だまりの中に横たわっていた。

妻はひざまづいて、夫を抱き起こそうとした。

夫の名前を呼んだが、なんの反応もない。

しばらくして、妻は夫の命が尽きたことを知った。

突然、冷静さを取り戻し、もう泣き叫ぶこともなく、夫をそのままにして立ち上がり、マンションの方へ引き返した。

家に戻ると、幼い息子は何が起こったのかわからず、なおもバナナを欲しがって泣いていた。

母親は息子が泣きながら見ている前で、一本の縄を探し出し、踏み台を部屋の中央に運んだ。

踏み台の上に立つと、落ち着いて縄を室内灯の釣り鉤に結びつけ、縄の輪の中に自分の首を入れた。

息子は泣きながら、当惑した様子でこちらを見ている。

母親は縄から首を出し、踏み台から降りて、息子のところへ行った。

そして息子と息子が座っている椅子の向きを逆にして、背中を向けさせた。

その後、母親はまた引き返し、踏み台に上がり、あらためて縄を首にかけた。

泣いている息子の後ろ姿を悲しそうに見つめながら、踏み台を蹴り、首吊り自殺を遂げたのだ。

両親が亡くなったあとも、子供は泣き続けた。

子供はもはや、バナナが欲しくて泣いているのではなかった。
余華氏の『ほんとうの中国の話をしよう』に出てくる、現在の支那の貧困を語る物語である。この本の中には、他にも現在の支那の、そのままの姿が紹介されている。ぜひ読んでいただきたい本です。
文庫で出たみたいなので、まだだったらぜひ一度。 




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『池上彰の世界の見方 中東』 池上彰

パレスチナ問題という中東混乱の根本は、しっかりおさえている。そのへんが池上彰さんの抜け目なさ。

だけど、そことつながりつつ、現在の中東問題と言えば、やはり《ISIS》。《ISIS》と言えば“Islamic State of Iraq and Syria”、つまり、「イラクとシリアのイスラム国」。今焦点になっているのは、イラクとシリア。その始まりは、ソ連のアフガン侵攻にある。

と言うことで、先日は、現在の《イスラム国》の問題が、実は、ソ連のアフガン侵攻からきているという部分を、“覚書”として、まとめさせてもらった。

内容は、ちっとも難しくない。私の頭にだって、そのくらいは入っている。だけど、この本のように、しっかり順序立てて、文章としてまとめておくっていうのは、理解しているかどうかということとは別問題。しかも、それはそれで、高度な技術と鍛錬を必要とすることなんだよね。

池上さんは、それをしっかりと持ってらっしゃる。



小学館  ¥ 1,512

受験生、就活生、学び直しの社会人に最適 中東の根本がよくわかる
第1章 「混乱の始まり」から見る中東
第2章 「戦争とテロ」から見る中東
第3章 「地理・民族・歴史」から見る中東
第4章 「イスラム教」から見る中東
第5章 「石油利権」から見る中東
第6章 「難民大発生」から見る中東


第3章以降では、近代における中東混乱の根っこであるサイクス・ピコ条約はじめ、イギリスの三枚舌外交もしっかり抑えている。しかも、第4章では、イスラム教の起こりにまで言及する慎重さ。スンナ派とシーア派の、イスラム教内派閥争いまで紹介している。

この本では詳しく触れられていないが、おそらくこれは、イエメンをめぐるサウジとイランの対立あたりに関わる本でも書こうとしているんじゃないかと思わせる。いや、おそらくそうだろう。

そこから、さらに派生して発生した難民問題。もともと問題があったところに、イスラム国がらみの混乱で付け加わった難民問題は、もはや民族移動。テロの発生と相まって社会に亀裂を生み、亀裂は“EU”にも入った。さらにアメリカにも伝播してトランプ大統領という変わり種を生み出した。

やはり、背景にあったのは石油をめぐる利権なんだよね。もちろん、池上さんのそつのなさが、そのへんをおざなりにするはずがない。

あんまりそつがなさ過ぎて、流れるように一冊が終わる。

最後に池上さんは、若者たちに向かって、こう期待を述べて終わる。

私たちにどんな国際貢献ができるのか。なにも皆さんに難民キャンプに行ってくださいとか、支援をしてくださいとか言っているわけではありません。それぞれの人が、それぞれのやり方で、さまざまな国際貢献をすることができるのではないでしょうか。そういう柔軟さと優しさを以って、世界の人々と触れ合ってほしいと思います。
本書p226

それって、本当に目を向けなければならない問題から、若い人たちを遠ざけることになりゃしないかが心配になる。



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旅順大虐殺『日本に外交はなかった』 宮崎正弘・高山正之

通州事件におけるシナ兵の残虐行為は、それこそ、言葉に出したくもない。だけど、シナの歴史においては、それは特別なことじゃなくて、いつも行われていたこと。

歴史に興味を持った子供のころ以来、世界各地ので行われる残虐行為に触れるたび、顔をおおった両手の指の間から目を細めるようにして窺って来た。日本軍がシナ人に行った、私の理解と表現力を超える残虐行為は、私の心をひどく苦しめた。

しかし、後に知った。理解を超える残虐行為は、成しうることができないし、表現力を超える残虐行為も同様である。その残虐行為は、それを理解できる、表現できる者の仕業でしかないのだ。そして、それを理解し、表現しうる者たちは、まさに日本人を対象に、その残虐行為を行使していたのだ。

通州事件のように・・・。

そして、この本で語られる《旅順大虐殺》に関わる一件は、通州事件よりも前、日清戦争時のできごとである。

シナ人は捕虜を取らない。捕まえたらむごたらしい殺し方をする。耳をそぎ、鼻をそぎ、目をえぐり、性器を切断し、手足を切り落とす。行く先々で戦友の手足が軒下にぶら下げられ、心臓をえぐった後に石を詰め込まれた遺体がそこここに放置されている。

第一軍司令官山形有朋は、こう訓令を出した。

「シナ人は古より残忍の性を有す。もし生擒に遭わば、必ず残虐にして死に勝る苦痛を受け、ついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるるは必定。決して生擒するところとなるべからず。むしろ潔く一死を遂げ、以って日本男児の名誉をまっとうすべし」

のちの戦陣訓「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」は、もとはここから始まってた。


『日本に外交はなかった』    宮崎正弘・高山正之

自由社  ¥ 1,080

二人のジャーナリストが語る、外交から見た日本の混迷
上 古代から明治維新
「日本に外交はなかった」という言葉
日本文化を花開かせた「遣唐使」廃止
足利義満の屈辱の外交
鎖国は賢明な外交政策
江戸の外交
研ぎ澄まされた聖徳太子の外交感覚
元寇に見せた北条時宗の外交
とんでもない朝鮮通信使
キリスト教排除
幕末に見る日本人の気概外交
下 明治維新から現代
ロバート・バウン号と榎本武揚
お雇い外国人エミール・ベルタン
外交官試験に通った堀口九萬一と白鳥敏夫
日英同盟と日露戦争
日米対立
真珠湾奇襲
アメリカのエージェントとなった外交官
ノンキャリアをいじめる外務省
慰安婦問題で朝日と共犯になった外務省
三島由紀夫が乗り移ったストークス
朝鮮問題で引きずり込まれた日清戦争
お雇い外国人ヘンリー・デニソン
三国干渉とドイツ
対華二十一箇条の要求
日米開戦
「最後通知」手交延滞
外交官試験廃止
教育主権を中国、韓国に手渡した
南京事件が世界遺産になった


まもなく旅順の要塞を、いとも簡単に陥落させ、日本軍は市外に入り、残敵を掃討する。ここでも、家々の軒先にむごたらしく殺された戦友の手足がぶら下げられている。「日本軍は手を挙げるシナ兵に怒りを抑えて対応した」と仏紙特派員が書いている。

ピューリッツァー賞のニューヨーク・ワールド紙記者クリールマンは、こう書いた。「無防備の住民を、報復に殺しまくった」「命乞いする老人を殺した」「浅瀬を逃げる子供たちを撃ち殺した」「6万人は殺した」

ベルギーの駐日公使アアルベール・ダネタンが、「日本人はそんなことはしない」と仏観戦武官らを訪ね歩いて、米国紙の記事は嘘だと広報してくれた。
日本の外交がなすべきことだよね。どうして、それができないんだろう。戦争のことばかりじゃなくて、戦後、世界で戦う日本企業は、さまざまな苦難にさらされてきた。でも、日本の外交は、日本企業を守るために、どんな働きをしてくれたのか。

アメリカでは、いろいろな企業が難癖をつけられて、苦しんだ。だいたいが民主党政権の時代。日本の外交は、日本企業を守るために働かなかった。

さて、オバマ政権時代に話題になったのが、エアバッグのタカタ。それを難癖とは言わないけど、日本の企業力を落とさないためにも、外交にはなすべき仕事があったんじゃないかな。




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アフガン紛争『池上彰の世界の見方 中東』 池上彰

第二次世界大戦で2700万人の死者を出したソ連の大戦後の一大戦略は、仮想敵国との間に緩衝地帯を置くことだった。西ヨーロッパ諸国との間に東ヨーロッパというソ連の衛生国家を、アメリカ軍の駐留する韓国との間に北朝鮮が存在したのは、ソ連がそうしたからだ。

ロシアになった今も、そう。戦後70年以上たっても解決できずにいる北方領土問題。日本とアメリカの間に安全保障条約がある以上、歯舞、色丹を返還すれば、何か問題が生じたとき、そこにアメリカ軍がやってくる。それは、ソ連にとっては避けたい事態なんだな。

ソ連時代、アフガニスタンは国境を接していたが、ソ連にとっての脅威ではなかった。さらにその南西にあるイランとはあまり友好的関係ではなかったこともあって、ソ連にとっては、無害なアフガニスタンであってくれればそれでよかった。

しかし、イスラム教の王国であったアフガニスタンにクーデターが発生し、幾度となく政権が変わる不安定な状態になった。ソ連はアフガニスタンを自分の影響下に置くことを模索し、1979年にアフガニスタンに侵攻した。まもなくソ連はアフガニスタンに傀儡政権を樹立し、アフガニスタンを統治した。

現在の中東イスラム諸国の混乱は、このソ連のアフガニスタン侵攻に始まる混乱である。



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受験生、就活生、学び直しの社会人に最適 中東の根本がよくわかる
第1章 「混乱の始まり」から見る中東
第2章 「戦争とテロ」から見る中東
第3章 「地理・民族・歴史」から見る中東
第4章 「イスラム教」から見る中東
第5章 「石油利権」から見る中東
第6章 「難民大発生」から見る中東

ソ連の支配に猛反発する人たちの戦いが始まった。アフガニスタンはイスラム教徒の国で、国外のイスラム教徒もアフガニスタンの人々を支援した。

「イスラムの教えを守るための心の中の戦い」という定義を、以前読んだことがある。池上さんは、「ジハードとは、イスラムの教えを守る努力」だという。 まあいいや。そのジハードを遂行するイスラムの聖戦士を《ムジャヒディン》という。アフガニスタンの周辺から、多くのムジャヒディンがアフガニスタンに集結した。

東西冷戦でソ連と敵対していたアメリカは、これをソ連を叩くための好機と定め、アフガニスタンの反政府勢力であるムジャヒディンを支援した。アメリカは、パキスタンの軍統合情報局を使ってムジャヒディンに軍事支援を流した。ムジャヒディンに流れたのはスティンガーミサイルだった。

ソ連のハインドヘリコプターの攻撃になすすべなかったムジャヒディンは、このスティンガーミサイルで劣勢を挽回した。ヘリコプターの方角に向けてスイッチを押せば、発射されたミサイルは熱感知によってハインドヘリコプターを撃ち落とした。ソ連軍のヘリコプターは次々に撃ち落とされ、ソ連軍はぼろぼろになって撤退した。

しかし、ソ連軍を撤退させたことで、アメリカはアフガニスタンへの興味を失った。ムジャヒディンもそれぞれの国に帰った。そして、アフガニスタンには内戦が始まる。主要民族の主導権争いは、激しさを増す一方であった。アフガニスタン難民が大量に発生し、国境を接するパキスタンにはたくさんの難民キャンプができていた。その難民キャンプで、パキスタンのイスラム教原理主義思想をもつ者たちが、難民キャンプの子供たちを教育しようと、いくつもの神学校が作られていた。

アメリカの支援をパキスタンに横流ししつつ、同時に私腹を肥やしたパキスタン軍統合情報局は、この神学校を使ってアフガニスタンへの影響力を強めようと考えた。神学校でイスラム教原理主知思想を見につけた若者たちは、パキスタン軍統合情報局から最新の武器を持たされて、アフガニスタンに送り込まれた。この“学生たち”をタリバンと呼んだ。

タリバンは、瞬く間にアフガニスタンの大半を手中にし、アフガニスタンでイスラム教原理主義に基づいた統治が始められた。

1991年に、湾岸戦争が発生する。前後の事情は割愛するが、アメリカ軍は砂漠の盾作戦を発動して、サウジアラビアに軍を駐留させた。これに反発したのが、かつてアフガニスタンで、アメリカの支援を受けながらムジャヒディンとして戦ったオサマ・ビンラディンであった。

サウジ王家を批判したビンラディンは追放され、アフガニスタンに逃げた。アフガニスタンのタリバン政権は、この懐に入った窮鳥を保護し、かつての同志として、客人としてもてなした。オサマ・ビンラディンはタリバンの保護のもと、アメリカと戦う国際テロ組織を育てた。それが“基地”の意味を持つアルカイダである。

そして、2001/09/11、同時多発テロが発生する。

起こったアメリカは、オサマ・ビンラディンの引き渡しを拒否するアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させ、ブッシュ大統領の私怨も絡んでイラクを攻撃しフセイン政権まで倒した。

フセイン大統領時代のイラクはバース党の一党独裁で、バース党員があらゆる要職を独占していた。アメリカは、このバース党員を一斉に公職追放した。イラク社会はマヒ状態となった。

イラクは、シーア派6割、スンナ派2割、クルド人2割の国で、フセイン時代はスンナ派の支配だった。バース党の警察官も軍隊の幹部もスンナ派だった。

そのイラクで、民主的な選挙が行われて、当然のようにシーア派政権ができ、かつて抑圧されたシーア派は、スンナ派への仕返しを始めた。

スンナ派には、かつてバース党員だったものが多く、フセイン政権時代の警察や兵士もたくさんいた。彼らは武器を手にシーア派の警察や軍との戦いを始めた。こうしてイラクは、内戦状態となる。そこに、アフガニスタンのアルカイダが触手を伸ばし、イラク国内にアルカイダ系の過激組織が結成される。「イラクのイスラム国」である。その後、「イラクとレパントのイスラム国(ISIL)」、「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」と名を変え、現在、「イスラム国(IS)」と自称するようになる。




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奥多摩を歩いてきました

   来週、若い人たちをハイキングに連れて行くので、下見をしてきました。久々に天気に恵まれたもんで、展望の効くところに行きたくなっちゃったんだけど、そこは抑えて、予定通りのコースを歩いてきました。

高校生の登山には、ずいぶん早い段階で届け出が必要とか。構想としては、8月中頃に立てていたコース。おそらく今年も残暑が厳しいだろうと思って、沢沿いを歩いたり、滝でも見られるコースをと思って立てた計画なんだけど、9月に入ると、めっきり秋めいて、・・・まったくいらぬ心配でした。これなら、秋ぞれのもと、絶景を望めるコースが良かったかな。・・・まあ、その辺は“塞翁が馬”ということで。
奥多摩トレッキング青梅線の古里駅から沢沿いの道を経由して大楢峠へ。そこから御岳山へ向かう道と分かれて、林道を海沢園地に行きます。いくつかの滝を見つつ大滝まで入り、引き返します。海沢園地から舗装道路を奥多摩に向い、多摩川沿いを鳩ノ巣駅まで歩きます。
P9030003.jpg本番は電車で行くんだけど、この日は車。鳩ノ巣駅の駐車場に入れさせてもらって、古里駅まで行こうかと思ったら、電車が行っちゃった。

そんなわけで、古里駅からの合流部まで鳩ノ巣駅から歩くことに。

雲仙橋を渡る。
P9030005.jpg古里駅からの道との合流部。東屋があって、休憩ができる。そこからの眺め。

週末のにこの天気は久々。見晴らしのいい山頂を目指したくなる。
P9030006.jpg樹林の中の道。歩きやすい道だけど、あんまり通る人も多そうじゃないな。・・・雰囲気的に。

こういう道は好きだな。
P9030007.jpg大楢峠に到着。写真正面は鳩ノ巣・古里方面。向かって右手には御岳山への道が伸びている。撮影者の後方が海沢園地への林道。

この林道が、ずっと崖沿いに作られていて、道にも大小の落石の跡がおおい。これは、あまり通りたくないな。雨や、雨後ならやめといた方がいいな。
P9030008.jpg海沢園地に到着。東屋、トイレがあって、少し入ったところで撮った写真。

いいところだな。熊が出そうだけど。
P9030009.jpgP9030010.jpg
P9030012.jpg道は、正直なところ悪い。ぬかるんでいるのは雨のせいじゃなくて、あちこちから水が湧いたり、流れたりしているから。

木につかまり、根っこを頼りに上り下りするので、どこもかしこも泥だらけ。

左の大滝に向かう道は根っこが絡み合っててめんどくさい急斜面。

でも、滝は良い。
滝を鑑賞して海沢園地に戻ろうとしたら、下からにぎやかな声が聞こえてくる。分かった。ここは、自然体験スポットになっているらしく、ウエットスーツを着込んだ若い連中がインストラクターに引き連れられて、登ってくるのとすれ違う。
P9030016.jpg海沢園地に戻ると、ここまでマイクロバスで乗り付けてくるらしい。30人はいたと思う。5000円くらいとるのかなぁ。もっとかなぁ。いい稼ぎになりそうだな。

でも、本番は、ここにつくのもっと遅くなるし、あんな連中が騒いでる滝を見ても、面白くもなんともない。

そんなことを思いながら、おいしくラーメンを食べました。山で食うラーメンは、どうしてここまでうまいんだろう。

今回、面白おかしく歩けたのはここまでで、このあと、下りの舗装道路を歩いていて、転んでけがをした。それも大転倒。膝っ小僧を強く打って、パカッと裂けてしまいました。あとは肘を擦りむいた程度で済みました。ひざのけがはちょっと深い。膝っ小僧も、最初はびっくりして、血を流すもの忘れてしまったようで、そのすきに手拭いをさいて固く縛り止血しました。

最初の止血が良かったのか、鳩ノ巣まで歩いても、出血は大したことなくすみました。医者に行けば間違いなく縫われるところだけど、行ってません。今日でちょうど一週間なんだけど、4日目からようやく改善に向かった感じ。

左足を着地するときに、石を踏んで、足首が外側にひねられるのをこらえられなくて、柔道の技にかけられたように大転倒。6月にも同じ転び方をして、その時も、膝の皿を痛めた。やっと良くなったのに。

11月で手術から1年。それまでろくに歩けなかったんだから仕方ないけど、まだ、なんかのバランスが悪いのかな。

ちなみに、手当をしてから1kmほど下ってから、スマホがないのに気が付いた。この間、連れ合いと一緒にスマホに替えたばかりなのに・・・。痛い足で、1km上り道を戻りました。途中、自然体験に行くマイクロと3台くらいすれ違ってるので、踏まれてめちゃくちゃになったスマホを思い浮かべながら、ほぼ泣き顔で・・・。

私のスマホ君は、ガードレールの柱の部分にひもをかけられて、ブラブラしてました。そういえば、登っていく3人組とすれ違ってた。どなたかわかりませんが、本当にありがとうございました。




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資源と戦争 『経済は地理から学べ』 宮路秀作

《宗教と石油でもめるチェチェン》
コーカサスカフカス山脈北側の山岳地帯にあるチェチェンは、険しい地形を地の利として大国の支配を免れてきた。

そのチェチェンがロシアの支配下にはいったのは1859年のこと。1917年のロシア革命に際しては、自治権と引き換えにロシア共産党に協力する。1922年、ソビエト連邦下にチェチェン自治州が成立するが、形だけのことで、やがて宗教弾圧が加えられ、1944年にはカザフスタンやシベリアに強制移住させられている。
そんな経緯もなり、チェチェン人は独立心が強く、1991年にはソビエト連邦からの独立を宣言し、1992年にはロシア連邦への参加調印を拒否する。2年にわたる交渉が決裂し、1994年にはロシア連邦軍の軍事侵攻が始まる。一時、首都を陥落されるが、ゲリラ戦を敢行して、採取的にはロシア連邦軍を壊滅させた。1996年には事実上の独立を勝ち取り、1997年には停戦協定が調印された。

ところが1999年になると、イスラム教過激派勢力が力を伸ばしたチェチェン独立派勢力は、隣国ダゲスタン共和国に攻撃を仕掛けると同時にモスクワで無差別テロを実行する。これをきっかけに第二次チェチェン紛争が始まり、停戦協定は無効となる。独立勢力によるテロ攻撃と対テロ掃討作戦という形で進められた紛争は、2009年まで続き、大きな被害を出した末に終了した。テロ組織は相当されたとは言うものの、テロの危険が消えたわけではない。

1893年に油田が発見されたチェチェンは、経済的自立が可能である。しかも、ロシア正教を信仰するロシアの前身であるソビエト連邦からは宗教弾圧を受けており、強制移住によって民族を引き裂かれた経験を持つ。

チェチェン紛争の背景には上記のような、宗教的要因と経済的要因が絡み合っている。


ダイヤモンド社  ¥ 1,620

「土地」と「資源」の奪い合いから経済が見える 地図で読み解く44の視点

序章  経済をつかむ「地理の視点」
第1章  立地 地の利で読み解く経済戦略
第2章  資源 資源大国は声が大きい
第3章  貿易 世界中で行われている「駆け引き」とは?
第4章  人口 未来予測の最強ファクター
第5章  文化 衣食住の地域性はなぜ成り立つのか?
おわりに 地理とは、いったい何を学ぶ科目なのか?


《原油をめぐる内戦ービアフラ紛争》
ナイジェリア最大の油田は南部にあり、ここに居住するのはイボ族というキリスト教徒である。彼らは油田のおかげで経済的にゆとりがあり、ナイジェリアの他地域との間には大きな経済格差があった。1967年、彼らは「ビアフラ共和国」として独立を宣言し、同時にないじゃリア連邦軍との戦いが始まる。

戦いは本来、どちらかが物理的戦闘能力を失えば終わる。しかし、外部勢力が関わることによって、無意味に長期化する場合がある。ナイジェリアを支援したのは旧宗主国として状況の変化を望まないイギリスや、アフリカへの影響力増大を狙うソビエト連邦であった。かたやビアフラを支援したのは原油資源を持たないフランスと、アパルトヘイトで禁輸措置を受けていた南アフリカであった。

1970年、戦争はビアフラ共和国の降伏で終了する。イボ族と戦った北部のハウサ族や南西部のヨルバ族はイスラム教徒であった。

この内戦と第一次オイルショックの経験から、フランスは原子力への依存度を高めていった。

他者との対立の中で宗教がクローズアップされる場合、宗教の違いは自分の都合に過ぎない。それを根拠に自分の正当性を補強する手段として宗教を利用するのは、卑怯者のすることだ。宗教の側も、それを煽ることで結束を強めたり、信者を増やそうと、卑怯な振る舞いに及ぶことがある。

原因の本質は、資源をめぐっての争いである。資源があるがために、周囲の歓心を引くし、大国の干渉も受ける。周囲の歓心も、大国の干渉も、必ず国内の対立に付け込んでくる。

チェチェンのケースの方がまだましだが、ロシアという大国を近所に持った悲劇は大きい。



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『呪われた明治維新』 星亮一

錦江湾で溺れかけたことがある。いい気になって浮かんでたら潮に流されて、どうにも困っていたら、小さな漁船のお兄さんに救われた。何度も何度も繰り返し頭を下げて、お礼したいと言ったら、「お礼なんていらないから一緒に飲もう」ということになって、行きつけの店を教えてもらった。いったん宿に戻って身支度をし、言われた時間に店に入ると、すでに盛り上がっていた。大した金額のお礼にはならなかったけど、焼酎を一本入れさせてもらって、とにかく楽しく飲んだ。

ひとしきり盛り上がった後、「どこから来た」という問いかけに、「会津です」と答えた。
小単元でいえば、長くて2ページ。コラムにしたって短めの文章を、章ごとのテーマに合わせてつなげて行った感じ。“コラム”なんて言ってしまうと軽すぎるかな。なんせ、いくら短くたって、そこにはいちいち会津戦争の恨みがしみ込んでいる。だけど、これまでの“会津もの”に比べて、格段に読みやすい事ともたしか。

福島出身者であろうとなかろうと、山口県出身者であろうとなかろうと、鹿児島だろうが、高知だろうが、どこの出身であっても関係なく、“会津”の一言で、すべてをおもんばかることができる人が、どれだけいるだろうか。この本は、その歴史の味方を問題にしている。

会津を背景に持つということは、それは一つの史観を持つことにもつながる。たとえば、この間も、少し触っておいたが、会津を背景に持つことによって、靖国に対する捉え方だって、ものすごく違うものになる。つまり、大東亜戦争の捉え方もにも影響を与える重要な視点を持つことにつながることになる。



さくら舎  ¥ 1,620

長州はいったい、会津の地でどんな蛮行を働いたのか。なぜ会津は長州を許せないのか。
1  会津に残る薩長の略奪暴行の記録
2  会津人・宮崎十三八の魂の叫び
3  会津は怖い
4  吉田松陰と高杉晋作の実像
5  京都守護職という罰ゲーム
6  長州人は会津で何をしたか
7  戊辰戦争の真実
8  会津人の長州批判
9  明治維新余話

シナや韓国が、《日本人にやられた》と言っていることの多くはただのプロパガンダで、根拠もないことばかりである。だけど、会津では、女を犯し、子どもや無垢の民人を手にかけ、多くを奪い去った。戦いが終わった後でも、なにかを守るために命を懸けた相手に敬意を払うこともなく、侮蔑をつくした。

日本軍がシナや朝鮮で本当はやってもいないことを、長州は会津に対してやったのだ。

斗南藩へのところ替えは、それこそ藩を挙げての島流しに他ならない。そんなのありか。いや、もっとひどいか。会津の武家の娘が女郎になって客を取り、家族の飢えを助けたなんてね。『会津の女ごは尻までしゃっこい』なんて言われるんだそうだ。あわれだなぁ。

そこまで貶めた長州が悪い。
私怨をはらすための全く大義も名分もない戦を仕掛け、会津城下において我が国の歴史に消すことのできない残虐非道な行為の傷をつけた薩摩、長州、そして土佐。指揮を執った長州山県有朋、薩摩伊地知正治、土佐板垣退助の戦争犯罪人としての始末は、まだ済んでない。言うまでもなく、このことに関する岩倉・大久保の戦争犯罪も無視することはできないのである。
本書p224
これは、『明治維新という過ち』の原田伊織さんの弁だそうだ。実際、明治維新再検討の話は全国で取り上げられているんだそうだ。そのとき、なにが行われたのか。女たちがどんな目に合わされたかも含めてね。

山県有朋を中心とする長州勢が地道を上げたように、会津が浮かび上がる機会をことごとくつぶし、歴史の襞の中に葬り去ろうとするやり方は、“戦後”150年にして通用しなくなりつつあるようだ。

その上で、あえてつけ加えるけど、それでも、やはり会津には、“新たな時代”を開くことはできなかった。朱子学の呪縛は会津を去らなかった。朱子学に囚われていては、日本の将来は見えてこなかった。
「会津です。会津から来ました」と答えた瞬間、それまでの店の空気が一瞬で変わった。薩摩は心に傷を抱えているのがよくわかった。・・・ちなみに、私、会津とはなんの関係ありません。




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ゲルニカ『日本人が知らない最先端の世界史2』 福井義高

ゲルニカフランシスコ・フランコ将軍率いる国民軍との内戦下、スペイン人民戦線政府は、支持者であるパブロ・ピカソに、1937年にパリで開かれる万国博覧会に、作品の出品を依頼していた。

それを受けたピカソは、衝撃を受けた、フランコを支援するドイツ空軍が1937年4月26日に行ったゲルニカ爆撃の非人道性を訴えるため、壁画『ゲルニカ』を完成させた。
ピカソの最高傑作の一つと言われるその作品は、スペイン北部のバスク地方にある小さな町の名前を、世界中に知らしめた。


祥伝社  ¥ 1,728

歴史を学ぶことは重要である。しかし、都合よく利用しようとすれば、手痛いしっぺ返しを食う
序章 「反グローバリスト」は「極右」なのか
Ⅰ  満洲におけるソ連情報機関と日本
Ⅱ  「スペイン内戦」の不都合な真実
Ⅲ  「憲法フェティシズム」の果て
Ⅳ  「欧州共同体」という大いなる幻想
Ⅴ  「不戦条約」と日本の運命
西ドイツ軍戦史部のクラウス・マイヤー少佐が著した『ゲルニカ 1937年4月26日』には、ゲルニカ爆撃の真実の様子が書かれている。
  1. ドイツ空軍によるゲルニカ空爆は、一般市民をターゲットにする無差別爆撃ではなく、明確な軍事目標を狙った作戦であった。
  2. 一般市民に犠牲が出たとしても、それはそのこと自体を目的にしたことではなく、他の軍事目標を狙った攻撃の付随的損害であった。
当時、国民派の攻勢により退却中の人民戦線部隊にとって、ゲルニカは退却の途上にある一都市であり、人民戦線の部隊が駐留し、軍事工場も存在する拠点の一つであった。

地上の国民軍を支援する独伊空軍部隊は、人民戦線軍の退却を妨害するため、軍事目標である橋などを狙った爆撃を行った。その際、視界不良の中投下された爆弾が市街地を直撃し、一般市民に犠牲が出た。犠牲者は、これまで1654人とされてきたが、スペインの戦史家ヘスス・サラス・ララサバルの研究によれば、120人というのが真相に近いという。

ゲルニカ爆撃は、一般市民を狙った無差別爆撃ではなく、地上軍と連携した空軍が敵の退却を妨害するために行う「航空阻止攻撃」であった。

ピカソの《ゲルニカ》を、効果的に政治的プロパガンダに利用したのがスターリンであった。第二次大戦中、パリに住んでいたピカソは、連合国軍によるパリ解放後、フランス共産党に入党し、1950年にスターリン平和賞を受賞した、向こう側から見た立派な人だった。




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『不思議の国のジャパニーズ』 片野優 須貝典子

ジジイになったのだから仕方がないんだけど、昔の日本のほうが良かった。昔の日本のほうが良かったのに、それを自分の子供達に伝えきれない、全然伝えきれていない自分も、本当に情けない。今は子供も独立して、あとは勝手に頑張ってもらいたいもんだ。連れ合いと二人の暮らしになった。この連れ合いが、実は私以上に昔の日本人で、神仏への感謝を忘れない女だ。私の人生の一番の成功は、この女を連れ合いとしたことだろう。少々強引だったが、・・・良かった、良かった。

いつだって、物事には表と裏があって、どちらが表でどちらが裏か、表裏のようでいて、実はおんなじなのだ。表でも裏でもない。同じものを、こちらの都合で、表に見たり、裏に見たりしているだけだ。“良かった”と言っている昔の日本もそうだ。

しかし、心して置かなければならないことがある。表に見えようが、裏に見えようが、生きていくために、先人たちが積み重ねた経験の上に作り上げた世間であるということだ。

戦争に負けたもので、真っ当な日本は、真っ当なものではないことになった。それが戦争に負けたあとの日本の始まりで、その前提でリーダーの地位に立ったものが戦後の日本を作り上げた。もはや、以前の日本には戻れない。

「保育園落ちた。日本死ね」

多くの外国人が、日本に魅力を感じているんだそうだ。おめでたい話だ。でも、その日本は、今の日本人が作ったもんじゃない。今の日本が壊しきれなかった日本だろう。


『不思議の国のジャパニーズ』    片野優 須貝典子

宝島社  ¥ 1,296

激動の幕末日本を訪れたシュリーマンは、平和で、秩序だった日本社会に感嘆したという
第一章 セルビアから未来の国・日本にタイムスリップ
第二章 ヨーロッパ人が日本文化を初体験
第三章 外国人がサプライズした日本人の精神性
第四章 外国人に受ける日本の名所

国民性ジョークに《もしも明日、世界が滅亡するとしたら》というのがあるんだそうだ。
アメリカ人は、軍事力でなんとかしようとする。
ドイツ人は、明日までに新技術を開発して滅亡を防ごうとする。
フランス人は、世界の終焉を芸術にしようとする。
イギリス人は、最後の午後のティータイムに誰を呼ぼうかと考える。
イタリア人は、最後のベットをともにする女性を探す。
ロシア人は、明日はウォッカを飲んでも二日酔いにならないと喜ぶ。

ハハハ・・・、面白いですね。日本人はと言うと、《会社に行って、明日までに仕事を終わらせようとする》ということです。世界は、そんなステレオタイプ化された日本人を“笑い”の対象にしている。でも、そんな日本人も、もうじき消え去るだろう。

日本に良質の関心を持つ外国人が増えているのは事実のようだ。結果として、世界を敵に回して闘い敗れた日本に、世界が関心を寄せているんだという。何だ、そりゃ。

面白いことに、世界を敵にした“悪い”日本を、日本人の中でも戦後を主導した人たちは、根っこから掘り起こして変えてしまおうと躍起になってきた。だけど、外国人が関心を寄せるのは、それでも“変わらない日本”だったわけだ。

伝えきれなかったけど、全然足りなかったけど、なんとか子どもたちに、汲み取ってもらいたいもんだな。

・・・完全に、ジジイの戯言だけどね。




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張作霖爆殺『日本人が知らない最先端の世界史2』 福井義高

《覆される14の定説》という副題がついている。そう言われて、まず思い浮かべるのは、《張作霖の爆殺》だな。

まずは定説ね。
1928(昭和3)年6月4日、奉天(現在の瀋陽)郊外で、当時、満州の支配者だった張作霖を乗せた北京発の特別列車が爆破され、張作霖が死亡する。この事件については、河本大作大佐の「自白」もあり、関東軍の仕業というのが、日本の歴史学会では定説になっており、日本による“中国”侵略の第一歩とされうことも多い。

ソビエト連邦の崩壊にともなう文書流出、ヴェノナ文書とのすり合わせで、戦前のソ連、及びコミンテルンの盛んな諜報活動が明らかにされつつある。

2005年に世界的ベストセラーになった『マオ 誰も知らなかった毛沢東』ではソ連犯行説が唱えられ、これまでの定説である関東軍犯行説再検討の流れも生まれた。著者が、“現時点で最大の労作”と呼ぶのが、2011年に加藤康夫さんが出した『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本。この本は読んだ。確かめてみたら、ブログには書いてなかった。この本では、真犯人を“張学良”としていた。とても説得力のある話だった。

だけど、関東軍犯行説には、実行者である河本大作大佐の「自白」がある。これは覆し難いところである。しかし、ある特定の状況を設定すれば、関東軍犯行説はいとも簡単に覆るのだ。
なぜ、「自白」を覆さなければならないのか。それは「自白」に、どうしても首をひねらざるをえないことがあるからだ。まあ、有名な話でもあるのだが。それが、この写真。張作霖
河本大作大佐の「自白」によれば、爆薬は、京奉線の線路脇に仕掛けたことになっているのだ。しかし、写真のとおり、爆発によって張作霖の乗った車両は天井部分をふっとばされているのだ。



祥伝社  ¥ 1,728

歴史を学ぶことは重要である。しかし、都合よく利用しようとすれば、手痛いしっぺ返しを食う
序章 「反グローバリスト」は「極右」なのか
Ⅰ  満洲におけるソ連情報機関と日本
Ⅱ  「スペイン内戦」の不都合な真実
Ⅲ  「憲法フェティシズム」の果て
Ⅳ  「欧州共同体」という大いなる幻想
Ⅴ  「不戦条約」と日本の運命


ドミトリー・ヴォルコゴーノフの『トロツキー その政治的肖像』に記された、トロツキー暗殺を指揮したナウム・エイチンゴンに関する一節
極東とアメリカの事情にずば抜けて強い。「張作霖」事件に関連したエピソードを持ち、当地でブリュッヘルを救い出している。

エドアルト・シャラポフの『ナウム・エイチンゴン スターリンの懲罰の剣』は、エイチンゴンのシナにおける工作活動の実態を具体的に描いている。
1928年にモスクワで張作霖を抹殺することが決定され、エイチンゴンと、ハルビンの赤軍情報局非合法工作担当のトップだったフリストフォル・サルヌインが、日本人にすべての県議がかかるようにして実行した。

爆殺は奉天郊外の南満州鉄道の高架橋に設置された。

通説が言うように、爆薬が関東軍によって線路脇に仕掛けられただけならば、張作霖を死に至らしめた、現実に起こった爆破被害は生じ得なかった。つまり、関東軍犯行説はソ連犯行説を否定しない。さて、こうして、最後に残るのが、「自白」なのだ。しかし、ある状況を設定すれば、この鉄壁に思える「自白」という証拠が、いとも簡単に崩れ果てる。それは、河本大作大佐が、ソ連情報機関の手先であったということである。

じつは、その状況は、なにも奇想天外なことではない。ノモンハン事件の日本側司令官だった小松原道太郎中将はソ連のエージェントだった可能性が高いと言われているそうだ。
ちなみに、先に上げた加藤康夫さんの『謎解き「張作霖爆殺事件」』って言う本では、爆薬は、張作霖の乗っていた車両の天井裏に仕掛けられていたとされていた。事前に定点に仕掛けた爆薬を、列車通過に合わせて正確に爆発させることは、至難の業だからね。この説、強いよね。




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この本、今でも売れてるんですね。何時頃読んだんだろう。記憶も定かじゃないけど・・・。この男の子が嫌いでね。涙が出た。白血病で入院してた女子高生にこの本を送ったことがある。感想、聞かせてもらってないな。



中学1年で読んだと思うんだけどな。アレクサンダーの伝記。夏休みの読書感想文で郡市の大賞を取ったんだ。「アレクサンダーによって異なる国や民族が一つの領域にまとめられたように、いつかこの世界も・・・」・・・なんてことを書いた。なんだか、アメリカがやろうとしてるよね。・・・当時はそれがいい事のように思ってた。



高校で山岳部に入ったんだよね。もとが山ん中だからさ。そんでもって山岳部っていうのもどうかと思ったんだけど。この本を読んじゃったもんでね。入部したての1年の夏休み、北鎌尾根から槍に登った。・・・記憶に誤り。取り付いただけだった。



今みたいに女の裸が氾濫している時代じゃなかったわけですよ。私の中学生時代っていうのは・・・。そんな時代なのに、中学校の図書館に置いてあったんですからね。この表紙の本が・・・。手にした理由はもちろんこの表紙の女。・・・もちろんそんなことは誰にも言えない。ただ、以前から無類の本好きであったことは功を奏した。それに加えて、私は以前からのSFファンということになった。この本を不自然なく手にするために・・・。
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